第四節 万化のシャルール
世界には七つの獣人種が存在する。
猫人族は、その一角を担う愛すべき獣人種である。
勤勉を美徳とし、不可視の神速を有するという神獣ベル=エトラピーデに仕えることを至上の喜びとする。
大別して四つの氏族に分類することはできるが、一族全体を通し、その性格は生真面目にして、勤勉。
努力を怠ることを何より嫌い、彼らの瞬脚は音すらも置き去りにして、助けを求める弱者の元へと駆けつける。
本節では、猫人族随一の適応力を誇る氏族『シャルール』の者達と初めて触れ合った際の体験談をもととして、彼らの驚くべき生態や文化を取り上げてゆく。
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豊かで文化的な生活を実現するために、真っ先に必要なのは充実した衣食住だと俺は思う。
『衣食足りて礼節を知る』なんて言葉がある様に、生命活動の基盤であるそれらが整っていなければ、豊かだの文化的だの言っている暇などないからだ。
温かくて美味しい食事。
寒さや暑さを凌げる衣服。
安寧をもたらす快適な住居。
これらが揃って初めて、他者を思いやれる心の余裕が湧いてくるのだろう。
そしてその点において、この猫人さん達の里での暮らしは百点満点中百二十点だった。
異世界無双を早々に諦める程に美味しい料理。
素朴ながらもどこか瀟洒な衣装。
(猫人さん達がそれを着ているのが更にグッド)
隙間風一つない清潔で美しい家屋。
前世の生活と比較してしまえば些か物足りない部分がないとも言わないが、それでもここでの生活はともすれば前世以上の贅沢三昧だった。
何しろ、この里では三食ごろごろ昼寝付きに加え、いついかなる時においても温泉に入りたい放題なのだ。
異世界に来た以上、お風呂の存在は半ば諦めていたというのに全く嬉しすぎる誤算である。
「ぷぃぷぃ~(うぅとろけるぅ~)」
「湯加減は大丈夫ですか、デント様?」
「ぷぃ、ぷぃ(うんむ、くるしゅうないぞ)」
「大丈夫そうですね……デント様、今更にはなるんですが、先日、弟を治療していただいたみたいで、本当にありがとうございました。あの治療がなかったら弟の脚がダメになってたかもしれないって聞いて、俺ほんとにデント様に感謝してるんです」
「ぷぃ~(よきにはからえ~)」
そして極めつけの贅沢は、この世話人システムだった。
この里に来て早五日、神獣であることが広まったのか、ベルの友人だからなのかは知らないが、気が付くと誰かしらが丁寧にお世話を焼いてくれて、ちやほやしてくれていた。
現に第一猫人ことフュイ青年も出会った時とは違い、神獣というだけで尊敬するようにこちらを見ている。
初めて会った時はベルをもふっただけで、鬼の形相をしてたのにえらい違いである。
『(調子に乗らないようにだけ、気を付けないとなぁ)』
砂漠の中にも関わらず無尽蔵に湧いてくる貴重な天然温泉を堪能しながら、俺はぼけーっとそんなことを考える。
世話人さんは毎回固定の決まった人が来るわけではなく、持ち回りで手の空いた猫さんが担当してくれるようだった。
そのため、代わる代わる色々な氏族の面々がお世話してくれることとなるが、ほとんどはシャルールという氏族の猫さん達が担当してくれた。
シャルールの猫さん達は他の三氏族とは異なり、真なる意味での猫人さん達だった。
パンテバリエが豹、ティグルソルダが虎、レオアルテが獅子だとしたら、シャルールの皆は正しく猫。
長毛、短毛、立ち耳、垂れ耳、反り耳、単色、三毛、キジトラ、サバトラ、サビ柄、かわいい、かっこいい等々その多様さこそ数あれど、猫という大枠からは決して外れない、それがシャルールという氏族なのだ。
遠目にみればもはや見分けはつかないが、今こうしてお世話してくれているフュイ青年もパンテバリエではなくシャルールの一族なのだという。
『ま、愛すべき猫さんであることには変わらんがな』
『……急に一人で何言ってるの?』
『おぅベル、実はな……ってベルぅ?! え、あ、その、なんだ、色々といいのか? 後で俺が怒られないか?』
『ん? なんでデントが怒られるの? もしかして、また悪い事したの?』
『い、いや、そうじゃないんだが、こう、あるだろ色々』
慌てふためく俺を差し置き、ベルは不思議そうに俺を眺めて首を傾げる(とてもかわいい)。
脳裏では、混浴文化なのかとか、そもそも普段から裸みたいなもんなんだから今更気にする必要はないかとか、目まぐるしく思考が錯綜していたが、何を聞いても碌なことにはならなそうだったので俺は大人しく口を噤んだ。
ここ数日間、ベルが温泉に入ってくることは一度もなく、てっきり猫らしくお風呂が嫌いなのかと思っていたが、どんな心境の変化なのだろうか。
俺が黙って思考を重ねていると、ベルは深く考えるのを止めたのか、特に何も気にした様子なく湯舟へと踏み込む。
変な緊張が一瞬だけ走ったが、それも束の間、それ以上の驚きと超常現象に俺は唖然とした。
『な、なあベル、なんかお湯が綺麗になってないか?』
『ん、なってる。そういうもの』
『そういうもの、ってそんな適当な……もしかして特性にあった《純白の聖女》の効果だったりするのか?』
『知らない、ずっとこうだった』
『……』
片や清廉潔白の最強もふもふ、片や疫病塗れの最弱鼠。
余りの神獣格差に俺は閉口するほか、この行き場のない感情を収める方法を知らなかった。
唯一、ベルが温水に浸かって萎んでいく姿を見て俺は溜飲を下げたが、ベルに気付かれ抵抗虚しく水底に沈められた。
*****
温泉から上がり、一人の人間を丸々乾かせそうな巨大ドライヤーモドキの前で、俺とベルはくつろいでいた。
『どうよベル、温泉は最高っしょ?』
『ん、濡れるのはちょっとヤだけど、悪くない』
水で萎んだ姿を笑ったことをまだ根に持っているようだが、ベルは満更でもなさそうに言った。
こういう態度の時は、かなり気に入っていることがほとんどで、セットで付いてくる恨み言は九割方照れ隠しだった。
意外とちょろいんだからベルたんは、と不届きな考えをしていると何かを察したベルの尻尾が容赦なく俺の後頭部を捕らえる。……解せぬ、どうしてバレたのだ。
『姫様、随分とデント様と仲良くなられましたね』
『……デントがおバカなだけ、直ぐ調子に乗る』
『ふふっ、不思議なお方ですよね。妙に親しみやすいというか、私達に気を遣ってそうしてくれているのでしょうか?』
『んん、馴れ馴れしいだけ。デントは考えてそうで、何も考えてない。間違いない』
『では天性のものなのですね、里の皆からもかなり好評みたいですよ、デント様』
ベルがフュイ青年と何かを話しているが、ベルが俺に呆れていることくらいしかその内容は掴めない。
『翻訳してくれよぉ』とダル絡みしても普通に無視されてしまったので、俺はいつも以上にもふもふしてる(気がする)ベルのふわふわボディを念入りに嗜んだ。
ベルはごろごろと喉を鳴らす直前までいって、フュイ青年の存在を思い出したのか、キリッと神獣様モードになって話しかけてきた。
『今日はどうする? シャルールの皆に会いに行く?』
『おう、他の皆にはもう挨拶したしな。丁度フュイ青年もいるし好都合だろ』
『ん、フュイにも訊いてみる』
そう言って、ベルはフュイ青年と会話を交わす。
ややあって移動を開始した俺達は、ベルの豪邸に付属する温泉から出て、畑をやっているというフュイ青年の実家へと向かった。
里では一般的な木骨レンガ造の民家を通り過ぎ、見えてきたのは家庭菜園の枠を優に越えた大きな畑が密集した地区だった。そこでは輪作でもやっているのか、畑ごとに育てている作物が異なっており、白、赤、緑、黄とカラフルな野菜達がたわわに実をつけている。
猫人さんの姿もちらほらと散見され、今はお昼休憩中なのかほとんどの猫さんが一ヶ所に集まって食事をとっていた。
フュイ青年は迷うことなく、サバトラの猫さんの一団へと歩み寄ったかと思うと、砕けた様子で何かを話し始めた。
『母さん、今ちょっといいかな』
『フュイ? 今日は姫様の、って姫様っ?!』
『ん、久しぶりニア。今日はシャルールの皆に会いに来た、時間は平気?』
『は、はいっもちろんです! 今すぐ準備しますので…』
『だめ、ゆっくりご飯食べてからでいい』
ベルの存在に気付いた結果、ざわざわと猫さん達が騒がしくなる中、俺は辺りをきょろきょろ見渡していた。
あの作物はなんなのか、シャルールの人達が食べている生野菜はどんな味なのか、燥ぎ回る子供達は何をして遊んでいるのか等、興味を掻き立てる物が余りに溢れていたのだ。
とりわけ、未知の美食への探究心は抑えることが出来ず、ベル経由なら分けてくれるだろう、と俺は悪知恵を働かせることにした。
『なあベル、俺もあの野菜食べてみたいんだが、頼んでみてくれないか?』
『ん? 別にいいけど……ニア、皆が食べてるそれ、少し分けてもらってもいい?』
『か、構いませんが、姫様が召し上がるのであれば、今からでも調理したものを持ってきますよ?』
『んん、デントは多分そのまま食べてみたいんだと思う』
『承知しました、直ぐに持ってきますね』
了承されたのか、一人のシャルールの女性が畑へと入り、白いトマトの様な野菜をもぎって持ってきてくれた。
中でも、綺麗で食べ頃の物をわざわざ持ってきてくれたのか、丸々と大きく張りのあるそれは、非常に食欲を奮い立たせる見た目をしており、俺は我慢ならんと大口を開けてかぶりついた。
見た目通りトマトの様な味なのかと思いきや予想していた酸味はやってこず、リンゴとナシの中間のようなしゃきしゃきした歯ごたえと、優しい甘さが口一杯に広がる。
糖度はそこまで高くないがむしろそれがいい仕事をしており、いくらでも食べれそうな程すっきりとした後味と瑞々しさが次の一口をこれ以上ないくらい急かしていた。
気が付けば、一瞬で目の前の野菜は消失し、俺は感動しきりに猫さん達にお礼を告げていた。
『どうでしょう、マトルはお口にあったでしょうか?』
『ん、凄く喜んでる』
『そうですかっ、今年はかなり豊作で出来がいいんですよ』
『いつでも美味しいよ?』
『姫様は褒め上手ですね、後で皆にも伝えておきますっ』
その後もベルの翻訳に助けられながら、俺は色々な野菜を心ゆくまで楽しみ、その間俺達はシャルールの面々の家族構成や人柄なんかの他愛ない会話を続けていた。
『ニアさんは、フュイ青年のお母さんなのか。こう言っちゃあれだが、あんまり似てないな』
『ふふっ、家の子は皆、夫のフォルに似ておりますから。ここだけの話、生まれた時に夫と同じパンテバリエだと思って、フュイって名前にしちゃったんです』
『へぇ、お父さんは黒豹さんなのか。当然っちゃ当然かもしれんが、違う氏族で結婚することもあるんだな。子供がどっちになるかとかは分かんないのか?』
『そうですねぇ、大体私達シャルールになるんですけど、たまに違う氏族の子も生まれるんですよ。家だと次男のフォイなんかはパンテバリエですね』
『ほぉ、それでこの人口比って訳か』
近くで燥ぐ子供達を見ても、他の氏族の子供はほんの少ししかおらず、ほとんどが普通の猫さん達だった(ちなみに、里全体を通してもほぼ同様で、シャルール対他氏族で比較しても七対三くらいの割合だという)。
『なあベル、パンテバリエは護衛や神官、ティグルソルダは戦士、レオアルテは専門職って感じだったけど、シャルールは何が得意なんだ? 割とどこでも見かける気はするが』
『……何がって答えるのは難しいけど、シャルールの皆は何でもできる。レオの皆とは違った器用さがある』
『ほう、なんでも、とは大きく出たな』
『ん、農業も料理も裁縫も建築も戦闘もなんでもできる。一人一人の力は他の皆には及ばなくても、力を合わせてなんにでもなることができる。とっても凄い』
自分のことのように誇らしそうにベルは言う。
特化した個性がないからこそ、何者にだってなることができる、それこそが彼らの持つ最大の個性なのだろうか。
『なによりシャルールの皆のおかげで、里全体が凄く活き活きしてる。小さい子達が笑顔で遊べるこの里を、私はずっと守っていきたい』
締めくくる様にベルが続け、その視線の先には元気一杯に走り回る子供達の姿が映っていた。
暮らす世界は違えども、至上の宝は子供達。
そんな当然の考えに異論の余地などあろう筈がなかった。
『ベルから見てさ、猫人さん達の一番の魅力ってなんだ?』
『一番の魅力?』
『思ったままを答えてくれりゃあいい。なんかどうしてもベルに訊いてみたくなってな』
ここ数日、多くの猫人さん達に会って、沢山の良い所を見てきたが、彼ら彼女らの魅力を最も理解しているのはベルを置いて他にはいない。
だからこそ、俺はそんな疑問を投げかけたが、ベルは考えたこともなかったのかしっかりと悩み抜いてからそっと答えた。
『……優しくて温かい所』
『ほう、その心は?』
『なんとなくそう思っただけ。私のお母さんはすぐに死んじゃったから、私には本当の家族ってものが分からない。でももし家族が居たら……きっと里の皆みたいなんじゃないかって、そんな風に思った』
ベルは恥ずかしそうに照れていたが、その態度こそが先の言葉が紛れもない本心だということを告げていた。
全く関係がない筈なのに、俺は目頭が熱くなった。
『そっか……偉そうに踏み入ったことはいえねぇけどよ、その言葉、里の皆に伝えた方がいいんじゃねぇかな』
『いい、恥ずかしい』
『絶対喜ぶぜ? てか号泣するぞ。ほら、生きってっと急に異世界に飛ばされるかもしれないしさ、言っとこうぜ?』
『そんなことある訳ない……でもまあ考えとく』
口ではそう言っているが、ベルならきっときちんと伝える、そんな確信が俺の中にあった。
だってベルは、この里の皆と同じ、いやそれ以上のとびきり優しくて温かい神獣様なのだから。




