第十五話 vs純白の悪魔
ブラッドサラマンダー、フレイムトードを倒したその足で、俺は一旦伐採湖近くの穴倉に戻り、あの恐ろしい白猫と戦うための準備をしていた。
といっても、億に一つの勝ち目もないことは明らかであり、比較的近い南の森の縄張り付近に籠城用の食料と水を準備するだけに留まった。
その準備はまるで練炭を密室でムラなく焚き上げるために、窓にテープを張り巡らせるようなそんな虚しい気分に俺をさせた。
『だけど、やるしかねえんだ』
うだうだと脳に血液を巡らせつつも、既に覚悟は決まっていた。
ごちゃごちゃと御託を並べてもよかったが、実際の所、最弱の鼠を死地へと突き動かしているのはたった一つの称号のせいだった。
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《託されし者》
この世を去った命に願いを託されし者、生命力が上昇する
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母鼠を退けた際に獲得したこの称号、《託されし者》。
この世を去った命に願いを託された生存者。
一度しか、なんなら数分しか顔を合わせていない母鼠は、一体何の『願い』を俺に託したというのか。
俺自身でさえ馬鹿馬鹿しいと思っていた、いいや今現在だって馬鹿な鼠だと思ってはいるが、そのことがずっと頭から離れずにいるのだ。
『もし、あの母鼠の願いが、奴への、あの爪傷をつけた白猫への復讐だとしたら』
それだけで、俺が行動を起こすには十分な動機だった。
命を投げ出して、俺に生きる力と時間をくれた母鼠へのせめてもの手向け。
億に一つも勝てなくたって構いやしない。
那由他の果てで勝利を掴み取る可能性があるのであれば、俺が挑まない理由はどこにも存在しなかった。
最弱の鼠の瞳に宿る仄暗い決意には、前世で何一つ恩返しのできなかった両親への忸怩たる思いが色濃く滲んでいた。
『とりあえず、今日の所は寝るか、決戦は明日だ』
自分に言い聞かせるように一度だけ鳴き、巣穴の中に作った葉っぱ作りのベッドに潜り込む。
そうして、鼠生最期となるかもしれない睡眠を噛み締めるように、俺は眠りについた。
*****
明くる日、妙に落ち着き、すっきりとした気分で巣穴から出た俺は、朝の気配に包まれた豊かな森をぐるっと見渡す。
たった三日ではあったが、もう見慣れたとさえ思えるこの愛しい森の空気を思いの限り吸い込み、気合いを入れ直すように、テシッ、と頬を叩く。
朝の森になんとも気の抜ける音が微かに響いた。
『うしっ、そんじゃいっちょ、ジャイアントキリングと洒落込みますか!』
言うが早いか、伐採湖の南に位置する未踏破危険地域、俗称『純白の悪魔の巣』を目指して、歩みを進める。
東西の縄張り、北の人工物群と違って、南の縄張りは伐採湖から程近い場所にあった。
伐採湖があることが関係しているのだろうが、今は正直そんなのことどうでもよく感じていた。
何しろこれから死にに行く、もとい奴を狩りに行くのだ、勝とうが負けようがもはや奴の縄張りがどこにあるかなんて考えても詮無き事だった。
益体もないことを考えてるうちに、数分とせず以前奴に遭った場所に辿り着き、毎度ご丁寧なことに律儀に待ち伏せてくれている一匹の真っ白な猫を見つける。
やはりというかなんというか、こちらの動きは筒抜けであるようだった。
警戒しつつ近付いてみるが、縄張りに侵入するまでは何もしてこないつもりなのか、白猫はじっと目をつぶって美しい姿で微睡んでいる。
観賞するように改めてまじまじと見てみると、本当にため息が出るくらい美しい猫であることを再度思い知らされた。
汚れ一つない神々しいほどに白く、もふもふな長い体毛。
メインクーンのように尖りつつも大きく可愛らしい耳。
高貴で洗練された顔立ちは、芸術品のようであった。
体長は約一メートル程で、大型の猫を想像してもらえば分かりやすいだろうか。じっと閉じられた目の下には、その残忍さと獰猛さを表す様に発達した犬歯が一対、口の中からはみ出しており、可憐な中にもしっかりと魔物としての本性が残されていた。
ぼーっと見惚れるように観察していると、流石の白猫も違和感を覚えたのか、僅かに瞼を動かし、サファイアと黒曜石を散りばめたような透き通った瞳でチラリとこちらを見た。
『これ以上近付けば、どうなるか分かるな?』、暗にそう言って来ているのが、ひしひしと伝わってきた。
『(あ、あぶねえ、あんまりに可愛いから普通に見惚れちまってた)』
白猫の威圧感に正気を取り戻しながら、蜥蜴戦よろしく怯えた振りをして地中に穴を掘り、逃走用の穴倉に繋げる。
この行動すら、察知されている可能性はあったが、やらないよりかはましだと、自分に言い聞かせ、再度戻って、覚悟を決めてから白猫に《鑑定》を使う。
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個体名:ベル=エトラピーデ
種族名:ノブレスブランシャ Lv 13/100
状態 :健康
生命力:3240/3240
精神力:3470/3470
攻撃力:310
知力 :339
敏捷 :422
技量 :325
運 :307
技能:
《精練気》《瞬脚》《豪炎爪》《炎刃牙》《幽影》《超知覚》
特性:
《打撃耐性 Lv2》《斬撃耐性 Lv2》《火炎耐性 Lv2》《純白の聖女》
称号:
《猫王の因子》《精霊の愛し子》《信仰されし者》《覇者の風格》《慈悲深き者》
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は?
思考を挟む須臾の隙さえなく、穴倉にいたはずの俺は空中に居た。推測にしか過ぎないが、《超知覚》で俺の《鑑定》に気が付いた奴が、何の技能を使うでもなく、ただ純粋な身体能力のみで背後へと周り、俺を空中へと弾き上げたのだろう。
なんの身動きも取れず、為すがままの状態で地面に舞い戻り、恐ろしく手加減された奴の肉球によって、地面へ縫い付けられる。
そうして、予期していた何もかもを置き去りにして、戦闘とすらいえない何かは終わりを告げた。
『(……《慈悲深き者》。何とも悪趣味な称号なこって)』
これだけのステータスを持っていながら、奴は未だ俺に傷一つつけることもなく、不快そうな顔でただこちらを見下ろしてた。
奴にしてみれば、こんなちんけな鼠にステータスを覗き見られたことさえ、きっと屈辱で仕方がないのだろう。
しかし、そんな不機嫌な状態でも一思いに殺しはしない。
なかなかどうして一本芯の通った《慈悲深き者》だった。
『(すまねえな、母鼠。やっぱり俺はこっちにきても親孝行一つできねえバカ息子だったみたいだ)』
断頭台でギロチンを待つ死刑囚のように、いつ死神の鎌が振り下ろされるのかと静かに運命の時を待つ。
何一つできない状況のお陰か、却って俺は冷静さを取り戻していた。
『(できることは……何一つねえな。はっ、マジでなんも思い付かねえ)』
そして、冷静さを取り戻してなお自身の無力さを嘆くことしかできずにいた。
ステータスの考察も、技能の工夫も、奇手・奇策の小細工も。奴にとっては、こうして力なく横わたっている状況と何一つ変わりはしない。
全力の一欠けらすら見せず、技能すら使わず、散歩の途中でほんの少し目についた路傍の石ころを蹴とばすかの如く、俺の命は毟り取られる。
奴にとってこんなのは暇つぶしですらなく、次の瞬間には別のことを考えているくらいどうでもよいことなのだろう。
奴の記憶の片隅ですら、最弱の鼠には居場所がない。
『(恵まれた生まれ、卓越した力、覇者としての生命。きっとこいつには、生まれもっての弱者の気持ちなんぞ分かりはしないんだろうな)』
激しく心臓が脈打つだけで、死に怯える苦しさも。
何もかもを諦めて、全てのものから距離を置く寂しさも。
周囲からガラス細工のように、煙たがられる虚しさも。
絶対強者であるこいつには分からない。
明日が絶対に来ると信じて疑わない。
健康で、何一つ不自由のない身体なんて当たり前。
好きに寝て、好きに食べて、思いのままに命を謳歌することができる。
僕に気付かれないよう陰で泣いて目を腫らす母さんを見ることも。
必死に僕を普通の人間のように扱おうとしてくれる父さんを見ることも。
愛しい人達の傷の上で、張り付けたように笑顔を続ける必要だってない。
そんな人生だったら、どれほど幸せだっただろうか。
『(………………ほんの少し生まれが違えば)』
それは前世からずっと胸に秘めていた想いだった。
心の奥底のさらに底、光すら当たらない深淵の底に隠した想いだった。
そう考えること自体が、母さんや父さんを侮辱しているようで、間違っても考えないよう蓋をしていた想いだった。
『(無邪気に笑って、友達と馬鹿して怒られて、何かを偉いことをして褒められて。大人になって、誰かと結婚して、子供を育てて……母さんや父さんじゃない別の誰かを両親と慕って)』
幸せに暮らしていたんだろうか?
封じ込めていた想いはヘドロの様に溢れ出し、心の中の黒い感情の一切合切を全て吐き出す頭を駆け巡った。
そして。
そして、溜まりに溜まったヘドロの奥で眠っていた、たった一つの想いが宝石のように光り輝いてた。
『……そんなのはっ、そんなのは僕じゃねえ!! 俺じゃねええ!!!』
突如叫んだ鼠に驚くように、白猫は鳴き声をあげ、抑えていた前足を放す。
すかさず一度距離を取って、真っ向から睨み合うように白猫の眼前に躍り出る。
『全部吐き出してみて、改めて分かったぜ。俺は母さんと父さんの子供で幸せだったっ! 病弱だろうと最弱だろうと関係ねえ、もう一度生まれ変われるってんなら、何度だって母さん達の間に生まれてやるっ! そんだけ俺の人生はてめえらより何倍も幸せだった!!! 今ならはっきり、そう言い切ることが出来るッ』
まるで言葉でも解しているかのように、白猫はこちらを見て怪訝な表情をする。
その間抜けな表情が何故だか非常に胸が空くようで、高揚する気分をさらに愉快にさせた。
『覚悟はできたか、猫助野郎。今度はお前が狩られる番だぜっ?』
昂る気分に呼応するように、最弱の鼠の小さな前歯に太陽のような光が宿る。
そして、それがこの猫さえ越え得る力であることを、本能が、魂が知っていた。
ローデントは、誰に教えられるでもなくそれがどこかの神様による一度切りの恩寵であることを悟り、謎多き称号《最弱の魔物》の真実を知った。
頭に浮かぶ偉く大層な能書きを微かに鼻で笑うと、俺は一直線に大地を駆ける。
刹那、生命の危機を感じた純白の猫があらゆる術を駆使して逃走を試みるが、全てを踏みにじるような不可視の速度で、最弱たる牙は因果を収束させる。
ほどなくして、地上に突如現れた太陽は輝きを失い、木の実の森にドサッと何かが倒れる物音が一度だけ響いた。
必然、大地を踏みしめて立っていたのは、この世界で最弱の魔物であった。
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《最弱の魔物》
この世界で最も弱き魔物、その魔物の魂が輝きに満ちる時、その牙は神さえ凌駕する不可避の尖撃を放つ
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