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世界で一番相性の悪い人  作者: 史音
12/26

ラッキーカラー

本田さんとは駅前で別れた。

今日は両親が出かけているから夕食は一人だし、まだ午後で時間はあるから休日を楽しもう。そう思ってぶらぶらとお店を見たりして過ごす。


だけどいつの間にか私の足は事務所へ向かっていた。

いつもの駅で降りて慣れた道を歩く。毎日のように買い物に行くスーパーの前を通った。買い物する必要はないのに、中に入ってしまう。

スーパーを出て、今度は一度行きたいと思っていた洋菓子店でプリンを買う。

そして私はそのまま事務所の前まで来た。


本来なら休日で誰もいないはずなのに、玄関のドアは鍵を使う前に開いた。この間と違って、私は躊躇いなく中に入る。静かに廊下を歩いて、ドアを開いた。


中にいた人が、パソコンから顔を上げて私をみた。その目が丸く見開かれていた。

「藤沢さん…」

私はその人に向かって手にしたスーパーの袋を持ち上げた。

「一緒にご飯食べよう。野上くん」



野上楓は私の作ったオムライスをよく食べた。

予想通り彼は朝から仕事をしていて、予想通り何も食べていなかった。

二人しかいないのに、私たちはいつものように広いテーブルに並んで、食事をした。

「ずっと仕事?朝から?」

「うん」

素っ気なく返事して、野上楓はオムライスを口に運んだ。

「お休みなのに」

そう呟いたら、隣の人はスプーンを持つ手を止めた。

「今は頑張るって決めているから」

そう前を見る目はとても真剣だった。


反対に私はとても気まずくなる。

私は展覧会に行って、それから何もしていない。この人と比べたら、大きな差がある。

黙ったままの私に野上楓は視線を向ける。

「そっちこそ、今日は本田さんと出かけたんじゃないの?」


隣の野上楓は食事を止めて私をじっと見つめた。つられて手を止めて、彼をじっとみてしまった。

「こんな時間にどうしたの?」

その質問に私は俯いた。目の前のオムライスを見つめる。

「展覧会に行った。勉強になったよ」

「それで?」


私は視線を上げて、隣を見る。野上楓は眉を寄せて私をみていた。

「それで終わりじゃないでしょう」

私は口籠もった。

「ええと、本田さんとお茶をした」

そう言ったら、野上楓は急に顔になって無言で食事を再開した。

「本田さんから色々教えてもらって勉強になった。建築とか全くわからないから」

だけどぶすくれた顔はそのままで、私は取りなすように早口で話し続けた。

「でも、それだけだよ」


無言の野上楓に向かって、私は話し続ける。

なんだか言い訳みたいだ。例えれば浮気を責められた恋人のようだ。

だけど私たちは恋人でもないし、言い訳する必要もない。だけど隣から漂う空気はなんだか冷たくて、つい語尾が弱くなる。

「すごく勉強になったし、行って良かった…」

あまりにも変化のない野上楓を見て、私は口をつぐんだ。


「野上くんは働いていたのに、ごめんね」

働いていた人からしたら、遊び歩いていると思われたのだろうと気が引けて言うと、黙っていた野上楓はようやく手を止めて、こっちを見る。

「本田さんは先輩だし、確かにあの人いろんなことに詳しいけど」

「うん、いろんなことを知ってた。質問すると解説してくれて、勉強になったよ」

私の返事に嫌そうな顔をした。


「僕だって聞かれたら、答えられたかもしれないよ」

「え?」

野上楓はふいと私から顔を背けた。

「本だって僕もいいのを持っていたのに」


本?本ってなんだ?と思っていたら、野上楓が私をじとっとした目で見た。

「この間借りてたでしょう」

そこでようやく本田さんから借りた本のことを思い出した。

この人の頭は良すぎて、話が飛躍しすぎる。

本田さんに本を借りたのも偶然だ。


黙ったままだけど、その横顔は相変わらず不機嫌そうだった。

「怒ってる?」

「怒ってない」

明らかに不機嫌そうなトーンで返事する。

食事が終わったのを見て、私は急いで立ち上がる。

「プリン買ってきた」

「じゃあ、コーヒー淹れるよ」

そう言ってコーヒーを準備してくれた。


野上楓は私がマグカップを出すと、動きを止めた。

それは野上楓にもらったものだった。それを見て、ちょっと目を見張って、だけど黙ってそこにコーヒーを注いでくれた。


これを使うのは今日が初めてだ。それをこの人が知っているかはわからない。

でもこの人の表情を見る限り、きっとわかっていると思う。

また二人で席に戻って並んでコーヒーを飲む。

丸いフォルムのマグカップは両手にもつと手の形に馴染んだ。

マグカップの薄いピンクにコーヒーの黒が映えて綺麗だった。

「この色、綺麗だね」

野上楓は、私へ顔を向ける。目が合うとしっかり笑顔になった。



この色、懐かしいな、と思う。

こういう薄いピンク色は母が好きで、子供の頃はよくこの色の洋服を着ていた。

ピアノのコンクールにこの色のドレスで出たこともあった。

それで一度優勝したら、母はこの色を着ていればいい成績が出ると思って、大事な大会はいつもこの色のドレスだった。

確かに、それでいい成績をたくさん、出していた。



私のラッキーカラーだったのだ。

あの時、この人に負けるまでは。



「美波ちゃんにはこの色が一番似合う」

母はよく、そう言っていた。

私もこの色が好きだった。

昔は家の中に、私がコンクールに出た時の写真がたくさん飾ってあった。

この色のドレスで優勝した時の写真もあった。

だけど、野上楓に負けてから、それらも全部しまい込んでしまって、どこにあるかわからない。

そして、この色の洋服も着ることは無くなった。


全部、遠い昔の話だ。




私は視線を落とした。

「大事に使うね」

隣の人はしばらく何も言わなかった。

「これ、本当にとても気に入っているんだよ」

「……うん」

「本当だから」

「……わかった」

しばらくして小さな頷きが聞こえてきた。


交わした言葉は少なかったけれど、この間までの気まずさが消えていく気がした。

少しして顔を上げると、こっちを見た彼と視線があった。

それでお互い笑顔になって、私たちは黙ってコーヒーを飲んだ。

黙っていることが、気にはならなかった。


私は視線をカップに戻す。


私のそばに戻ってきたこの色が、もう一度私のラッキーカラーになってくれるといいと思った。



コーヒーを飲んでプリンを食べると、それなりの時間になっていた。

「帰るね」

片付けをして声をかけると、野上楓も立ち上がった。

「駅まで送るよ」

「え、いいよ。まだそんなに遅くないし」

だけど野上楓は立ち上がって、玄関まで歩いていく。

「いいよ、仕事中だし」

「気分転換に散歩する」

そう言って野上楓は家を出てどんどん先に歩いていくから、私は慌ててそれを追った。

早足で道路を歩いていく野上楓の隣に小走りで行くと、野上楓が立ち止まった。

「何?どうしたの?」

驚いて顔を上げると、見上げた彼は笑った。

「今日はどうしてきてくれたの?」


だけど自分でも答えがわからない。なんとなく足が向いたのだ。

「なんとなく」

「なんとなく?」

野上楓が驚いた様な顔をした。

自分でもうまく言えない。

多分、いるような気がしたのだ。目の前のこの人が。

だから、来たのだ。


「もしかしたら、仲直りできるかと思って」

ぽつりと小さな声で言ってから、私は野上楓を見つめた。黒い瞳はそらさずに見返してきた。

「じゃあ、よかった。仲直りできて」

私たちはもう一度お互いを見て、それから笑顔になった。

そうしたら隣の野上楓が一歩私に近づいた。


「僕、明日はハンバーグが食べたい」

「え?」


突然言われて、私は固まる。

ハンバーグってちゃんと作ると大変だ。玉ねぎも炒めないといけないし、ソースも作れば手間も時間もかかる。

考え込んでいる私に、野上楓は無邪気に笑いかけてきた。

「明日も休みだけど、僕は事務所で仕事するから。明日はハンバーグが食べたい」

思考が停止している私に、念を押すようにもう一度言う。

「じっくり煮込んだソースのやつ」

野上楓は私をじっと見る。


明日は来るなんて言っていない。

思わず言い返そうとして、やめる。


だって、いろいろ言っていても、結局私は来てしまう気がしたから。

そして望み通り、煮込みハンバーグを作ってしまうんだ。


世界一相性が悪くて、一緒にいることも、話すことも避けたいと思っている人と。

さっきまで、喧嘩していた人と。

ついこの間、近寄るのはやめようと思っていた人と。


嫌なはずなのに、嫌と言えないのだ。

そしてそれを、私よりもこの人がわかっている。

なんだか悔しい。


だけどやっぱり少し悔しいから、私はつい、言い返してしまう。

「デザートはチーズケーキがいい」

そう言ったら、目を丸くして、でもすぐに

「じゃあ、買ってくるよ。今日のプリンと同じお店でいい?」

その楽しそうな顔に、私は思わず苦い顔をした。

「あのお店、人気だから早く行かないとケーキはなくなっちゃうからね」

「じゃあ、早起きする」

そう言うと、野上楓は背をかがめて私の顔を覗き込んだ。


「ハンバーグね」

野上楓を見てぎこちなく笑うと、彼はそれに満面の笑みで返してくれた。


何だか既視感のある、笑顔だった。



こんな楽しそうな笑顔、いつみたんだっけ?

つられて笑いながら、そう思った。


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