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世界で一番相性の悪い人  作者: 史音
11/26

天才ではない方の人達

あの時以来、野上楓とは会話らしい会話をしていない。


先に突っかかってきたのは野上楓で、でもその理由は私だから、お互いが悪いとも言えるし、悪くないとも言える。

ちゃんと話せば誤解も解けて、険悪にならずに済んだかもしれない。


だけど今更謝ることも難しい。きっかけを掴めないまま、日が経っている。

昼食は今まで通り隣で食べているけど、かなりぎこちない。


明日の休みを前にキッチンの掃除をしていると涼子さんが来た。

「楓くんと仲直りした?」

涼子さんへ顔をむけると、にっこりとした笑顔で迎えられた。

「してないです…」

わかってた、そう言って涼子さんは苦笑いする。


私は涼子さんに事情を説明する。

野上楓にもらったプレゼントを使わずにいた事が原因だと。

「高価な物だったので、驚いて。しかも初任給で買ったみたいだし。そんな特別な物で買ったのかと思うと簡単に使えなくて」

私は俯く。

「でも、気に入らなかったと誤解されてしまって」

話してしまえば、些細な行き違いだ。


涼子さんは手際良くお茶の準備をしながら苦笑いした。

「美波ちゃんは、どうして値段がわかったの?」

「お返しに、私もマグカップをプレゼントしようと思ったんです」

野上楓にお返しをしようと思った。彼も事務所のカップを使っているから、マグカップがいいかなと思った。

そして知らなくていいことを知ってしまった。

「それ、楓くんに言った?」

私は黙って首を横に振った。


「大事な物を取っておきたい気持ちはわかる。でもプレゼントする人は愛用して欲しいと思うよね」

涼子さんは優しく微笑んだ。

「あのカップ、美波ちゃんに似合ってたから、楓くんも美波ちゃんをイメージして選んだと思うよ。気にいるか心配したんじゃないかな」

プレゼントするなら喜んでもらいたい。

その気持ちはわかる。


だって、私も同じことを考えた。

だからわかる。気に入ってもらえるか、不安になることも。


涼子さんは笑って、お茶とお菓子を載せたミニトレイを私に差し出す。

トレイの上のなんでもない、白いマグカップは野上楓の分だ。

「これは美波ちゃんが渡してきてね」

その笑顔に、私は苦い顔をした。

「でも」

「休み前に仲直りしてきなさい」

涼子さんに強く言われて断れない。


私はそれを持ってキッチンを出ると、勇気を出して野上楓に小さく声をかけた。

「野上君」

消えそうな声はそれでも届いたようで、野上楓が振り返った。

私とお菓子の載ったトレイを見る。それを受け取って

「ありがとう」

そっけなく返事した。

「あの」

弱々しく声をかけると野上楓が振り返った。眉が少し寄せられている。

引き留めたくせに、気の利いた言葉が浮かばないから焦る。

もう一度口を開こうとした時、社長がやってきた。

「楓、ちょっときて」

「はい」

野上楓はトレイを置くと立ち上がった。

「ごめん」

「あ、うん」

その後ろ姿を私はため息と共に見送った。


だけど、その後は話しかけるチャンスはなくて、結局仲直りできずに休みになってしまった。



***


翌日は本田さんと展覧会を見に行った。

建築と言われてビルばかり考えていたけれど、病院や学校のミニチュアや写真も展示されていた。本田さんが丁寧に解説してくれるから勉強になる。


2時間以上かけてじっくり回って、会場を出てから近くのカフェでお茶を飲んだ。

本田さんは話題も豊富で仕事のことから、趣味のギターの話も聞かせてくれた。

いつもそうだけど、この人と話すと笑っていられる。


「本田さんって面白いですね」

笑いながら私が言うと、本田さんは照れたように笑った。

「そうでもないよ。美波ちゃん聞き上手だから」

「仕事もしっかりしていて、すごいですよね」


だけど、私の言葉に本田さんは僅かに表情を固まらせた。それで会話が止まる。

「ああ、ごめん、気にしないで」

本田さんはそう言って笑うと、目の前のコーヒーを飲んだ。そして大きく息を吐く。

「しっかりやっているって言えば聞こえはいいけど、そう見せているだけ。実際は必死だよ」

「え?」

思いもよらないことを言われて、驚いた。

本田さんはいつも明るいし、仕事もちゃんとしている。何にでも余裕がある気がした。


「本田さんは締め切りをきっちり守るし、社長も本田さんの仕事はいつもほめているし、さすがだと思ってます」

社長が事務所を立ち上げてすぐにスカウトしたのが本田さんで、その完成度の高い仕事には厚い信頼があった。あの事務所には欠かせない人だと思う。


ありがとう、そう本田さんは苦笑いした。

「いやあ、もう必死。特に今年からは、一つ一つの仕事を死に物狂いでやらないと、仕事がなくなると思ってるよ」

その言葉の意味が咄嗟に理解できなかった。本田さんは肩をすくめてそんな私を見た。


「楓だよ」


本田さんはもう一度大きくため息をつくと、窓の外を見た。

「あいつ、すごいからさ。本当にあっさり、いいもの作っちゃうんだよね。あんなの目の前で見せられたら、かなりキツイよ。プレッシャーがすごい」

口調は軽いけれど、顔は真剣だった。


「あいつ、まだ大学生の時に賞を取って、その賞だってかなりすごい賞なんだよ。それでスカウトされて…正直まだ学生あがりだし、すぐに抜かされないだろうと思っていたけど、最初っからすごいの作るから」

それは、最初のあの仕事だ。あのホームページの仕事だ。


確かに素人の私が見てもいい物だった。

社長も涼子さんも褒めていた。だから本当にいい物なのだろう。


何年もこの仕事をしている先輩が思わず焦ってしまうほど。

先輩が自分の居場所がなくなってしまうのではないかと、不安に思うほど。


すごい事だけど、逆に残酷とも言える。



「俺はさ。凡人だから」

本田さんはそう言って笑った。

「必死にやらないとあいつみたいな天才には、すぐに抜かされちゃうんだよね」

そしてもう一度視線を窓の外へ向けた。

「きっと今もあいつは仕事してて、この間にすごいものを作っているのかと思うと、ちょっと怖い」


そこにいつもの明るい笑顔はなかった。

遠くを見て、わずかに口をあげて笑う。


人間は楽しくなくても笑える生き物で、怒っていても、悲しくても笑顔を作る事ができる。

今の笑顔はまさにそうだった。

楽しくもうれしくもない。辛いのに笑う顔。

いつもあんなに楽しそうに笑う人だから、反対にその笑顔が印象的だった。


「本当、ツライよ」


私と本田さんは、多分同じなんだと思う。


天才“ではない“方の人間。


天才にあっという間に抜かされてしまう人間。

野上楓に置いて行かれてしまう、人間。


野上楓と戦っていた時の私も、いつも怖かった。

また、簡単に負けるのではないかって。

頑張ってもダメなんじゃないかって。


あの時の自分が、今の本田さんに重なった。



「私、本田さんがいてくれてよかったって思います」


私の言葉に本田さんは我に帰ったように顔をあげる。

「本田さんのこと、みんなが頼りにしてます。私もそうです。勉強の相談にものってくれるし。そうだ、ホームページ、すごくよくできてました」

私は頭の中をフル回転させて、いろんな出来事を振り返る。


全部事実だ。

みんながこの人が好きで、この人と仕事するのが好きだ。

社長も涼子さんも本田さんには絶対の信頼を持っている。

この間のホームページはとても良かった。

本田さんが撮った写真はどれも色鮮やかで、人も生き生きしていた。あれはこの人でないと作れない物だと思う。


そんなたくさんの、小さいけど大切な事を伝えたかった。

本田さんには本田さんのいいところがあると、頑張る姿を見ているって思って欲しかった。



「今日も解説してもらって勉強になりました。とても楽しかったです」

すごい勢いで話し続ける私を、本田さんは驚いてみていた。

「本田さんは事務所のムードメーカーだと思ってます」

私はそれでも話し続けた。


「ええと、そうだ!本田さんいつもたくさん、しかもおいしそうにご飯を食べてくれるし。あんな風に食べてくれると、作る甲斐があるっていうか…」

そこまで言ったところで、本田さんが笑った。それをみてようやく、私は話すのをやめた。

確かに話が飛びすぎて、かなりおかしな流れになっていた。

気が付いて顔が赤くなる。


「……変なことを言って、すみません」

「ありがとう」

本田さんはそう言って笑った。


「美波ちゃんが来てくれて、事務所が明るくなったよ」

「そうですか?まだ全然ちゃんと働けてないし、まだまだです」

私は少し落ち込みながら笑った。


あの事務所の人はみんな、代わりの効かない人ばかりだと思う。

いなくなったら、物事が進まない。


だけど、私だけはそうじゃない。

私がいなくても、きっと事務所はいつも通り動いていく。

私だけが、なんでもない人間だ。


でも私以外の人はみんな、重要な人だ。



本田さんは首を横に振った。

「ご飯も美味しいし、仕事の効率も上がった気がする。みんな感謝してるよ」

そう言って本田さんは頷いた。


その顔に少し元気が戻っている気がして、安心する。


「ありがとう、美波ちゃん」

本田さんは荷物を持って立ち上がった。

「今日、美波ちゃんを誘って正解だったな」

先を歩く本田さんが私を振り返った。

「私も来てよかったです。勉強になりました」

そう言ったら、本田さんは大きく頷いた。


「また、誘うね」

その顔はいつも見せる、明るい笑顔だった。



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