第二話 最弱の魔物
ムシャムシャ、ガリゴリ。
空腹を満たすため、そこら中に落ちている食べれそうな木の実を手当たり次第、口に入れては自慢の前歯でガリガリと削って食す。
味覚がどうなのか少しだけ心配していたが、その辺の木の実が十分美味しく頂ける程度には発達しているようだった(なんなら木の実が不味いことも想定していたがそんなことはなかった)。
外皮が硬いクルミのような木の実もあったが、我が最強技能《齧削》にて数秒で亡き者にしてやった。やはり《齧削》を使用している間は薄っすらと前歯が光るようで、僅かにではあったが精神力を使用するようだった。
ムシャムシャ、ガリゴリ。
この小さな体の一体どこに吸い込まれていくのか、かれこれ二十分以上木の実を食べ続けているが、まだまだ食べられそうな予感がしていた。
既にステータスから『飢餓』の状態は消え、気付かない内に生命力も全快しており、一先ずの命の危機は去ったみたいだった。
しかし。
しかし、そんなことはどうでもいいと思えるくらい喫緊の課題、言わば文化人(文化鼠か?)としての危機がすぐそこまで迫ろうとしていた。
身体の体積以上に木の実を食べたせいか猛烈な腹部の痛み、俗にいう便意が湧き上がっていたのである。
『う、う〇ちしたい、どうしよう』
そりゃあ異世界でもするよね、生き物だもの。
もちろんただの鼠である以上、その辺でいっちょカマしたところで誰も文句は言うまいが、元人間としてのちんけなプライドと経験がそれを許すはずもなかった。
建前を言うのであれば、食事中と排便中は生物にとっての最も隙の多い瞬間で、それを無防備にキメるというのは一鼠としてあるまじき行為なのであった(何も考えずに木の実食べてたのは内緒だぜっ!)。
『と、とりあえず穴だ、穴を掘ろう』
ガリゴリ、ガリゴリ。
言うが早いか、前足を使って竪穴を掘り始める。
ガリゴリ、ガリゴリ。ツンツン。
身体がすっぽり入るような深さまで掘り進め、そろそろ小粋なジョークの一つでも挟んでいきたいところだったが、差し迫る便意が借金取りのようにお尻を小突いていたので、更に奥へと穴を掘り進める。
ガリゴリ、ガリゴリ。ツンツン、ツンツン。
身体二個分ほどの穴を掘ったところで、いよいよ便意が限界に達したのか、借金取りの催促もしつこさを増す。というか、いい加減鬱陶しいくらいだった。
『ツンツン、ツンツンって鼠のお尻をなんだと……』
「グェッグェッ」
『グェッ?』
聞き慣れない鳴き声が穴の入り口から鳴り響き、首だけですっと振り返った瞬間、体中の毛という毛が逆立っていた。
ギョロギョロとこちらを覗き込んでいた巨大な蛙とばっちりと視線がぶつかったのだ。
「ヂュー!!!!!!!」
「グェエェェ!!!!!」
この世で最も非文化的な散弾銃を蛙の顔にぶちまけながら、自由落下してくる汚物には目もくれず、横穴を掘る。
幸い巨大蛙も急なお漏らしに驚いたのか追撃してくる様子はなく、穴のサイズ的にも侵入されることはなさそうだった。ほんの少し安心したところで冷静さを取り戻しかけたが、努めて冷静にならないよう心掛け、さっき起こったことをなかったことにしようと心を燃やす。
『許さぬ、貴様を決して許さぬぞ、この悪戯蛙めぇ!!』
異世界での最初の思い出がお漏らしになったなどとは断じて言えない……絶対、ぜってぇ許さねぇ。世は弱肉強食、その弛み切った腹食い破ってやる。
激情に任せたまま突っ込んでいきたい気分ではあったが、困ったことに相手はそこまで楽な敵ではなさそうだった。
一瞬だけしか見えなかったが、彼奴の体躯はこちらの数倍以上、子鼠など丸のみしかねないサイズ感の蛙だった。
前世の常識が通じるか定かではないが、蛙はほぼ全方位を見渡せる広い視野に加え、聴覚にも優れている。
こうして横穴を掘っていたところで大体の位置は把握されていると思った方が賢明だろう。一か八か逃げ切ろうにもこの体格差では追いつかれる可能性の方が恐らく高い。
ならば、この厳しい状況をどう打開するか。
心では奴への憎悪を燃やしながら、頭は冷静に一つの答えを導いていた。
『ふふふ、持久力を活かしたゲリラ戦だ』
不敵に微笑みながら、勝ち誇ったように小さく鳴く。
こちらはたらふく食べた直後で、安全な地下にいる。一方、相手は獲物食べる前の空腹な蛙で、地上には奴の天敵である鳥類の一羽や二羽いないはずもない。
じりじりと相手が油断するタイミングをゆっくり待って、そこから奇襲、待ち伏せ、攪乱を仕掛ける。諦めて逃げてくれれば重畳、意固地になって体力を消耗してくれれば思う壺だ。
子鼠を追い詰めたことを後悔させてやると、横穴をやや斜め上に軌道修正し静かに地表を目指す。
薄っすらと光が差し込んできたのを目安に、そろそろ地表かと一旦掘るの止め、掘るときに出てきた手頃な石を囮にするように放り投げる。
小さな石が土を押しのけ地表に出た瞬間、目にもとまらぬ速度で蛙の舌がその石を捕らえた。
「グェッグェッグェッ」
蛙は全てお見通しだと言わんばかりに三度鳴いた。
『憎きデブ蛙め、今に見てろ。元人間の恐ろしさを思い知らせてやる』
静かに闘志を燃やしながら一旦、横穴の中腹くらいに戻り、そこから更に別角度の横穴をいくつか堀っては、先程同様小石で地表への穴を空ける。流石の蛙でも何度かやるうちに学習したのか、石を舌で捕らえることはしなくなった。
穴を掘る。
地表までくる。
石が飛んでくる。
諦めて別の穴を掘る。
彼奴はきっとこう思っているに違いない、
「グェッ(愚かな鼠が足掻いておる、ファッファッファ)」
と。
腹立たしいことこの上ないが、しかしこの行動も作戦のうちの一つだった。
蛙に同じ行動を繰り返し見せることで、油断を、思い込みを生じさせるのだ。
臆病な鼠は穴からは出てこない、とな。
五つ目の横穴を掘り終え、ようやく下準備は終えたとばかりに、今回は石ではなく身体そのものを使って地表に出る。
蛙の音と匂いがする方をすぐさま捉え、宿敵のその姿を視界に入れる。
地面に紛れるような赤茶けた外皮とほんのり白い腹部。暗黒をそのまま宿したような無機質な黒い瞳に、レッサープレイグラットの三倍以上はある美しい曲線的な肢体とその身体を支える立派な四つ足。
出てくるとは思っていなかったのか、惚けた顔で奴はこちらを眺めていた。
「グェッ!?」
驚くような鳴き声と同時に赤茶蛙は飛び上がり、躊躇いなくこちらへとその巨躯を跳ねさせる。潰される訳にはいかないので、直ぐに穴に戻り衝撃に備えると、ドスンッ! と世界が揺れるような振動が身体に響いた。
横穴が崩落するような事態にもなっておらず、頭上にはほんのり白い赤茶蛙の腹が無防備に晒されていた。
『当初の予定とは異なるが、絶好のチャンス! 《齧削》&《弱瘴牙》っ!』
淡く光る前歯に技能を重ね掛けし、赤茶蛙の腹に迫る。
前歯が腹を捉えた瞬間、勝った! と喜びに打ち震えたが、その喜びも長くは続かなかった。
『硬ってぇ!!!』
柔らかそうに見えた腹の皮は岩を齧ったのかと思うほどに頑丈で、自慢の前歯ですら薄皮一枚剥くのが精々だった。
赤茶蛙はダメージこそ負っていないものの、舐めていた子鼠に齧られたことに驚いたのか、世界を揺らしながら短く跳ね、距離を取った。
両者ダメージ無しの仕切り直しといったところだったが、こちらの精神的ダメージは計り知れなかった。
『え、これ無理じゃない?』
小さな鼠は、呆けたような表情で絶望を呟いた。
当初の予定では、何度も何度も《弱瘴牙》を食らわせてから、状態異常まみれにして、倒す予定だったのだ。
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《弱瘴牙》
低確率で何らかの異常を引き起こす弱瘴の牙
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いくら低確率とはいえ、十回も齧ればなんとかなるだろうと甘く考えていたし、そのための作戦も練ってはいた。
しかし、まさか歯が通らないとは、考えていなかった。
先の感触なら《齧削》を使用して十回、いや数十回近く同じ場所に齧りついてようやく傷になるかどうかというところだろう。
こんな豊かな森があって、どうしてこの個体が餓えに苦しんでいたのか。
その本当の理由が今ようやくわかった気がした。
『……《最弱の魔物》ねえ』
攻撃が弱いのではなく、通らない。
必然、生存競争に勝てようはずもない。
薄暗い巣穴に籠って、偶然恵まれた餌を競うように食す。
そうすることでしか、明日を生きていけない小さき命。
それがこのレッサープレイグラットという魔物なのだ。
ともすれば絶望的な気付きに違いなかったが、不思議と落ち込む気分にはならなかった。
逆境、苦境に、窮地、危地。
難局、難所に、苦難、災難。
そんな些細なものは、もう何度も越えて来たのだから。
十代で死ぬと言われて、二十代を生きて。
もう起き上がれないと言われて、立ち上がってみせて。
両親に、周囲に、学校に、病院に、社会に、おんぶにだっこだったとしても、無様に必死に生きてきたのだから。
何が《最弱の魔物》だ。
こちとら《病弱な元人間》様だぞ。
たかが体が小さいくらいがなんだ。
たかが攻撃が通らないくらいなんだというのだ。
好き勝手動ける身体があるだけで、十全ではないか。
『鼠の王でも、魔物の王でもなってやる。僕は……いいや、俺はレッサープレイグラットのローデントだっ!』
誰も知らない世界の片隅で、最弱の鼠は名乗りを上げた。




