第十九話 愚かな魔物
(Side ベル=エトラピーデ)
里での暮らしは良く言えば平穏、悪く言えば退屈だった。
里の皆は生真面目過ぎるのか、必要以上に私を大切にしようとする(私の方が強いのに)。食べ物も、眠る場所も、何から何までお世話をしようと皆が寄ってきて、気付けば私がすることが何一つなくなってしまう。
有難いと思う反面、申し訳なく思うし、退屈だった。
だから私は、里から少し離れた森で暮らすことにした。
最初は猛烈に反対されたが、なんとか説得に説得を重ね、今では弱い魔物が森に近付かなくなるからと大儀名分ができたことで里の皆が感謝してくれるまでになった。
そこからというもの、気ままに森を走り回ったり、たまに湧いてくる弱い魔物達をバレないように眺めるという暇つぶしが私の日課となった。
フェルや兵士の皆はレベルを上げてみてはどうかと時折言ってくるが、私はこの強すぎる力を振るうのがどうにも好きになれず、魔物達を観察して居る方がよっぽど楽しく感じていた。
……とはいっても、そんな日課をずっとやっていれば飽きがくるというもの。
蛙に蜥蜴、鳥、虫、スライムともう何度も何度も同じ魔物を繰り返し見ていれば、次第に面白みもなくなっていた。
そうして、フェル達の言うようにレベルを上げてみるかと思ったそんな矢先、私は初めて見るとある魔物に出会った。
その魔物がちょこまかと動きながら尻尾をゆらゆらとさせる様は、つい飛び掛かりたくなるほどに魅惑的で、本能を抑えるのに何度も手を焼いた。
とても珍しいその魔物は、本当にどうやって生きて行くのかと心配になるくらい貧弱だった。
普段は手を出さないようにしていたのに、その余りの弱さにとうとう我慢ができなくなり、幾度も気付かれないよう手を貸してしまった。
私は見慣れた魔物達には目もくれず、数週間その魔物を見守り続けていたが、定期的に里の皆に顔を見せる約束をしていた事もあって、ほんの一日だけその魔物から目を離した。
その一日で死んでしまわないか気が気でなかったが、どうやらなんとか生存しており、私がほとんど使っていない私専用の寝床のすぐ傍に巣穴を作って、沢山の子供を産んで育て始めたようだった。
そこからしばらくまた観察の日々が続き、このまま増えたらどうしよう、と一瞬不安が過ぎることもあったが、結局はそうはならず、私がいらぬ手出しをしたせいで全てが台無しとなってしまった。
魔物とその子供達を死に追いやってしまった罪悪感もあって、もうこれ以上魔物達の生き方に干渉するのを止めようと決心したにも関わらず、私はその決心を一日もしないで裏切ることとなってしまう。
罪の意識からほんの少しだけ見守っておこうと思っていた子供の魔物が、今まで見てきたどんな魔物達より、妙な魔物だったからだ。
態々木に登って鳥の魔物に襲われそうになってるのにぼーっと景色を眺めたり。
蛙を落とし穴に嵌めて高笑いしたかと思うと親蛙に殺されそうになったり。
体をびちゃびちゃにして警戒もせず泥浴びをしたり。
フェルの矢が迫ってるのに変な顔で建物に近づいたり。
里の皆の匂いがするはずなのに里の方へ行こうとしたり。
勝てるはずのない蜥蜴や親蛙に挑んで何故だか勝利を掠め取ったり。
一日そこらとは思えないほど何度も何度も何度も死にかけ、私が手助けしていなければ、もう何回死んでいるか分からない行動ばかり狙ったように行うのだ。
子供を産んだ母魔物と同じ種類の魔物のはずなのに、その所作や立ち振る舞いが飛び抜けでお馬鹿で、間抜けで、次は何をするのか、何を見せてくれるのかと、どうしても目が離せなくなってしまった。
こんな経験は生まれて初めてであり、そしてこの奇妙な魔物は更なる初体験を私に齎した。
貧弱な癖に、お馬鹿な癖に、間抜けな癖に、その魔物は私に挑んできたのだ。
最初は私の姿を見ただけで、血相を変えて地下深くまで逃げたその足で、震えながら牙を剥いて来たのだ。
負けるはずのない、というより敵対しているとすら思っていなかった、その魔物との戦いは、驚くべきことに私の敗北で幕を閉じた。
挑まれることも、敗北することも、命乞いをすることも、何もかもが初めての経験だった。
そして、そんな経験をして初めて、私は誰より傲慢な猫であることに気付いた。
お母さんを殺したこの強すぎる力が嫌いだったから。
生き物を殺すあの感覚が好きになれなかったから。
何をせずとも里の皆が受け入れてくれるから。
そんな言い訳ばかりを並べて、強くなることに、生きるということに必死になっていなかったと、ようやく私は気が付いた。
お馬鹿だ、間抜けだと、偉そうに魔物達を上から見ておきながら、そんなことにさえ気付けていない私自身が、一番の愚か者だと気付くことができた。
私を倒した小さな魔物は何も死に急いでいたのではない。
生きることに誰より必死に立ち向かっていたのだ。
しかし、そんな数々の気付きも動かない体の前では何の意味もなかった。
『(せめて、次の生では懸命に生きよう)』
そう覚悟して意識を手放し、もう覚めることはないと思っていた意識はまたも予想外の形で復活した。
進化を果たして姿を変えた小さな魔物が、私を懸命に治療していたのだ。
さらに、治療を終えたかと思うと今度はその魔物が意識を手放し、無防備に私のお腹に全体重を預けて眠ってしまっていた。
私には、もう一から百まで訳が分からなかった。
どうして私が生かされているのかも。
命を脅かしたはずのこの太々しい魔物を憎からず思ってしまう理由も。
考えれば考えるだけ、分からなくなっていった。
『私は魔物、難しいことは考えない。気怠いし寝る』
私は考えるのを止め、体を労わるように眠りについた。
*****
寝始めてから数時間ほどが経過して、一体どんな夢を見ているのか、『もっふもふ、ぱぁらだぃす』などと意味不明な寝言を宣う鼠の魔物、デントに、不愉快な気分にさせられながら私は意識を覚醒させた。
色んな誤解とすれ違いを説明して、私達はお互いの状況を理解した。理解した上で、これからのことは考えているのかと、私はデントに尋ねてみた。
すると、
『これから、ねえ……特に決まっちゃいないが、進化して強くもなりたいし、この世界の色んなものを見て、知らない生き物を見に行きたいかねえ。どうせこの身は極めて貧弱、思いっきり旅して、適当に野垂れ死にするのも悪くないさね』
というなんともこのデントらしい雑な答えが返ってきて、不思議と私はその答えを甚く気に入っていた。
生き物を見に行くという部分に興味があったからかもしれないし、『次は懸命に生きる』と決心したあの考えと割と似通っていたからかもしれない。
だから、私はデントの旅について行くことを決心した。
色々と他にも理由はあったが、一番は直感だった。
この鼠の波乱万丈な旅路は見ていて絶対に退屈はしない。
それに、デントが私の知らないところで、楽し気に燥いで、勝手に死んでしまうのは、どうにも許せそうになかった。
このまま黙ってデントと旅に出ても良かったが、流石に里の皆に挨拶ぐらいはしておくべきだろう(というか黙って出ていくと、総出で迎えにきそう)と一旦里に帰るべく進路を定める。
無論、説明のためにもデントを連れて行くことになるが、説明が面倒だったので、なんとなく着いて来るようお願いしたら、普通に快諾された。
デントは、考えているようで何も考えてない。
道中、何故か砂漠を見て、異常に舞い上がるデントを鬱陶しく思いながら、私は里の入口へと辿り着いた。
勝手に入っても怒られないどころか、行列ができるくらいには歓迎されるが、それが嫌だったので、門の外で誰かが来るのを待つ。
多少は待つことになるかと予想していたものの、数分もしないで今日の見張り当番であろうフュイが現れ、デントを見て意外そうな表情を浮かべる。
職務を思い出したように私に大仰な挨拶をするフュイを尻目に、私は勿体ぶる必要もなかったのでスッと要件を切り出した。
『出迎えありがとう、フュイ。色々あって、横にいるデントと旅に出ることにした。じゃあ、行ってくる』
『勿体無きお言葉、ってひ、姫様? い、今なんと仰いました? 大変心苦しいお願いなのですが、もう一度お聞きしても?』
来たばかりで慌てていたのか、フュイは聞き逃したようだった。デントと長いこと喋っていたから、上手く伝わらなかったのかもしれない。
『旅に出ることに…』
『にゃ、にゃ、にゃりませぬ、姫様!!! ま、先ずはどうしてそのようなことににゃったのかお聞かせくださいっ! 我々に不満があるなら、にゃんでも仰ってください。里の者全員でにゃんとか致しますゆえ』
『フュイ、大げさ。それに小さい子みたいな喋り方になってる。適当に里の皆に伝えておいてくれれば、それでいい。旅って言っても、ちゃんと気が済んだら帰る』
『……お、お願いです姫様。只今フェルジル総司令をお呼びしますので、どうかこの私の首一つで、お待ちいただくことはできないでしょうか? それで駄目なら、もう二、三人連れて…』
『首なんていらない。もっと命大切にして……待つから、フェルを呼んで』
ほんとに首を差し出しかねない視線の圧力に屈し、フュイの提案通りフェルの到着を待つ。
その間に、細かい聞き取りをヒュイから受けているとデントは暇を持て余したのか、その場で跳ねて一回転したり、どこからともなく持ってきた木の実を空中キャッチしたりして、私達の気を引こうとしていた。
何をしているんだと冷たい視線を向けていると、今度はなにやらフュイの足を妙な手つきで触りだした。
『ひ、姫様、この魔も、んんっ、デント殿は一体何を?』
『私にも分からない』
『ん? 今度は姫様に近付いて何を……っ!! 姫様、今すぐその無礼首を刎ねる許可を下さいっ!』
『……気にしないで、フュイ。多分デントに悪気はない』
『ですが、姫様の神聖なお身体に汚い足でベタベタと…』
『デントはちょっと……いや大分抜けてる所があるだけ、私の方から叱っておく』
どこで経験したのか随分とこ慣れた手つきで私の身体を無遠慮に撫でるデントを手加減してガジガジしてから、里の皆の前では気を付けるよう厳命しておく。
流石のデントもそこまでされたら反省したのか、以降はちょっかいをかけることはなくなった。
『大変お待たせして申し訳ありません姫様。このパンテバリエ=フェルジル=エトラピーデ、一生の不覚にございます』
『久しぶり、フェル。別に大して待ってない、あと一々跪いて挨拶しないで、服汚れるでしょ?』
ほとんど無音で現れたフェルに対し、フュイとデントがビクッと反応を見せる。
心なしかデントは気付けなかったことに対してか、やや気落ちしているような様子で何かを考えていた。
『これでも随分と簡略化されたご挨拶ゆえ何卒ご容赦を。して、ご用件とは如何なるものでしょうか? 汚らわしい足で姫様に触れようとしている、その不埒者を血祭りに上げればよろしいのでしょうか?』
『……デントはちょっとお馬鹿なだけ、気にしないで。あと、多分だけど私と同類だから、大目に見てくれると嬉しい』
『鼠の魔物が姫様と同類? ……なっ!! であれば、その方が亡きオーヴィーズの者達の神獣様であると? もしかしてこの会話も…』
『さっきも言ったけど、多分、ね。どうしてかは知らないけど、デントは私や犬コロみたいに《精霊の愛し子》の称号を持ってないみたい。だから、会話も理解できてないし、好きに話しても構わない……後、どうでもいいけどデントがフェルに《鑑定》使っていいかって聞いてる、嫌なら無視するから好きにして』
『……色々と理解が追い付きませぬが、何となく事情は承知いたしました。それにしても、デント殿は《鑑定》が使えるので? 私に使うのは別段構いませんが、かなり希少な技能です。流石は神獣様、といったところでしょうか?』
私の話を聞いて、フェルはしばし悩み込むように眉間へ皺を寄せたかと思うとそう答えた。
《鑑定》は絶対断られるものと思っていたが、フェルは大して気にしていない様子で、むしろデントが《鑑定》を使えることに驚いているようだった。
正直デントを無視するとはいったものの、かなりわざとらしい上目遣いでこちらをくねくねと見つめてくるのが非常に煩わしかったので、こちらとしてもその返答は有難かった。
『ありがとうフェル。デントには《鑑定》したら大人しくしておくよう言っておいた……ってことで本題だけど、デントと旅に出ることにした、里に皆によろしく』
『……姫様、無礼を承知で申し上げますが、そのように軽く流されてよいことではございませぬ。フュイさんから《念話》で飛ばし飛ばしで聞いておりましたが、もう少し詳しい事情をお聞かせください。姫様は我らの誇りにして、心の支えでもございます。里の者達も急に姫様に旅立たれては悲嘆に暮れる者や不安に思う者も出てきます。一年や一ヶ月とは申しませんから、せめて数週間、我々に姫様を送り出すだけの猶予をいただけないでしょうか?』
『むう……皆が悲しむのは私も嫌、だから少しは我慢する』
『であれば…』
『けど、それも三日だけ。フェルは大体を余裕を持って言ってる。本気でやれば、早くできるって知ってる』
『ですが姫様、それでは余りに……む? 姫様、デント殿は何をしているので?』
一々話に水を差す様なタイミングで、今度はフェルの足に組み付こうとデントがぴょんぴょんと跳ねていた。
本当に一体、何をしているんだろうか、この鼠は。
教育のために一度、本気でどこかを齧ってみてもいいかもしれない。
『悪いけど、私にも何がしたいのか分からない……悪気はないと思うから、好きにさせてあげて』
『では姫様、この身の代わりに我々に一週間ほど猶予を下さいますか?』
『……分かった。フェルがそういうならそこがほんとにギリギリ。一週間は我慢する。デントには適当言って言いくるめておく』
『姫様の深き懐に、全霊の感謝を……にしても、頭の上に登ったかと思えば、まさか治癒の技能ですか? 《鑑定》と同じくらいには稀有な技能ですが、デント殿はこの目を癒そうとしてくれているのでしょうか?』
『そんな気もするけど、何かを試してるだけみたいにも見える。分かんない』
案外、フェルの毛の感触を確かめたかっただけかもしれない、と少し頭を過ぎったが、流石にそれはないかと、思考を切り替える。
その後、またフュイに聞かれたことをなぞる様にフェルの質問攻めにあい、気が付けばデントがフェルの頭で気持ちよさそうな顔をして眠っていた。
飽き飽きする質問の応酬に嫌気が差しながら、私もこんな風に自由に過ごせたらいいのに、そんなことを考えていた。




