5話
「あれ? もう配信付いてる?」
「何度も確認したはずよ。いい加減、流れを覚えて」
重苦しい空気が漂う『トーラス・ダンジョン』第49階層。
浮遊するDドローンのランプの点灯と共に、華恋は隣の男へと険しい視線を向けた。
「ごめんごめん。そう怒んなって。まぁそれでも可愛いけどさ」
場違いなほど軽薄に笑う隆也。
華恋は相手をせず、レンズに向き直って語りかけた。
「こんにちは、華恋です。ダンジョン攻略記録、272回目。今日は『トーラス・ダンジョン』の49階層からになります」
『華恋ちゃん待ってました!』
『今日ついに深層じゃん!』
『あれ、なんで隣にあの金持ちのバカがまたいるの?』
『まーた天叢雲重工の七光りかよ。早く消えろ』
『マジで横のやつ要らない』
彼女の指し示す先には、地の底へと向かって口を開ける巨大な黒い石段があった。
冷風が不気味に吹き上がってくる。
だが肝心のコメント欄には早くも隆也に対する呆れと不満が殺到していた。
「落ち着いてください。今から私達が挑戦するのは50階層……通称、深淵層への階段です。ここから先は危険度が跳ね上がり、正確な情報を持ち帰った探索者があまりに少ないことから、その名が付けられています」
「まぁ、他の探索者が雑魚だったってことじゃない? 俺と華恋なら問題ないっしょ」
『は? こいつマジで言ってんの?』
『未踏波エリアでイキるとか死亡フラグだろww』
『自分がAクラス(笑)なのお忘れか?』
『これスポンサーの息子じゃなきゃ炎上もんだろ……』
「道明寺。いい加減に黙ってください。不快です」
ドローン越しの批判と完全に一致した明確な敵意。
華恋の容赦ない一言に、隆也の顔からへらへらとした笑みが消える。
「な、なにマジになってんの? 冗談だろ、冗談。まぁ? ここからは俺も、ちょっとは本気を出そうかな?」
視聴者のコメントを無理やり無視して、隆也はこれ見よがしに天叢雲の特注装備を見せびらかす。
最新鋭の装備なだけあり、これまでのモンスターの攻撃を受けても傷ひとつついていない。
だがそれが優れた装備であることの証明にはならない。
それを華恋は十分に理解していた。
「いえ、私の後ろにいてください。下手に動かれると、守れなくなります」
「は、ははは! なんだよ、華恋も冗談言ってんじゃん! でもあんま笑えないから、次からは言うなよな」
「頼むから、余計なことはしないで」
祈るように、華恋は誰にも聞こえない声で囁く。
そのまま自身の得物である鋭利な白銀の長剣を抜き放ち、深く暗い50階層へと足を踏み入れた。
◆
降り立った直後。
鼓膜を破るような獣の咆哮が、広大な石造りのフロアを揺るがした。
『――ブラッド・ホーン・アステリオス』。
全身の血管が異様に隆起し、二本の巨大な血塗られた角を持つ災厄級の牛頭魔人。
深層に相応しいその威圧感の前に、空間の空気そのものが重く凍りつく。
『うわぁああ! なんだこれ!?』
『ボスのサイズがおかしいだろ!!』
『特異個体じゃん! やばいって華恋ちゃん!』
悲鳴めいたコメントが画面を滝のように流れる。
「な、なんで動かないんだ!? くそ、クソが! こんな時に故障しやがって――」
最前線で、隆也が情けない声で膝をついていた。
だがそれも当然と言えた。
モンスターの大斧を、天乃羽衣で真正面から受け止めたのだ。
その結果、装備の防御機能が一瞬でオーバーフローを迎え、緊急停止を余儀なくされていた。
本来であれば、防御機能は致命的なミスをカバーするための機能だ。
しかし全くの実戦経験がない隆也には、そのような常識は通用しない。
次の一撃が来れば、生身の人間など只の肉塊へと変わるだろう。
それだけは、隆也も本能で察知している様子だった。
「止まっていないで、動き続けて!」
「俺は悪くない! このクソみたいな性能の装備が悪いんだ!」
華恋はどうにか引きずるように隆也を避難させる。
もはやこの状況では天乃羽衣もただの重りでしかない。
どうにか落ち着かせようと、試みるがしかし。
「お願いだから言うことを聞いて。相手の動きをよく見れば、避けることも難しくない!」
「死にたくない! 俺はこんな所で死んでいい人間じゃないんだ!」
『マジで使えねぇなおい!!』
『あいつ足引っ張ってるだけじゃん!』
『最悪だ……』
すでに話ができる状態ではなかった。
パニックに陥り四つん這いになる隆也を庇うように、華恋が前衛へと割り込む。
長剣で重い斬撃をいなし、姿勢を崩した敵の脇腹を縫って後方へと叫んだ。
「来る! 左右に避けて!」
「も、もう嫌だ! 地上に帰るぞ、俺は――」
血走った目をした隆也は、恐怖のあまり上階への階段へ向かって走り出した。
それも、まっすぐに。
アステリオスの突進を避けるには左右に避ける必要があった。
つまり隆也の逃げるルートは、最も危険な場所に自ら突っ込む行為だった。
「この馬鹿!」
咄嗟に身を投げ、強引に隆也を突き飛ばした華恋の横腹に、巨獣の重厚な腕が激突した。
――衝撃。暗転。
全身の骨が軋み、臓器が潰れたかのような絶大なる痛みに、声すら出なかった。
華恋の華奢な体は宙を舞い、冷たい石壁へと激しく叩きつけられる。
空中のドローンからけたたましい緊急アラートが鳴り響く。
意識が混濁し、赤い血で視界が霞む。
その視界の端に映ったのは、遠ざかる背中。
足をもつれさせながら、無我夢中で階層の階段へと逃げ出していく隆也の後ろ姿だった。
(それでいい。後はこのモンスターを追い払えば――)
力を振り絞り、落としたはずの自身の愛剣を拾おうと腕を這わせる。
しかし。無い。剣が。周囲のどこにも。
愕然として再び階段へと振り返った華恋の瞳に、信じられない光景が焼きついた。
逃げていく隆也の手には、命の綱である華恋の白銀の剣が固く握られていたのだ。
「嘘でしょ……?」
自身の装備が使い物にならなくなったからか。
それとも少しでも逃走中の生存確率を上げるためか。
隆也は無意識か故意か、倒れた華恋の傍らから一番高価な武器を持ち去ったのだ。
それが、仲間を確実に見殺しにすることと同義であるとも知らずに。
迫り来る魔獣の足音。そして死の影。
華恋はとっさに腰のホルスターから小さなナイフを引き抜く。
何の変哲もないサバイバルナイフ。
50階層どころか、このダンジョンでは浅層のモンスターにさえ通用しない代物である。
それでも、抵抗しないという判断は華恋の中に存在しない。
「時間を、稼いで……逃げないと……っ」
気力でナイフを前に突き出すが、手が小刻みに震えていた。
内臓をやられているのか、視界が小刻みに揺れていた。
自身の身長ほどの巨大な大斧が、無慈悲に上段へと振りかぶられる。
絶大な力を持つ災厄を前に、Sクラスという肩書きは何の意味も成さなかった。
理不尽なまでの恐怖に、強気を保っていた華恋の瞳から初めて大粒の涙が零れる。
「誰か――」
彼女の絞り出した声が、冷たい深層の風にかき消されたまさにその時。
魔獣すら警戒して足を止めるほどの異様な黒い波動が吹き荒れた。
『ほら主様、ちょうどいいタイミングじゃない』




