第十一話 vsブラッドサラマンダー(後編)
「キ、キシャァ……」
《掘削》を使って巻き起こした土埃が晴れ、一匹のブラッドサラマンダーが弱ったように声をあげる。
先刻《操尾》を俺に振るった方のブラッドサラマンダーが麻痺にかかったのだ。理由は単純、俺が奴の《操尾》を受けたのが前歯だったから。
もちろん《齧削》、《練気》を纏わせた上で、本命の麻痺をもたらす《瘴牙》つきの前歯である。
奴も尻尾から麻痺が上がってくるのを察してか、自切(一部の動物が緊急時に自分の体を切り離す習性)により咄嗟に尻尾を切断したようだが、既に麻痺は全身に回っているようだった。
『ス、ステータス』
《操尾》の衝撃で脳が揺れたせいか、覚束ない口調でそう唱える。
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個体名:ローデント
種族名:プレイグラット Lv 3/10
状態 :健康
生命力:379/670
精神力:61/180
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作戦は成功裏に終わったが、こちらのダメージも馬鹿にならない状況だった。
最初に《操尾》を受けた際は受けきれたのに対し、今回は《練気》の耐久を貫通したのか、二倍以上のダメージが入っていた。
約半分ほど生命力は残っているが、本当にそれだけ残っているのか、疑問に感じるほど疲労も痛みも蓄積していた。
現に、さっきの《操尾》で前歯は欠け、身体の節々がムチ打ちにあったように悲鳴を上げているし、ずきずきと頭痛もしていた。
共食いによる強化を避けるため、《瘴牙》を毒ではなく麻痺にしたのが、我ながら英断だった。
もう一分も二匹の猛攻を逃げ切れはしない。
『はぁ、はぁ、それでも残りは……一匹だ』
残った一匹は最大限の警戒をこちらに向けながら、間合いを保ちつつ、じりじりと円を描くように横移動を繰り返す。
きっと麻痺したもう一匹を遮蔽として使われないようにと考えてのことだろう。
しかし、その仲間に対する優しさが今は有難かった。奴が時間をかけて警戒する間に何とか息を整え、仕切り直すことができるからだ。
『(互いに一歩も引くことはできねえ、さあどう出る?)』
あちらはたかが手負いの鼠一匹に麻痺した仲間を見捨てて逃げるという選択肢はない。こちらはこちらで再戦して勝てる保証がない(というよりこれだけ手札を晒した状態で再戦なんざしたら絶対に負ける)以上、この有利な盤面で決着をつけておきたい状況だった。
瞬き一つせず、移動を続ける奴を凝視して、技能、突進、その他あらゆる可能性に備えて、センサーを張り巡らせる。
覚悟を決めたのか、横移動を止めたブラッドサラマンダーは、数瞬いや数秒ほどこちらを眺めたかと思うと、ニヤリと笑った。
途轍もない嫌な予感が背筋を這いずり、咄嗟に奴から距離を取るが、却ってそれが今回の戦いで最大の墓穴を掘ることとなる。
瞬刻、ゴッ!! と淡く光るナニカが勢いよく背中を打ち付けて通り過ぎた。
突然の衝撃で朦朧とする意識の中で、何故だか今起こったことだけははっきりと理解することできた。
『(畜生、そんな離れ業もできるのかよ……尻尾を、千切れた味方の尻尾を《操尾》で操るなんて)』
奴は仲間を巻き込まないために距離を取ったのではない。
仲間を、仲間の尻尾を最大限活かすために、敢えて時間を掛けて移動したのだ。
「シャァァ!!!」
背後から衝撃を受けた俺は、この世界でもきちんと機能しているらしい物理法則に従って、前方に弾き飛ばされる。
そして、そこには絶望を牙に灯らせた茜色の蜥蜴があんぐりと口を開けて待っていた。
どこまでも、本当にどこまでもこの世界の魔物は最弱の鼠に容赦がなかった。
悪あがきとは知っていても、《練気》で尻尾を振るい微かに方向を変えるよう試みるが、崩れきった態勢では上手くいくことはなく、直撃こそ避けられたものの、絶望の牙が鮮血を走らせる。
この瞬間、最弱の鼠の死へのカウントダウンが始まった。
『す、すてー……す』
衝撃を受け流すようにごろごろと転がりながら血を流し、ステータスを確認しようと声を漏らす。もはや満足に念じることすらできてはいなかったが、それでも脳裏にステータスは表示された。
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個体名:ローデント
種族名:プレイグラット Lv 3/10
状態 :壊血
生命力:271/670
精神力:56/180
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状態異常『壊血』を証明するよう、身体の至るところか内出血が始まり、生命力がぐんぐんと減っていく。
『……偉そうに、こっちを、見やがって…………ただじゃ、おかねえ』
ゆっくりと立ち上がった俺を、ブラッドサラマンダーはとうに興味を失ったような表情で眺める。生存を賭けた闘争に奴は既に勝利しており、奴もそのことを理解した上で距離を取って、俺が死に至るのを待っているのだ。
それは、闘争の勝者としての余裕であった。
しかし。
しかし、それは奴にとって人生、いや蜥蜴生最期の墓穴となった。
一体何故か?
極めて意地汚い、極めて極めて生き汚い鼠の心に火を灯したからである。
『闘争には負けたっ、だが逃走じゃあ負けねえ! 本物の墓穴ってやつを掘らせてもらうぜぇえええ!!!』
地中深くへの逃走、それは鼠生最期の嫌がらせであった。
生命力を散らしながら嫌がらせに走る鼠に困惑したのかブラッドサラマンダーは反応が遅れ、あり得るはずのない鼠の逃走を許してしまう。
一拍遅れて焦ったように穴に滑り込むが、もはやそれは悪手でしかなかった。
いくらブラッドサラマンダーの敏捷が高いとはいえ、ここは穴の中だ。
俺より横幅の大きい奴は、周囲を掘って進む必要がある。
それに《掘削》のない奴と俺とでは、それこそ速度も土の扱い方も違う。無理に追いかけ続ければ自分の掘った土に生き埋めになるし、このまま速度の違いを見せつけて、奴との、差を、広げ……?
『あれ? 俺の、勝ちじゃねえ?』
思考を重ねている内に、カチリ、と全てのピースが綺麗に嵌った。
身体を震えさせ、疲れ、怯えたような演技をして、後ろを振り返る。そこには、いまだガリゴリと穴の壁面を削りながら、進行する蜥蜴の姿が映った。
正面に向き直り、ニヤリと笑顔を見せたのは、今度は最弱の鼠だった。
今一度、驚き、精魂尽き果てた様子を演出しながら、《掘削》に頼らず、ゆっくりとブラッドサラマンダーでも追いつけるギリギリ速度で穴を掘る。
その様子に気を良くした奴は、夢中で穴を掘り進め、しばらく進んでようやく俺にトドメをさせる距離まで近付く。
後少し、ほんの数センチの距離まで接近され、茜色の蜥蜴の毒牙にかかろうかというその瞬間、俺はほぼ真逆、Uの字を描くように《掘削》を使って穴を掘った。
「キシァ?!」
急に元気になった鼠を見てブラッドサラマンダーは驚愕の声をあげつつ、ようやっと己の失策を悟るが、その気付きには何の意味も希望もありはしなかった。
背後には自らが力任せに掘った土が積み上がり、左右に身動きの取れるだけの余裕はない。正面にいたはずの弱った鼠は、視界から突然消え、追いかけようにもその太く短い脚、長い頭と胴体では旋回できない。
凡そ完璧と言っていいほど、蜥蜴は完全に子鼠の術中に嵌っていた。
『勝ったと思って油断したよなあ、蜥蜴さんよぉ! それじゃあ、いっちょいただきまーすっ!!』
当の子鼠はというと、身動きの取れない蜥蜴の真横まで移動してから穴を繋げ、妖しく光る折れた前歯を憐れな蜥蜴に突き立てんとしていた。
僅かな後、茜色の蜥蜴の悲痛な咆哮が地中に響き渡ることになったのは、言うまでもないことだった。




