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世界で一番相性の悪い人  作者: 史音
16/26

メロンパンとカレー

昨日のお礼も兼ねて、今日は本田さんと約束したインドカレーにするつもりだ。

だけど、作り慣れないメニューだし、買い物が必要だから私は少し焦っていた。


「買い物行ってきます」

涼子さんに声をかけて事務所を出ると、野上楓が付いてきた。

「どうしたの?」

「僕、手紙出したいから付き合う」


私は手にしたメモを見ながら早足で歩く。野上楓はゆっくり歩いている。

頭の中で手順を考えていると、隣からのんびりした声が聞こえた。

「ねえ、今日は何?」

「インドカレー」

「本田さんのリクエストのやつ?」

私は頷く。ふうん、と気の無い返事が聞こえた。

「昨日遊びに行った人のリクエストに応えるのって、どうなの?」

「え?」

「そこに意味があるって思うのが普通じゃない?」

「意味?」


スーパーの前に移動販売の車が停まっていて、メロンパンを売っていた。甘い良い匂いがするから、つい見てしまう。

「食べる?」

野上楓の声に、私は慌てて首を横に振った。

「時間ないし、食べたらお昼食べられなくなっちゃう」

それを聞いていたはずなのに、野上楓はその車に近づいて、迷わずメロンパンを買った。

「え、食べるの?」

驚いている私のところに戻ってくると、器用にそれを半分にして私に差し出した。

「はい」


目の前のメロンパンからは甘い匂いがした。

それに釣られて私が受け取ると、野上楓はメロンパンを頬張る。

「美味しい」

あまりにも美味しそうに食べるから、私もつい、それを口に運んでしまった。


メロンパンは皮がサクサクで、中はふわりとして、そして甘かった。

「美味しい」

思わずそう呟くと、野上楓は小さく笑った。

「ね。美味しいね」

私はもう一口食べて、笑って頷いた。


二人で立ったままメロンパンを食べていると、隣から声がかかった。

「昨日、どうだった?」

私より先に食べ終えた野上楓が聞いてきた。

視線だけ動かすと、向こうも同じように私を見ていた。

「すごくよかった。知ってる絵もあったし」

「それだけ?」

「そうだけど」

それを見て、野上楓は眉を寄せた。

「何かあったかと思った」

私はあからさまに嫌な顔をした。


「そんなことないし」

素っ気なく返事しながら、それにほんの少しだけ、反応してしまった。


これからも、と意味ありげに言われたのも、もしこの人と付き合ったら、と想像したのも事実だからだ。

自惚れていると笑われそうだけど、本田さんと付き合った時の自分を想像してしまった。


隣から大きなため息が聞こえた。振り仰ぐと、野上楓は不機嫌な顔をしている。

「顔に答えが出てる」

「え?」

もう一度大きなため息をつくと、私に静かな視線を向けた。

「今日はカレー、嫌だ」

「え。カレー嫌なの?」

野上楓は無表情で続けた。

「嫌だ」

「どうして?嫌いなの」

「嫌いじゃないけど、今日は嫌」

私をチラリと見る。そしてまた視線を前に戻した。

「どうしても」


私は手の中のメロンパンを見つめる。

「でも、お祝いで約束したし」

「じゃあ、僕が今日は肉じゃがって言ったら?」

「肉じゃが、昨日食べたよ」

「カレーにするくらいなら昨日と同じものの方がいい」

私は返す言葉に困ってしまう。

「今日はだめ、絶対にカレーはダメ」

その顔はとても真剣で、強い決意がみえた。


一体どうしたのだろう。

どうして今日のカレーにはこだわるのだろう。

どうしてこんなに必死になるだろう。


私は不思議に思って尋ねる。

「そんなに、カレーが嫌なの?」

「カレーじゃない。今日のカレーが嫌なの」

そう言って肩をすくめてため息をついた。

「いい加減、わかって欲しいんだけど」

相変わらず不機嫌な顔をしてふいと横を向いた。

「いいよ。僕が嫌がったから、カレーをやめたって言って」

私は大きく息を吐いた。


確かにもう時間がない。焦って作れるほど、慣れた料理ではない。

メロンパンを食べなければ、まだ時間に余裕があったかもしれない。私は諦めて息を吐いた。

「じゃあ、今日はカレーはやめる」

だけど、野上楓は本当にほっとしたような顔をして、大きく息を吐いた。


「そんな大袈裟な」

そう言った私を、じろりと見る。

「藤沢さんには事の重大さがわかってない」

「変なの」

「変でいい」

その返事がおかしくて思わず笑ったら、野上楓が私を睨むように見て、でもその後に笑った。

その顔を見ると機嫌が直ったみたいだから安心する。


私は残ったメロンパンを食べながら、呟いた。

「昨日の夜ね。野上くんのこと思い出したよ」

「え?」

私の言葉に野上楓は驚いて振り返った。私は顔をあげて野上楓を見る。


「昨日の展覧会、野上くんならどの絵が一番好きかなあって」

視線を上げると、野上楓はまだ驚いた顔をしていた。

「きっと私が一番好みじゃない絵を好きと言いそうだと思ったけど」

きっと、じゃなくて絶対そうだ。


意見の合わない、相性の悪い私たち。

なんだかおかしくなってしまう。



「違っても、いいんじゃない?」

「え?」

隣から返ってきた思いがけない返事に私は驚いた。だけど野上楓は当たり前のような顔をして私を見た。

「だって違う人間だし。人の数ほど好みはあるし、普通のことだよ」

そして私を見て笑った。

「だから、話していて楽しいんだよ」


そういう考えは今までなかった。

だからとても驚いて、すぐには受け止めきれなかった。

「そう、かな」

そうだよ、と野上楓は笑った。

「僕はそう思うけどね」


なんだか不思議な感じだった。

それを聞いたら、私が今まで悩んでいたことは、もしかしたらとても小さな事なのかもしれないと思った。


なんだか新鮮な気持ちで野上楓を見たら、ちょっと眉を寄せて私を見た。

「何?」

私は首を横に振ると、メロンパンの最後の一口を頬張った。

「メロンパンおいしかった」

ありがとう、と言って見上げたら、嬉しそうな笑顔が返ってきた。

「食べてよかった」

それにとても嬉しそうな顔をした。

私は時計を見る。流石にもう帰らないといけない時間だ。

「お昼のメニュー、一緒に考えてよ」

「いいよ」

私たちは並んでスーパーに入った。




事務所に戻ったら、本田さんがキッチンを覗きにきたから、私は声をかける。

「すみません。今日はちょっと……カレーはまた今度にします」

本田さんはいつもみたいに笑った。

だけど本田さんが話す前に、隣の野上楓の声がした。

「僕、今日はカレーの気分じゃないので、変えてもらいました」

「え?」

本田さんは目を見張る。本田さんを見て野上楓はもう一度言った。

「だから、今日はカレーじゃないです」


しばらく野上楓と本田さんは黙ったまま、お互いを見ていた。いつも静かなキッチンにはピリピリした空気が流れる。

どうしようと思いながら二人を見ていると、先に動いたのは本田さんだった。


「そう。じゃあ、今度ね。」

「はい」

本田さんはすれ違いざまに私の頭を軽く叩いた。

「え?」

「また、お願いね」

こんな事は初めてだから驚くと、本田さんは笑った。

「じゃあ、ご飯になったら呼んで」

本田さんが出て行くのを私は見送る。


どうして急にあんなことをしたのだろう。

そう思っていたら隣から不穏な気配がした。

恐る恐る見上げると、今日一番不機嫌な顔をした野上楓と視線があった。


「い、今のは別に」

別に言い訳する必要もないのに、私が口を開くと野上楓がため息をついた。


野上楓は私に一歩近づくと、私の両肩をつかんで自分の方へ向ける。

顔がグッと近づいた。真剣な顔で私を見てくる。

「カレーは僕がいいっていうまで、禁止」

そう言って、キッチンを出て行った。



その言葉通り、しばらく野上楓は昼食のメニューをチェックして、カレーにN Gを出し続けた。

ダメと言われると、急に食べたくなってしまうのが人間だ。

だけど、カレーと言うとあまりにも嫌な顔をするから、言い出せなくなってしまった。


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