7話
「50階層の深層モンスターを、たった一撃で……?」
血煙すら残さずに完全に消え去った怪物の痕跡。
空っぽになった巨大な部屋で、華恋は自分自身の目を疑っていた。
なんの変哲もない少年が、ブラッド・ホーン・アステリオスを片付けてしまったのだ。
『は????』
『マジでヤバい、画面が光っただけでボスが消滅したんだけど!!』
『特効魔法か!? なんで顔隠してる!?』
『神技なんてレベルじゃない!!』
『ていうか華恋ちゃんの言葉にガン無視かよ!? 』
『待って、あれ絶対どこかの国の機密Sランクとかだろ!』
『今すぐこいつ特定班動け!』
信じられない速度で大量のチャット文字が滝のように流れていく。
何十万人もの視聴者が熱狂に湧き上がり、同接数はバグのように急上昇してすでに百万人に迫っていた。
ただ呆然と座り込んでいた華恋は、刀を鞘に戻す音でハッと我に返った。
自分が先刻まで死にかけていたことなど忘れ、恩人の前へと縋るように声を張る。
「あ、ありがとう……助かったわ」
Sクラスの最上位探索者である彼女が、頭を深く下げる。
普通ならば同じ探索者として至高の栄誉だ。
しかし。
その言葉を受けた仮面の少年は、ぎこちなく片手をあげただけだった。
「ど、どうも……」
「……お名前だけでも聞かせていただいてよろしいでしょうか?」
「それはちょっと……ごめんなさい、そういうのやってないんで……」
「へ?」
華恋が戸惑うなか、少年はただ首をブンブンと激しく横に振って後退した。
まるで厄介事の核心から逃げようとしているようにすら見えた。
「ふふ、覚えておきなさい。この主様は――」
「頼む! 大人しくしててくれ!! 君、怪我に気をつけて! それじゃあ!」
「え? ま、待って……!」
使い魔が言い募ろうとするのすら強引に制止して、少年は身を翻して上層階へと続く階段へと走っていった。
◆
「やばいやばいやばいやばい! 」
とっさに数階層上の人のいない人気のないルートへ跳び出した。
岩陰にへたり込み、ようやく狐のお面を顔から外す。
バレていないか。
監視の目は付いていないか。
警戒から胸の動悸が早まる。
「主様? 私の影の転移は、再使用に膨大な時間が必要なの。そんな貴重な力を使ってまでチャンスをあげたのに、逃げるなんて理解に苦しむものね」
「だから説明しただろ! 俺があの場所にいたってバレれば、もう全部おしまいなんだって!」
ただバレたくない一心で逃げてきたが、あまりにハイリスクすぎた。
首を傾げたハクアが怪訝そうな瞳を向けてくる。
「ライセンス? ってやつでしょ。けれど別にそれがないとダンジョンに入れないってわけじゃないんでしょ。あくまで支援を得られるってだけで」
ドサリ、俺は膝に力を入れて姿勢を正した。
「俺の家族は、ダンジョン出現時の『転移災害』に巻き込まれて行方が分からなくなってるんだ。運良く生き残ったのは俺と……妹がひとりだけ。俺たちの両親は、『迷宮探索機構』と呼ばれる機関にいた人間だった」
「研究者だったってこと?」
頷く俺の目に、嫌な過去の情景が過る。
怒りではなく、深い無力感に塗れた泥のような記憶だ。
「両親が消えたあと、残された俺と妹に、散々世間から罵詈雑言が飛んだよ。『あの転移災害が起こったのは、お前たちの両親のせいなんじゃないか』ってな」
「馬鹿馬鹿しい。そんな訳ないでしょ。たかだか人間如きが、あれをコントロールなんてできるわけがないじゃない」
「被災者やその家族にとって真実かどうかは関係ないんだ。あの理不尽な天災に対し、自分たちのやり切れない悲しみをぶつける相手が欲しかったんだ」
真面目に生きてきた両親が矢面に立たされる怒りはあった。
だが、あの理不尽に全てを奪っていった天災に、なにか理由を求める気持ちもわかってしまう。
誰かが悪者で、そいつを責められればどれほど気が楽になるか。
そんな簡単な感情の整理の方法を、俺も求めていたからだ。
「これでもかってくらい理不尽に批判を受けたよ。……だから、余計に表立って行動するわけにはいかないんだ」
「それが、無駄に目立ちたくない理由ってこと?」
「過去を掘り返されて俺が批判されるだけなら構わない。だが妹まで……『人殺しの子供』だ、なんて批判に晒されることだけは、絶対に我慢できない」
拳をきつく握り込む。
理屈も何も関係ない。
この一点だけはどうしても譲れないラインだった。
「わかったわ。主様がそう望むのなら協力するわ。……けれど一切目立たずにギルドの手順を踏んで最速でクラスアップを目指すのには、少しやり方に工夫が必要になると思うけれどね」
「それでもいい。フロアボスの撃破記録と、レベルアップを地道に続けていく。それが自分の目的へと近づくための、何よりも確実な最短ルートなんだ」
ハクアと二人きりの空間。
ただ一人待つ場所を思い描く。
「そうすれば妹の……風音の完治だって夢じゃなくなるはずなんだ」
圧倒的な力を手にした今だからこそ。
決して舞い上がることなく、地道にただひたすらに。
目的に突き進むべきなのだ。
今までは絶対に届かないと思っていた。
袋小路の中でぐるぐると同じ場所を回っていた。
だがそれももう終わりだ。
手の中には白骸が。そして傍らにはハクアがいる。
希望はすでに、手を伸ばせば届く場所にあるのだから。




