第十九話 ちっちゃな師匠
(Side リル=プロシュヴェリテ)
ほんの数日前、僕は一匹の魔物に出会った。
ベル姉ちゃんに連れ添う様に僕の前に現れたその魔物は、少しだけくすんだ白色の毛を持つ小さな鼠の魔物だった。
普通の魔物にはあり得ない理性的な立ち振る舞いは、言葉を交わすまでもなくその魔物が僕と同じ神獣であることを告げていて、初めて出会ったその瞬間、僕の心は嬉しさで満たされた。
長らく空席だったオーヴィーズの神獣が現れたというだけでなく、その魔物が僕と似たような好奇心旺盛な瞳を宿していたのが嬉しくてしょうがなかったのだ。
早く話して仲良くなりたい、そう思う気持ちはどう頑張っても隠せそうになかったけど、差し迫る現状がそれを許してはくれなかった。
ベル姉ちゃん達が現れたその日、この街は月の見えない闇夜の様な暗闇の中にいた。
結界を越えて街を襲う無数の魔物。
減っていく備蓄とまもなく訪れる厳しい冬。
この街唯一の戦力であるカヴァル隊の壊滅。
街の雰囲気は重く、希望らしい希望は《占星術》で見えた『東の炎漠より現れる一匹の魔物』という酷く漠然とした未来だけだった。
誰にも告げてはいなかったけど、僕はこの日、命を擲ってでもこの状況を何とかする、そんな覚悟を胸に秘めていた。
ベル姉ちゃんが居れば少なくとも街は安全になる。
だからその間に、無理を通してでも原因を突き止めて街を守る、一切の迷いなく僕は本気でそんな計画を練っていた。
今思えば、どうしようもなく愚かで恥ずかしいだけのその計画は、小さな鼠の魔物、師匠の存在によって綺麗さっぱり塗り替えられた。
師匠はこの街を訪れて直ぐ、驚くべき知慧で以て街と僕達を救ってくれた。
犬人の子供にも届かない小さな身体でありながら、師匠は皆の傷を癒し、導き、常に先頭に立っては気高いその背中だけを僕達に示し続けた。
それは本来、僕が担うべき神獣としての役目で、何一つできやしない自分自身が悔しくて涙が滲んだ。
今まで尊敬できる神獣には何度も出会ってきたけど、こんな想いになったのは初めてのことだった。
ベル姉ちゃんやヨルのじっちゃん、他の神獣達だって、僕よりずうっと凄い魔物だ。
でもそれは皆が特別なだけで僕なんかとは違うのだから仕方ない、僕は自分さえ知らない内にそんな言い訳を繰り返して生きていたのだと思う。
けれど、師匠はそんな僕を諭す様に、特別な力も並外れた技能も使わず、普遍的な知識だけで街の皆を救ってみせた。
実際、師匠から知識を教わったカルムの皆は師匠と同じ様に技能を行使できたし、師匠にあって僕にないものは才能や技能なんかではなく、その鋼のような意志の力だけだった。
むしろ、僕が持っていて師匠が持っていないものの方が圧倒的に多いくらいで、こんな恵まれた状況にありながら、後ろ向きなことばかり考えていた自分が余計に嫌になった。
『僕はどうすれば師匠みたいになれるかな?』
たまらず僕がそう聞くと、師匠は不思議そうな顔をしてこう返した。
『リルがわざわざ俺みたいになるのか? ……こういっちゃなんだが、そんなのは多分無理だぞ?』
師匠なら答えを教えてくれる、そんな淡い期待を断ち切って師匠は冷たく僕を突き放す。
しかし、言葉はそこで終わらず、師匠は続けて言った。
『俺も、リルも、ベルにだって別の誰かにはなれねぇし、なる必要もねぇんだ。俺達はこの街を救う手助けはできても、心の底から犬人さん達を安心させてやることは絶対にできねぇ。どんな奴にもそいつだけが輝ける大切な居場所があるはずなのに、誰かみたいに、そう思った途端に生きることがとんでもなく辛く苦しく思えてくる。憧れることは悪いことじゃねぇ、でも努力の仕方だけは間違っちゃダメだ』
師匠は恥ずかしい過去でも語る様に『ま、俺もつい最近それに気付いたんだが』と呟いて、言葉を締めくくった。
言葉の後は照れくさそうにしていたけど、その様子でさえ師匠らしさに溢れていて、憧憬の想いはさらに強くなった。
『(師匠はやっぱり、特別だけど特別じゃないんだ)』
誰かを羨むくらいには平凡で弱々しくて、そんな中でも自分のことを認めてあげられるくらいには特別で逞しい。
どこまでも近くに寄り添ってくれている様でいて、暗い道行きを照らして導いてくれる存在でもある。
『(……ああそうだ、師匠はお月様に似てるんだ)』
心に湧き上がるこの想いが何なのか、ようやく僕は理解してより一層師匠のことが好きになった。
そして同時に、自分のことを誇れるように僕なりに頑張ってみようと、僕の心に小さな光が灯った。
いつか僕が胸を張って師匠達と並んで歩けたら、その時は一緒に世界を巡ってみたい、そんな妄想の様な夢が少しだけ頭を過ぎり、暗い気持ちが嘘のように晴れていく。
『ねぇねぇ、師匠ってこれからの夢みたいなのってあるのかな?』
道の先を行く師匠が何を思って未来を走っていくのか、僕はどうしても聞きたくなって、そんな質問を投げかける。
師匠は変な質問ばかりをする僕を不審そうに眺めながら、それでも真摯に質問に答えようと口を開いた。
『夢、かぁ……ベルにも似たようなことを聞かれた気がするが、俺はリル達と違って適当に生きてるだけなんだよなぁ。楽しく生きて、困ってる誰かに手を貸して、ころっと散れたらそれで十分さ。まあ一応、ベルやリルよりでっかくなって大いにもふもふしてやる、そんな野望はあるがなっ』
茶化す様に師匠は言って、言葉通り僕の身体を好き勝手もふもふといじりたおす。
撫でられることなんて今までほとんどなかったのに、師匠とのふれあいは考え事を忘れるくらいに心地良かった。
もしかしたら師匠はそれを分かった上で、夢だの未来だの余り難しく考えすぎるな、そういうことを言外に伝えようとしてくれたのかもしれない。
『(僕なんかが師匠に追い付けるのかなぁ)』
やや諦めを踏んだ泣き言を心の中でそっと零す。
それが一体いつになるのか、下手すると追い付くことなんてできない可能性もあったけど、師匠の背中を追い続けていられる、それはそれで幸せそうだと僕は思考を放棄する。
考え過ぎず自由に生きる、先ずは師匠の考え方だけでも真似してみようと、そんな風に思ったのだ。




