分かり合えない二人
その日の午前に買い物から戻ると、本田さんが事務所で写真を撮っていた。
社長や野上楓の写真、みんなが仕事しているところを一眼レフで手際良く撮っていく。
それを遠くから見ていると、涼子さんが教えてくれた。
「事務所のホームページ用の写真撮ってるの」
「ホームページですか」
「新しく楓くんの紹介も載せたいし。久しぶりに更新しようと思って」
話していると、本田さんが近づいてきた。
「美波ちゃんも後で撮るよ」
私は首を振った。
「いや、いいです」
「え?だめだよ。スタッフ紹介だから」
私の希望はあっさり却下され、結局私と涼子さんで、事務スタッフとして写真を撮る。
写真を見ると、私の顔は緊張でひどいものだった。顔立ちのいい涼子さんが綺麗に撮れているのに比べて、大きな差がある。これが世界に発信されるかと思うと微妙だ。
だけど本田さんはその出来に満足しているらしく、パソコンで編集する。
「あとはスマホで食事の様子を撮るから」
「スマホで」
その言葉通り、本田さんは食事の前に簡単に写真を撮っていた。
食後に片付けをしていると、本田さんが一人テーブルに残ってスマホをいじっていた。
「どうですか?写真」
声をかけると、本田さんが笑顔で私にスマホを見せる。だから私も隣に座ってそれを覗き込んだ。
写真はとても上手く撮れていた。皆んなが食事する様子は自然に撮れていて、昼食のロコモコとスープという、見た目重視で選んだメニューは、おしゃれなカフェご飯風に見える。
デザイナーだからか構図がいいのもある。スマホの写真と思えない。
私みたいな素人が撮るのとは、やっぱり違う。
「本田さん、写真撮るの上手いですね。さすが」
本田さんは照れたように笑った。
「そんなことないって」
「私はセンスないので、こういうのダメです」
私はため息をついた。
話しながら、本田さんは指を動かしてスマホの写真をチェックする。
邪魔をしたら悪いと私は立ち上がって片付けに戻ろうとした。
「美波ちゃん」
「はい?」
振り返ったら、素早く本田さんが体を寄せてきた。それに驚くと
「こっち、みて」
隣からそう声がかかって、視線を上げると
カシャ
本田さんが掲げたスマホからシャッター音がなった。
本田さんは私を見ると
「きっとうまく撮れてる」
そう笑った。
だけど私は驚いてしまう。
え、つまり私と本田さん二人の写真ってことだよね?私は慌てた。
「え?今の撮ったんですか?」
本田さんはそれには答えず、スマホをスクロールすると、一枚の写真を私の前に出した。
それはさっき撮った写真だった。
しっかり笑顔の本田さんと驚いた顔の私が並んで写っている。
目を丸くして驚いた顔で、ひどい顔だ。
「え、ひどい顔です。消してください」
思わず大声で叫んでしまった。そう言ったら、本田さんは笑ってスマホをポケットに入れた。
「大丈夫、ホームページには載せないから」
「それだけはやめてください」
そう言ったら、本田さんは笑った。そしてそうだ、と言ってポケットの中を探る。
「美波ちゃん、もしよかったら、これ一緒に行かない?」
手に細長い紙を持ってひらひらと振っている。
「なんですか?」
本田さんは手にしていた紙を私の目の前に出す。
それは海外の建築家の展覧会のチケットだった。
「これ?」
本田さんを振り返ると、私を見ていつものように明るく笑った。
「知り合いからもらった物だけど、美波ちゃんいろいろ勉強したいって言っていたから、ちょうどいいと思って。よければ一緒にどう?」
都内のホールで開かれているもので、場所もここから近い。
「俺も付き合いで行こうと思っていたけど、一人だといく気がしないし、付き合ってもらえると嬉しい」
気軽な感じで、そう本田さんは笑った。
「行きます。…見てみたいです」
そう答えたら、本田さんは大きく頷いた。
日時や待ち合わせ場所を決める。それが終わると本田さんはスマホを出した。
「連絡先、教えてもらってもいい?」
「あ、はい」
私もスマホを出して連絡先を交換する。
「じゃあ、何かあったら連絡する」
「はい」
その時食堂の入り口で物音がして、視線を向けた。
そこにいたのは野上楓で、こっちをみていた。
「藤沢さん」
野上楓が私に声をかけてきた。入れ替わりに本田さんがキッチンから出て行く。
「何?」
目の前に野上楓がやってきて、キッチンを指さした。
「お茶、飲みたい」
「あ、うん」
キッチンへ向かうと、野上楓もついてきた。
「藤沢さん」
「何?」
「今、本田さんと写真を撮ってたの?」
見ていたのか、と驚いた。
「そう、なんか突然でひどい顔だった」
本当にひどい顔だったな、と思っていると返事がないことに気がついた。
野上楓は眉を寄せていた。
「あ、何かある?」
「いや、ない、けど……」
明らかに良くない顔をしている。
「本田さんと、どこかいくの?」
「ああ、展覧会に誘ってもらったの」
勉強してくる、そう言って振り返ったら、隣の顔はとても不機嫌だった。
普段はあまり感情が顔や態度に出ないのに、今はどう見てもとても不機嫌だった。
何か言おうとして、野上楓は言葉を飲み込んだ。視線を俯かせる。
なんだか思い詰めたような態度に、私は戸惑う。
「え、何かあった?」
そう問いかけると、野上楓は顔を上げた。
その目が物言いたげに閉じられる。
「いや、いい」
その態度にまた困惑する。色々おかしいと気になる。
「いいって感じじゃないけど。何?」
「もう、いい」
どうみても良くない。
戸惑う私に、目の前でまた首を横に振る。
「話変わるけど。あれ、気に入らなかった?」
心臓が大きく音を立てた。
あれ、とは、この間のプレゼントだとすぐにわかった。
ピンク色のマグカップのことだ。
「気に入ったよ、すごく」
私は俯いて視線を泳がせる。
だけど野上楓はじっと私を見るから、黙っているわけにもいかなくて、口を開く。
「あれ、すごくいい物だったから」
偶然、あれが有名なお店のものだと知った。そしてとても値段が高いことも。
しかも彼はそれを、大切な初任給で買ったのだ。
それを考えたら、簡単に使うのは気が引けてしまった。
だから、まだあのマグカップを使っていない。
「気軽に使うのは、ちょっと……割れてもいけないし」
そう言ったら、野上楓は呆れたように笑った。
「割れることなんてあるし。使って欲しいからプレゼントしたんだから」
そうして、大きなため息をついた。
「でも……そんなの」
私の答えに、野上楓は苛立たしげに口を開いた。
「気に入らないなら、そう言って」
目の前に立った野上楓は、とても苛立っていた。
私がそうさせてしまったのか、何か他に原因があるのかわからない。私は反射的に謝った。
「そうじゃないんだけど」
そう言った声は思った以上に弱くなった。
やっぱり野上楓からのプレゼントって、戸惑いもあった。
私のやったことなんて大したことではないのに、どうしてこんなことをするんだろうと思った。
だけどそれ抜きにしても、あのプレゼントはとても気に入った。素直に可愛いと思った。
だから大切にしたかったのだ。
特別な日に使うアクセサリーと同じだ。特別な日にだけ使う。
私は大事なものを使うときは、そうしている。
あのプレゼントも同じだ。
だけど、それはこの人には伝わらないみたいだった。
ケーキのイチゴを最初に食べるか最後に食べるかの違いと同じだ。
大事な物を思い切り使える人と、大事にするから使えない人がいる。
お互いの考えなんて、話し合ってもきっと分かり合えない。
野上楓が私に向ける目は苛立っていて、私はどうしていいのかわからなくなる。
俯いてもう一度口を開いた。
「嫌な思いさせて、ごめん」
目の前の野上楓が悲しそうな顔をした。その顔を見たら、自分がこの人を傷つけた気がした。
悪いのは自分だと思ってしまう。
野上楓が右手を自分の頭に差し入れてぐしゃぐしゃにした。
気まずそうに顔を逸らせて、小さく
「ゴメン、言い過ぎた」
そう、謝った。
私たちの間に重い気配が漂う。
少し前まで、私と野上楓はとてもうまくいっていたのに、どうしてこうなってしまったのだろう。
やっぱりダメだ、と思う。
私たちは本当に上手くいかない。
でも、そんなのはずっと前からわかっていたことだ。
だからずっと彼の事を避けていたのに。
少し上手くいっていたから、油断してしまった。
この間二人で過ごした時は、とても穏やかで楽しい物だった。
あの時に戻りたいと強く思った。
そうしたら、私はこの人と話したりしないで、家に帰るのに。
そうしたら、きっと今日みたいに辛い思いはしないで済んだのに。




