第十二話 木の実の森の王
伐採湖からやや東に流れ、相変わらず数種類の広葉樹しか生えていない生命の気配を感じない森の中、一匹の鼠が痺れて動かない茜色の蜥蜴にトドメを刺していた。
『体力も回復してるし、レベルも上がってるな。重畳重畳』
激闘などまるでなかったと言わんばかりに鼠の身体に外傷はなく、俺は口笛でも吹きそうなくらい上機嫌な口調で『ステータス』と呟いた。
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個体名:ローデント
種族名:プレイグラット Lv 9/10
状態 :健康
生命力:670/670 ⇒ 730/730
精神力:180/180 ⇒ 240/240
攻撃力:14 ⇒ 20
知力 :117 ⇒ 123
敏捷 :23 ⇒ 29
技量 :14 ⇒ 20
運 :144 ⇒ 150
技能:
《齧削》《瘴牙》《静骸》《練気》《鑑定》
特性:
《疫病耐性 Lv2》《飢餓耐性 Lv1》《登攀》《掘削》
称号:
《最弱の魔物》《愚かな転生者》《鼠王の因子》《託されし者》
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個体同士の戦いではブラッドサラマンダーより多分強い赤茶蛙を毒で倒した? 際にはレベルが二しか上がらなかったのに、今回は二匹のブラッドサラマンダーを倒すだけで、レベルが六も上がっていた。
経験値の詳細な仕組みが分からず、あざと可愛いポーズで頭を捻るがそんなことしたところで分かるはずもない。
『くそぅ、あいつらが共食いしなけりゃ、進化してたかもしんないのになあ』
近くで血を流して横たわるもう一匹のブラッドサラマンダーの死体を見て、口惜しそうにチューチューと鳴く。
こうして生きているだけで十分幸せなことなのに、生き物の欲望とは限りのないものである。
『他に生き物も居なさそうだしなあ、あの焦げ茶蛙を倒すしかないか?』
蜥蜴相手に辛くも勝利した俺は、随分と調子に乗った発言をするが、そこには自分なりの思惑があった。
確かに、以前の俺と奴との間には絶望的な壁があった。
しかし、今の俺には僅かだが上昇したステータスと最強の技能《鑑定》がある。
相手の技能を予測し、彼我の戦闘力の差を認識した上で手玉に取ることが出来るのだ。《鑑定》さえあれば、あの白い悪魔にだって、万に一つ、億に一つ勝ちを得ることができるかもしれない。
『俺がこの木の実の森の王になる日は近い……とはいえ、先ずは手頃な魔物が居ないか、東側を探索だな』
森の王などと偉そうに息巻いてはいたが、正直そんなつもりは毛頭なかった。
叶うことなら一度くらいあの白いモフモフを堪能させてもらいたいものだが、この世界の魔物たちの厳しさはもう痛いほど理解している。もうあの猫ちゃんとは金輪際関わらない方がいいだろう。
恐ろしさを思い出す様にぶるっと身震いをしてから、東へ東へと探索を開始する。
ブラッドサラマンダー達との戦いは濃密な時間に感じたが、精々二十分も経過していないようで、陽光はまだまだその勢いを緩めそうになかった。
春のような木漏れ日の中、最初の数十分こそ鼻歌を歌いながら歩みを進めていたが、次第に雲行きが怪しくなり、既に見飽きた樹木ばかりの光景にため息が漏れる回数の方が多くなっていた。
そうして、十の木を越え、百の木を越え、もう何本目の木を越えたか分からない行軍の果てで、絶望が俺を出迎えた。
『(や、ヤツだ)』
無意識に息を止め、気配を殺す。
視線の奥、約数十メートル先には、スフィンクスのような恰好で地面に座る汚れ一つない純白の猫がいた。
今回は、無様に遁走するような真似こそしなかったが、やはりそれでも身体は許可なく震えだしていた。
差し込む日差しを静かに楽しむように目を瞑って、猫は日向ぼっこを続ける。
こちらを見ることさえしないが、恐らくいや確実に俺の存在に気が付いていた。その上で、気にするだけの価値はないと態度で示しているのだ。
もし、あの微睡を邪魔した瞬間、少しでも奴の気に障ることをしてしまった瞬間、それが鼠生最期の行動となることを本能が知覚する。
『(うん、やっぱりアレはないわ)』
《鑑定》がどうだとか、技能がどうだとか、そんな小手先の話は通用しない。
生物としての格が、魔物としての強さが、根源的に異なっているのだ。
足の裏からじっとりとした嫌な汗が染みだすのを感じながら、極力物音一つ出さないようにして西へと戻る。
この森の生態系が壊滅的に終わっている理由、それを以前小さな虫や生き物が存在しないからだと俺は考察した。
確かにそれも理由の一つであることは間違いないだろうが、今になってその根本的な理由がはっきりと分かった。
『(この森の外周全て、それがアイツの縄張りなんだ)』
もう声を殺す必要もないのに、怯えるように声を潜める。
奴の匂いが、奴の眼差しが、奴の気配が、弱者にこの森への侵入を許さない。
俺や蛙達はきっと外から入って来たのではない、何らかの方法で森の内側に直接発生したんだ、と唐突に理解する。
だからこそ、奴の怒りを買わずに済んだし、こうして生を謳歌できている。
疑念も、反論の余地も、いくらでも存在したが、奇妙なことにそれが真実であると魂が告げていた。
究極の安全地帯にして、絶望の猫庭。
それが、この木の実の森の真実だったのだ。
『(この森の絶対王者は、あの真っ白な猫。引くも地獄、進むも地獄ってか)』
このまま引いて、天敵の来ないこの森で奴に怯えながら死んだように生きるか。
逆に進んで、打ち上げ花火のように儚く短い生を選ぶか。
正しく地獄のような二者択一だった。
『(でも、選択の時は今じゃあない)』
それは、ただ嫌なことを先送りにしただけの現実逃避かもしれなかったが、同時に賢い選択でもあった。
この森で、できることはまだ一つだけあったのだ。
俺は震えの止まった体を必死に動かして、西を目指した。




