6話
「さすがに慣れが必要ね、主様」
「ま、待ってくれよ。なんだか目が回って……」
荒い息を整えながら、影に包まれた空間から飛び出す。
まるで荒れ狂う船の上から、急に地上へと戻ったような感覚だ。
酷い酔いに耐えながらも、顔を上げる。
だがそこには、酔いが覚める光景が広がっていた。
Fクラスダンジョンの浅層とはけた違いのプレッシャーを放つモンスター。
そしてナイフ一本でそれに立ち向かおうとする探索者の姿があった。
いや、その探索者こそよく知る顔……白鷺華恋だった。
つまりここは、校内のダンジョンではない。
Fクラスダンジョンなんかに、Sクラス探索者が潜るはずがないからだ。
とっさに周囲を見渡し、そしてこちらも見覚えのあるドローンを発見する。
それもいかつい形状の最高級機種が三機も随伴している。
だが問題はそこではない。
正面カメラ横の、配信中のランプが赤く点滅しているのだ。
その事実を認識した瞬間、モンスターの殺気とは別の冷や汗が俺の背筋を伝った。
「な、なにか顔を隠せる物! はやく出してくれ!」
一歩間違えば破滅だ。
Fクラスの身分で、上のランクの規定ゲートを突破してこの深層に潜り込んだ。
この不法行為が露呈すればライセンスを剥奪され、金輪際ダンジョンへの立ち入りを禁じられる。
それは、手術費を稼ぐ手立てを完全に失うことを意味していた。
だが顔さえ見られなければ、最悪の事態は防げる。
咄嗟に身につけていた上着のフードを深く被り、防塵用のマフラーで口元をきつく覆う。
目元以外を隠す俺の焦燥をよそに、ハクアは呆れたように声を上げた。
「それじゃあ意味ないわ。その力を知らしめる好機じゃない」
「知らしめてもライセンスを取り消されたら本末転倒だろ! ダンジョンに入れなくなるんだぞ!?」
「まったく、仕方ないわね。それがあなたの命令なら、従うけれど」
しぶしぶハクアが影の中から取り出したのは、古風な狐の面だった。
黒いそれでとっさに顔を覆い、カメラから素顔を隠す。
「ここは危険よ! 早く逃げて!」
白鷺の声がダンジョン内に反響する。
だはハクアは心底不思議そうに首を傾げた。
「私達にいっているのかしら。けれど残念。主様ならこんな相手、路傍の羽虫のようなものよ」
「そんなことないだろ!?」
冗談じゃない。
いくら規格外の刀を手にしたとはいえ、俺自身はFクラスの探索者だ。
目の前の化物はビルでさえ一撃で倒壊させそうなほどの威圧感を放っている。
気を抜けば、俺なんか一瞬で血煙となるだろう。
自分の脆弱さなら、誰よりも一番理解している。
だからこそ、決して油断などできなかった。
『いい? 真面目に恐れを抱けることは長所でもあるけれど、あなたは私の力を過小評価しすぎよ』
脳内に直接ハクアの声が響き渡った。
『私の本当の力はこんなものじゃないわ。いずれ主様がそれに相応しい器を培ったなら、すべての力を見せてあげる。だから今回は、特別よ』
◆
白鷺華恋は、目前で展開されるあり得ない現象に息を呑んだ。
乱入してきた少年はブラッド・ホーン・アステリオスを前に、ただゆっくりと刀を構えた。
装備自体は地味――いや、駆け出しの探索者によくあるものばかりだ。
だが唯一、彼の握る白亜の刀だけは違った。
探索者として感じる。
そのただならぬ気配と、抑えきれない力の奔流を。
「な、なんなの!? この力は……」
傍若無人に斧を振り回していた災厄――ブラッド・ホーン・アステリオスの巨躯が、止まる。
まるで極寒の雪原に放り出されたように、カタカタと震えを覚えて硬直していた。
明らかにアステリオスが畏怖している。
人知を遥かに超えたモンスターが、本能として恐怖という感情に縛られ身動きを止めているのだ。
それがどれほど異常な事態か、現場に立つ華恋自身が身をもって理解していた。
下層のダンジョンのモンスターが上位探索者を見て逃げていくのと同じだ。
乱入してきた少年の力絶対的なまでに高みにあることの明確な証明に他ならなかった。
華恋の脳内で築かれてきた探索者としての常識が、脆くも崩れ去っていく。
『おいおい、なんだいまのプレッシャー』
『アステリオスが固まってないか?』
『っていうかアイツ誰だ!? なんで顔隠してるんだよ!』
『でもアイツ、腰に初心者用のホルスター巻いてね……? 駆け出しじゃないのかよ!』
『なのにあんな刀見たことねぇぞ!! 何か喋ってからボスが一歩も動けなくなった!!』
『華恋ちゃん早く逃げて!!』
ドローンカメラの向こうで、数万人が固唾をのんで見守る。
謎の少年は真面目で慎重な足取りで静かに構えを取る。
「呼んで、天地を揺るがす猛き閃光を。その名前を――」
少女の求める声が、響く。
それは少年の口からではなく、足元の使い魔のもののように聞こえた。
そして応じるように、少年は刀を上段へと振り上げる。
「轟け――『蒼雷』」
決着は、一瞬だった。
放たれた一太刀の軌跡から、目も眩むほどの圧倒的な青い閃光が炸裂した。
雷鳴などという生ぬるいものではない。
それはただ純粋な圧倒的暴力としてアステリオスの巨体を文字通り丸呑みにしたのだ。
音が、遅れて消失した。
光が収まったあと、目の前に聳え立っていたはずの厄災は、一片の塵となって大気へと完全に霧散していた。
「……ぁ」
あまりの事象に、華恋は声の出し方すら忘れていた。
絶対的な死の象徴がただ一撃で、事実としてこの空間から消去されていた。
『は?』
『え?』
『え、いまの何』
『ちょっとまってボスどこにいった??』
『バグか??? 映像バグった?』
『なんか青い光が走った瞬間にアステリオスがチリになって消えたんだが!!』
『あいつの一撃だけでS級災厄が死滅したぞ!!』
『やばいやばいやばいやばい!!』
『だからあいつは誰なんだよ!?!?』
無言で固まる華恋を尻目に、凄まじい熱量を持った熱狂が滝のように画面を埋め尽くす。
だが、当の少年だけがただ一人、自分自身が引き起こした途方もない結果の惨状を前に冷や汗を流していたのだった。




