第二十話 旅の始まり
『いやだぁぁぁ、オラ、この里から出たくないぃぃぃ、もうここに住むぅぅぅ』
じたばたどたばた。
恥も外聞も一切気にせず、みっともなく駄々を捏ねる一匹の鼠がいた。何を隠そう、バトル系最弱主人公から一転癒し系魔物ヒロインに転職したこの俺、ローデント様であった。
ベルと出会って丁度一週間、俺は命を脅かされることもなく猫人族の里で最高の異世界ライフを満喫していた。
この一週間、聞くも涙、語るも涙の大冒険を繰り広げたが、ここで語るには余りにその物語は遠大に過ぎたので、非常に残念ではあるが割愛させていただくこととする。
猫さん達との愛と絆の物語は我が旅路の果てで、余生にでも描くとしようではないか。
『里の猫さん達は全員優しいしーもふもふだしーかわいいしー、三食昼寝おやつ付きでゴロゴロしても優しくお世話してくれるっ。ここがオラが求めた桃源郷、いや、もっふもふぱらだいすだったのだよ! 分かるかね、ベル君っ!』
同情と理解を誘うようにちらっ、ちらっと隣に居る純白の天使、ベルに視線を向ける。
が、帰ってくるのは、吹雪ような冷たい視線だけ。しかもその視線すらも何事もなかったかのようにぷいっと外されてしまい、ベルは黒豹さんとの会話に戻ってしまった。
ここでの生活の唯一にして最大の欠点を挙げるとすれば、ベル経由でしか里の猫さん達と会話する手段がなかったことである。
『なぁベルぅ、頼むよぉ、十年とか五年とかわがまま言わないからさあ、せめて一年、いや数ヶ月でもいいから、もうちょっとくらいここに居ようぜ? 里の猫さんもベルがいなくなっちまうだなんて寂しいと思うんだよなぁ、なぁベルぅ』
ここ一週間の努力が結実し、ベルをツンツンしても誰からも怒られなくなったのをいいことに、もふもふ、つんつんとベルの横っ腹をつつく。
直後、ベシッとベルからの手痛い肉球パンチが俺を襲い、ほんの僅かに生命力を削った。ここ一週間でベルの手加減力もかなり向上しているようだった。
『んもぅ、ベルったら照れ屋さんなんだからぁ、周りに誰もいない時はごろごろ喉を鳴らして……って、あぶねえ!! 今、割と死にかねない威力だったよねっ! ベルさんっ、こちとら元最弱ですぜっ!?』
『デント、うるさい。こっちは真面目に話してる、静かにしてて』
『へ、へい、承知しやした、姫さ……どぅおぉ! し、しぬぅぅ!』
俺がギリギリ避けれる速さの攻撃を繰り出す(といってもここ最近本気で当てに来ているような気がしなくもない)心優しいベルから距離をとって一息つく。
ベルは何故だか知らないが、俺から『姫』と呼ばれるのを凄く嫌がっていた。
しかし、可愛い子ちゃんに嫌な顔をされたいと思ってしまう生物マニアの悲しき性なのか、時折ついついこうして揶揄うように呼んでしまっていた。
『(抵抗は無駄か。まあ、ここでの暮らしも悪くはない、どころか本当に望むところですらあるが、ベルとの気ままな旅も悪くない、か)』
これ以上邪魔すると本当に拗ねられてしまう(口を利いてくれなくなる)ので、心の中でそんな風に呟く。
男子、三日会わざれば刮目して見よ、とはよく言ったものだが、ここ一週間で俺もだいぶんとベル達との付き合い方が上手くなっていた。
『(それに気になることも色々増えたしな)』
俺はステータスと頭で念じ、名前が『ローデント』ではなく『ローデント=オーヴィーズ』となっていることを再確認する。
ここ数日、俺は何も遊び惚けているだけではなかった。
この世界の状況や歴史、種族の文化やその他諸々の調査をしていたのだ。
その調査の中でいくつか発見があり、その一つがこの『オーヴィーズ』という姓であり、鼠人族の者達のことだった。
又聞きとはなるが、ベルが神獣として猫人族の皆に信仰されているように、本来であれば俺にも信仰を捧げてくれる鼠人族という種族の者達が居たはずなのだという。
その証拠にベルや俺には《猫王の因子》や《鼠王の因子》という称号が備わっており、遥か神話の時代、世界には七つの王たる神獣とそれを崇める獣人族が居たのだという。
『(でも、鼠人族は滅んじまったかもしれねえ、と)』
悲し気な響きを持って、俺は心の中でそう繰り返す。
そう『本来であれば』鼠人族の者達はこの世界に『居た』はずだったのだ。
しかし、現在数十年に渡って彼らの生存を確認している獣人種は存在しない。
七匹の獣を信仰せず、『魔法』を信仰対象とする『魔族』との戦争で、彼ら鼠人族は絶滅してしまったからだ。
魔族は獣人族の庇護下にありながら、突如何の前触れもなく背後から獣人族を襲ったのだという。
神獣の恩恵を受けぬ脆弱な身でありながら、強靭な獣人種に牙を剥き、弱者を攻撃することを良しとしなかった獣人達の温情によって、魔族は生き長らえ増長に増長を重ねていったのだ。
奴らは脆弱だったが、同時に酷く執念深かったという。
魔族を滅ぼそうとはせず、守りに徹した獣人達はその執念のせいか次第に数を減らしていき、戦争によって世界に六つの人外魔境が出来上がる頃には、一部の獣人種を除きほとんどの獣人達は絶滅の危機に瀕していたのだという。
そしてそんな時に立ち上がったのが、『オーヴィーズ』の一族、鼠人族だったのだという。
彼らは七つの獣人種の中で最も弱い代わりに非常に人口が多い種族であり、そしてどの獣人種より他の獣人種を尊敬していた謙虚な者達だった。
それゆえ、他の獣人達が滅びゆく様を放置してはおけず、六つの魔境に隠れ棲むことをそれぞれの獣人達に提案した。
戦いに疲れていた獣人達はその提案を飲んだが、魔族がその行動を見逃す筈もなかった。
その逃亡戦は苛烈を極め、彼らオーヴィーズの者達がその膨大な人口を以てして、殿を務めなければ今この世界に六つも獣人種は残っていなかったという。
多くの獣人が死に往く中、いつだってその先頭に立って、他種族を守ろうと種族の命運すら懸けた誇り高き者達。
それこそが『オーヴィーズ』の一族であり、その名に込められた意味は『高みを目指す者』だという。
『(どっかで、生きてくれてりゃあいいけどなあ。一目、会ってみたかったぜ)』
そう呟くものの内心はほとんど諦観に染まっていた。
現在この世界、アビストリア大陸のほぼ全域を魔族の国が掌握しているそうだ。
獣人達に残された生活圏は魔族の住めぬ六つの魔境のみ。
地の魔法の残滓により、底なしの深淵に飲まれた大山脈。
『奈落の霊峰』
水の魔法の残滓により、渦と大波に沈んだ麗しき都。
『没渦の湖都』
火の魔法の残滓により、絶えず燃え続ける死者の砂漠。
『不死の炎漠』
風の魔法の残滓により、雨と雷が吹き荒れる嵐の空島。
『銀嵐の浮島』
光の魔法の残滓により、栄華を極めた植物達の楽園。
『煌芽の樹海』
闇の魔法の残滓により、常闇に包まれた氷点下の大森林。
『月下の凍て地』
天変地異が毎日のように起こり、強靭な獣人種でさえ結界を張り巡らせることでしか生活することのできぬ、魔物達の巣窟。それが獣人達の最後の住処だった。
『(それも一体いつまでもつことやら)』
十年や五十年、もしかしたら後百年は獣人達は無事かもしれない。
けれど、その先の未来はもう真っ暗闇の中だった。
いつ魔境に適応するともしれない魔族に怯え、明るい未来がないと知りつつもバレないように隠れ棲むしかない。
魔族を滅ぼせるだけの強大な力を持っていながら、彼らはそれを振るうことを良しとしないのだから。
『(馬鹿正直なくらいに優しいこの猫さん達が治める平和な世界を見てみたかったもんだぜ)』
随分と複雑な心情で見るしかなくなった燃える砂漠、『不死の炎漠』を眺めながら、儘ならない世界に愚痴を零す。
できることならこの生真面目な大馬鹿者達を救ってやりたかったが、この小さな体では子供の獣人種にすら敵いもしないのだ。
世界を変えることなど、夢のまた夢である。
だからせめてという訳でもないが、この愛すべきもふもふ達が穏やかに暮らしている姿を脳裏に焼き付けておきたい、そんな考えがここ数日何度も頭を過ぎった。
『……フェル、何回もしつこいから無視する。デント行こ』
『え、あ、おう。でも、いいのか? 黒豹さんまだなんか言ってるぞ』
『いい、フェルはいちいち話が長い。聞いてたら日が暮れちゃう。夜は危ない、主にデントの命が』
『そ、それもそうだな。ほんじゃあ名残惜しいがそろそろ行くかっ』
『ん、初めての旅、とても楽しみ』
思考を遮るようにベルから声がかかり、流されるように乗せられ、どこか上機嫌なベルの言葉を聞いて、少し落ち込んでいた俺の気持ちも釣られて昂ってくる。
ベルが楽しみなように、俺も正直なところワクワクを抑えきれずにいるのだ。
まだ見ぬ獣人達に、不可思議で幻想的な光景、想像もできない食べ物達に、奇想天外な魔物達。
この未知の異世界には、予想だにしていない冒険の数々がまだまだ俺を待ち受けているのだ。
これで、ワクワクするなという方が無茶な話だった。
『よおし、待ってろ世界! 世界中のもふもふというもふもふ、このローデント様が堪能してやるからなぁ!』
最弱を抜け出した小鼠の果てしない旅は、こうして幕を開けた。
その傍には、なんとも頼りがいのありそうな一匹の猫が寄り添っていた。




