第十八話 精霊の渚
数日はかかりそうだった解体作業は、ベルと俺が参戦したことで怒涛の勢いで進んだ。
微かに欠けた月が空に昇り始める頃にはほとんどの作業が終わり、俺は最後の復路についていた。
太陽が月にしか見えないせいか、空を見ると二つのお月様が仲良く追い駆けっこをしているみたいで、これはこれで面白い光景だと俺は静かに見入る。
今日は雪が降ってないのか空にも沢山の星が輝き、明るい街灯さえなければ、最高の天体観測日和と言えそうだった。
『っと、ベルを待たせちゃ悪いか』
思わず足を止めて空を眺めていた俺は、少しだけ焦る様にベルの居る南門へと走り出した。
その道すがら、一人の犬人さんの遠吠えが辺りに響き、返事をするように各所から遠吠えが上がった。
『敵襲、って感じでもないな……月を見てテンションでもあがってんのかね?』
聞こえてくる遠吠えは焦りや緊張を感じない声色で、むしろどこか楽し気にさえ聞こえる声に俺は首を傾げる。
きょろきょろと辺りを見渡しているとベルが俺の方へとやってきて、周囲を探る様にピコピコと耳を動かしていた。
『なあベル、遠吠えでなんて言ってるか分かるか?』
『分かるけど、分かんない。一応、できたーとか、わかったーって言ってるみたい』
『うーん、ふんわりしてんなぁ。とりあえず、声のする方にでも行ってみるか?』
『ん』
別に俺達を呼んでいる訳でもないかもしれないが、気になった俺達は声の集まる方へと向かってみることにした。
遠吠えが主に聞こえてくるのは街の中心からで、街灯に沿って歩いていると、丁度街の中央に見慣れない一軒家程の組み木が鎮座しているのが見え始めた。
『なんだありゃ? ベルは知ってるか?』
『んん、初めて見た』
交互に木を積み上げ、四角い塔の様に積まれたそれは、例えるなら異常にデカいキャンプファイヤーだった。
近付いて見ても正直それ以外の物には見えず、その組み木の傍にはやけに手の込んだ巨大な雪像も並べられている。
リルやベルなんかの雪像はともかく、俺を象った雪像なんかもあり、そこはかとない気恥ずかしさが俺を襲った。
近付くにつれ、どんどんと犬人さん達が増えていき、俺達は案内されるままに人混みを越えて中央へと進んだ。
するとそこには、自信満々といった表情のリルが誇らしげに立っており、俺達を見るやいなや大きな声で叫んだ。
『それじゃあ主賓も揃ったし、星月祭を始めるよ、皆っ!』
リルは声高らかに告げたかと思うと、鼓膜を震わせる一際豪快な咆哮を空へと放つ。
それを合図に、ドンドンやポーラさんをはじめとする四人の犬人さんが組み木へと炎を灯し、リルの遠吠えに続いて周囲の犬人さん達が一斉に遠吠えを始める。
凍て地の果てまで遠吠えが木霊する中、何が何だか分からない俺とベルの元へ、嬉しそうにぶんぶんと尻尾を振ってリルが駆け寄ってきた。
『どうかなっ、ちょっとは驚いてくれた?』
『……あ、ああ、そりゃあもう驚いちゃいるが、一体なんなんだこの騒ぎは? 星月祭、とかなんとか言ってたか?』
『そうっ、星月祭っていう僕達のお祭りなんだっ。ほんとは晴れた満月の日にやらなきゃなんだけど、今回は二人を驚かせたくて、急遽開催しちゃった。普段は皆もっと叫んでるんだけど、恥ずかしいのかちょっと抑えめだねっ』
そう言われて犬人さん達を見渡してみるとややこちらを伺う様に吠えており、ふと目が合ったポーラさんは恥ずかしそうに視線を逸らしていた。
そうこうする内に遠吠えが落ち着くと、今度は踊り子らしいきらびやかな衣装を纏った犬人さん達が現れ、炎を囲む。
そしてすかさず、オカリナの様な小さな口琴と打楽器による演奏が響き出し、ゆったりとした流麗な演舞が俺達の視界を彩った。
他の犬人さん達は各々料理やお酒に舌鼓を打ったり、あるいは演舞に合わせて気の向くままに踊ったりと思い思いの時間を過ごし始め、先程までとは一転穏やかで落ち着いた雰囲気がその場を満たしていく。
見たことも体験したこともないはずなのに、不思議な懐かしさを覚える光景を前に、なぜだか俺は心の中がじんわりと温かくなっていくのを感じた。
『良い光景だな』
『ん』
想いを共有するようにベルと短く言葉を交わし、しばし無言でその温かい光景を見守り続ける。
ベル達程役には立てなかったが、この光景を守る一助となれた、その事実だけで俺はこれからの鼠生を胸を張って生きて行ける、そんな気がした。
『……ベル姉ちゃん、師匠、ほんとにありがとね。僕だけじゃ絶対に皆を守り切れなかった。僕のせいで、三人……三人も大切な家族を失っちゃった』
犬人の神獣として俺達以上に思う所があったのか、ほんのり涙ぐみながらリルが告げる。
俺なんかには想像もできないくらい気を張って全力を尽くしてただろうに、リルの口から零れ出たのは感謝と悔恨の言葉だった。
慰めか、励ましか、人生経験の短い俺にはなんと声をかければよいのか分かりはしなかったが、リルの言葉と表情は俺の心を酷くざわつかせた。
『……多分だけどよ、その三人はリルには笑っていてほしいんじゃねぇかな』
思考もまとまらない内に自然とそんな言葉が口をついた。
俺は亡くなった三人と話したことも会ったことすらない。
それでも、大切な誰かを残して旅立つ者の気持ちは身を焦がす程に理解できた。
自分が死ぬのなんて、実際の所どうということはない。
けれど、自分なんかを愛してくれた優しい者達が自分せいで泣いてしまうのは、どうしても許し難いのだ。
リルを慕う犬人さん達がどれだけ純粋で朗らかな人達であるのかは既に十二分に知っていた。
そんな彼ら彼女らが折角のお祭りの場でリルに暗い表情をしてほしいと思っているはずがなかった。
『俺はさ、リルの笑ってる顔、結構好きだぜ。すっげぇ頭いいのに笑ってるときは随分お茶目で、見てるこっちまで幸せな気分になるんだ』
『……師匠』
『だからさ、遠く遠く、星になってリルを見守ってる犬人さん達のためにも笑って過ごせばいいんじゃねぇか? そりゃあ時には反省するのも大事だけどよ、ずっと下を向いてちゃ星は見えねぇだろ?』
吐く息は白く凍えそうにもなるが、空を見上げればこの地にはいつだって綺羅星が煌々と輝いている。
それは先に逝った愛しい者たちが、どんな時も寄り添ってくれていることに他ならないのだ。
『……』
星を通して何を見ているのか、リルの金色の瞳に数多の星達がきらきらと瞬く。
少しばかし暗い表情は消えたが、それでもリルは未だに何かを考え続けているように見えた。
『これだから、頭のいい奴は……悩み事ばっかしてっとバカになるぞ? よぉしベル、ちょっとリルを抑えてくれっ』
『ん』
『えっ、なにっ?! ちょっ、きゃ、あははっ!!』
わしゃわしゃわしゃ、とリルを思いっきりくすぐり、暗い考え事が出来ない様、無理矢理にでも笑わせる。
騒ぎに騒いだせいか、犬人さん達も微笑ましそうにこちらを眺め、リルの笑顔に釣られるように笑顔になった。
やっぱりリルの笑顔には幸せが詰まっているみたいだ。
『ほら見ろリル。お前が笑うと皆嬉しそうに笑ってるじゃねぇか。逝っちまった三人だってきっとそうだ……お前が辛気臭い顔してると笑うに笑えねぇ。三人を想うならせめて笑顔で想ってやれ。じゃないとまたくすぐるからな?』
俺が言うと、リルは一人一人の笑顔をじっくりと心に焼き付ける様に周囲を見渡した。
ようやく暗い表情は消え、今度は逆に感極まったのか瞳に涙が溜まり始めたが、そんなことを許す俺ではない。
『ほぅ、まぁだそんな態度を…』
『わ、分かったよっ、もう泣かない! 笑顔だよね、笑顔っ。ほらっ、にこ~』
『うむうむ、分かればいいのだ。やっぱリルはそのおバカ、んんっ! お茶目そうな笑顔が一番だなっ』
『今はっきりおバカって言ったよね?! 全然誤魔化せてないからねっ?』
『そ、そんなことないぞ、なぁベル、そんなことないよな』
『ん、デントと違っておバカじゃない、頭でっかちなだけ』
『ベルぅ?』『ベル姉ちゃんっ?』
二匹に睨まれてもベルはのほほんと知らぬ顔を続ける。
常々思ってはいたが、ベルの俺に対する評価を改めるためにも、一度説教する必要がありそうだ。
もふり散らかしてやる、と心に熱い想いを滾らせ、そろりそろりとベルに忍び寄っていると、周囲がざわざわと騒がしくなり、ベルとリルがほとんど同時に空を見上げた。
『な、なんだ? 何かあったのかベル?』
『……空、みて』
『ん? 空がどう、した…』
促されるまま俺は空を見上げ、言葉を紡ぐことさえ忘れ、突如現れたその景色に息を呑む。
遥か視線の先、極彩色に色付いた淡い光の天蓋が暗い夜空を舞う様に揺蕩っていたのだ。
その天蓋は揺蕩う度に幾重にも色鮮やかな波紋を残し、次第に空全体を覆い、広がっていく。
緑から青、青から紫、紫から赤、赤から黄、黄から緑。
うねり、なびき、星の光と調和しては、冷たく澄んだ空気を幻想的に飾り立てる。
オーロラの様でいてどこか違う、瞼を閉じることすら厭う程の麗しい光の海原。
絶景、という言葉で括ってしまうには余りに惜しいそんな景色に、この場にいる全員はただ粛々と見蕩れていた。
『……精霊の渚』
パチパチと組み木だけがはぜる静寂の中、リルが独り言の様にぼそっと呟く。
もっとこの美しい空に見蕩れていたい、そう思うのと同じくらいに俺の頭はこの現象への興味が湧き上がった。
『リル、このすげぇのがなんなのか知ってんのか?』
『知ってる、なんて言えたらよかったんだけど、名前しか分からないや。精霊の渚、かなり前に読んだ本にはそう書いてあったよ』
『ほぉ、これも精霊が引き起こしてる現象なのか。ちなみにその本にはこれについてなんて書いてたんだ?』
『ほとんど何も。ただ見惚れることしかできなかった、とそうあったね。読んだ時は、なんだそれって思って記憶に残ってたけど、実際目にしてみるとすっごく気持ちが分かるや。言葉で表そうなんて思えないもん』
『……そりゃあ違いねぇ』
納得するように深く頷き、場には再び木のはぜる音だけが響き始める。
それ以降、再び口を開こうと思う者は現れず、俺達はこの景色を魂に刻む様にぼーっと空を見上げ続けた。




