ラッキーカラー
本田さんとは駅前で別れた。
今日は両親が出かけているから夕食は一人だし、まだ午後で時間はあるから休日を楽しもう。そう思ってぶらぶらとお店を見たりして過ごす。
だけどいつの間にか私の足は事務所へ向かっていた。
いつもの駅で降りて慣れた道を歩く。毎日のように買い物に行くスーパーの前を通った。買い物する必要はないのに、中に入ってしまう。
スーパーを出て、今度は一度行きたいと思っていた洋菓子店でプリンを買う。
そして私はそのまま事務所の前まで来た。
本来なら休日で誰もいないはずなのに、玄関のドアは鍵を使う前に開いた。この間と違って、私は躊躇いなく中に入る。静かに廊下を歩いて、ドアを開いた。
中にいた人が、パソコンから顔を上げて私をみた。その目が丸く見開かれていた。
「藤沢さん…」
私はその人に向かって手にしたスーパーの袋を持ち上げた。
「一緒にご飯食べよう。野上くん」
野上楓は私の作ったオムライスをよく食べた。
予想通り彼は朝から仕事をしていて、予想通り何も食べていなかった。
二人しかいないのに、私たちはいつものように広いテーブルに並んで、食事をした。
「ずっと仕事?朝から?」
「うん」
素っ気なく返事して、野上楓はオムライスを口に運んだ。
「お休みなのに」
そう呟いたら、隣の人はスプーンを持つ手を止めた。
「今は頑張るって決めているから」
そう前を見る目はとても真剣だった。
反対に私はとても気まずくなる。
私は展覧会に行って、それから何もしていない。この人と比べたら、大きな差がある。
黙ったままの私に野上楓は視線を向ける。
「そっちこそ、今日は本田さんと出かけたんじゃないの?」
隣の野上楓は食事を止めて私をじっと見つめた。つられて手を止めて、彼をじっとみてしまった。
「こんな時間にどうしたの?」
その質問に私は俯いた。目の前のオムライスを見つめる。
「展覧会に行った。勉強になったよ」
「それで?」
私は視線を上げて、隣を見る。野上楓は眉を寄せて私をみていた。
「それで終わりじゃないでしょう」
私は口籠もった。
「ええと、本田さんとお茶をした」
そう言ったら、野上楓は急に顔になって無言で食事を再開した。
「本田さんから色々教えてもらって勉強になった。建築とか全くわからないから」
だけどぶすくれた顔はそのままで、私は取りなすように早口で話し続けた。
「でも、それだけだよ」
無言の野上楓に向かって、私は話し続ける。
なんだか言い訳みたいだ。例えれば浮気を責められた恋人のようだ。
だけど私たちは恋人でもないし、言い訳する必要もない。だけど隣から漂う空気はなんだか冷たくて、つい語尾が弱くなる。
「すごく勉強になったし、行って良かった…」
あまりにも変化のない野上楓を見て、私は口をつぐんだ。
「野上くんは働いていたのに、ごめんね」
働いていた人からしたら、遊び歩いていると思われたのだろうと気が引けて言うと、黙っていた野上楓はようやく手を止めて、こっちを見る。
「本田さんは先輩だし、確かにあの人いろんなことに詳しいけど」
「うん、いろんなことを知ってた。質問すると解説してくれて、勉強になったよ」
私の返事に嫌そうな顔をした。
「僕だって聞かれたら、答えられたかもしれないよ」
「え?」
野上楓はふいと私から顔を背けた。
「本だって僕もいいのを持っていたのに」
本?本ってなんだ?と思っていたら、野上楓が私をじとっとした目で見た。
「この間借りてたでしょう」
そこでようやく本田さんから借りた本のことを思い出した。
この人の頭は良すぎて、話が飛躍しすぎる。
本田さんに本を借りたのも偶然だ。
黙ったままだけど、その横顔は相変わらず不機嫌そうだった。
「怒ってる?」
「怒ってない」
明らかに不機嫌そうなトーンで返事する。
食事が終わったのを見て、私は急いで立ち上がる。
「プリン買ってきた」
「じゃあ、コーヒー淹れるよ」
そう言ってコーヒーを準備してくれた。
野上楓は私がマグカップを出すと、動きを止めた。
それは野上楓にもらったものだった。それを見て、ちょっと目を見張って、だけど黙ってそこにコーヒーを注いでくれた。
これを使うのは今日が初めてだ。それをこの人が知っているかはわからない。
でもこの人の表情を見る限り、きっとわかっていると思う。
また二人で席に戻って並んでコーヒーを飲む。
丸いフォルムのマグカップは両手にもつと手の形に馴染んだ。
マグカップの薄いピンクにコーヒーの黒が映えて綺麗だった。
「この色、綺麗だね」
野上楓は、私へ顔を向ける。目が合うとしっかり笑顔になった。
この色、懐かしいな、と思う。
こういう薄いピンク色は母が好きで、子供の頃はよくこの色の洋服を着ていた。
ピアノのコンクールにこの色のドレスで出たこともあった。
それで一度優勝したら、母はこの色を着ていればいい成績が出ると思って、大事な大会はいつもこの色のドレスだった。
確かに、それでいい成績をたくさん、出していた。
私のラッキーカラーだったのだ。
あの時、この人に負けるまでは。
「美波ちゃんにはこの色が一番似合う」
母はよく、そう言っていた。
私もこの色が好きだった。
昔は家の中に、私がコンクールに出た時の写真がたくさん飾ってあった。
この色のドレスで優勝した時の写真もあった。
だけど、野上楓に負けてから、それらも全部しまい込んでしまって、どこにあるかわからない。
そして、この色の洋服も着ることは無くなった。
全部、遠い昔の話だ。
私は視線を落とした。
「大事に使うね」
隣の人はしばらく何も言わなかった。
「これ、本当にとても気に入っているんだよ」
「……うん」
「本当だから」
「……わかった」
しばらくして小さな頷きが聞こえてきた。
交わした言葉は少なかったけれど、この間までの気まずさが消えていく気がした。
少しして顔を上げると、こっちを見た彼と視線があった。
それでお互い笑顔になって、私たちは黙ってコーヒーを飲んだ。
黙っていることが、気にはならなかった。
私は視線をカップに戻す。
私のそばに戻ってきたこの色が、もう一度私のラッキーカラーになってくれるといいと思った。
コーヒーを飲んでプリンを食べると、それなりの時間になっていた。
「帰るね」
片付けをして声をかけると、野上楓も立ち上がった。
「駅まで送るよ」
「え、いいよ。まだそんなに遅くないし」
だけど野上楓は立ち上がって、玄関まで歩いていく。
「いいよ、仕事中だし」
「気分転換に散歩する」
そう言って野上楓は家を出てどんどん先に歩いていくから、私は慌ててそれを追った。
早足で道路を歩いていく野上楓の隣に小走りで行くと、野上楓が立ち止まった。
「何?どうしたの?」
驚いて顔を上げると、見上げた彼は笑った。
「今日はどうしてきてくれたの?」
だけど自分でも答えがわからない。なんとなく足が向いたのだ。
「なんとなく」
「なんとなく?」
野上楓が驚いた様な顔をした。
自分でもうまく言えない。
多分、いるような気がしたのだ。目の前のこの人が。
だから、来たのだ。
「もしかしたら、仲直りできるかと思って」
ぽつりと小さな声で言ってから、私は野上楓を見つめた。黒い瞳はそらさずに見返してきた。
「じゃあ、よかった。仲直りできて」
私たちはもう一度お互いを見て、それから笑顔になった。
そうしたら隣の野上楓が一歩私に近づいた。
「僕、明日はハンバーグが食べたい」
「え?」
突然言われて、私は固まる。
ハンバーグってちゃんと作ると大変だ。玉ねぎも炒めないといけないし、ソースも作れば手間も時間もかかる。
考え込んでいる私に、野上楓は無邪気に笑いかけてきた。
「明日も休みだけど、僕は事務所で仕事するから。明日はハンバーグが食べたい」
思考が停止している私に、念を押すようにもう一度言う。
「じっくり煮込んだソースのやつ」
野上楓は私をじっと見る。
明日は来るなんて言っていない。
思わず言い返そうとして、やめる。
だって、いろいろ言っていても、結局私は来てしまう気がしたから。
そして望み通り、煮込みハンバーグを作ってしまうんだ。
世界一相性が悪くて、一緒にいることも、話すことも避けたいと思っている人と。
さっきまで、喧嘩していた人と。
ついこの間、近寄るのはやめようと思っていた人と。
嫌なはずなのに、嫌と言えないのだ。
そしてそれを、私よりもこの人がわかっている。
なんだか悔しい。
だけどやっぱり少し悔しいから、私はつい、言い返してしまう。
「デザートはチーズケーキがいい」
そう言ったら、目を丸くして、でもすぐに
「じゃあ、買ってくるよ。今日のプリンと同じお店でいい?」
その楽しそうな顔に、私は思わず苦い顔をした。
「あのお店、人気だから早く行かないとケーキはなくなっちゃうからね」
「じゃあ、早起きする」
そう言うと、野上楓は背をかがめて私の顔を覗き込んだ。
「ハンバーグね」
野上楓を見てぎこちなく笑うと、彼はそれに満面の笑みで返してくれた。
何だか既視感のある、笑顔だった。
こんな楽しそうな笑顔、いつみたんだっけ?
つられて笑いながら、そう思った。




