4話
「本気ですか?」
校内の防音設計が施された貴賓室で、華恋は静かに問い詰めた。
話し相手が目の前にいるわけではない。
目の前には仮想モニターが並び、そこには絶えずノイズが走っている。
そもそも華恋は相手の素顔を見たことすらない。
だが相手が要求していることは明白に理解していた。
だからこその、問いかけだった。
「あぁ。上からの命令だ。道明寺を連れて50階層の攻略を進めろ」
「死にますよ。下手をすれば」
下手な言い回しはせず、事実をそのまま告げる。
トーラス・ダンジョンの第50階層は、Sクラスの探索者でも一瞬の油断が命取りとなる危険領域。
実力に見合わないAクラスの生徒――実家の権威しか持ち合わせない道明寺を連れていくなど、常軌を逸している。
だが相手の要求は変わらない。
「『天乃羽衣』を装備しているのであれば、理論上は50階層のモンスターにも対応できるはずだ。よほどの無能でない限りはな」
「お言葉ですが、彼がその無能だった場合はどう責任をとるんですか?」
「そうならないよう、お前がいるのだろう。間違っても天叢雲重工の恥を世界に晒さぬよう、細心の注意を払え」
「……了解しました。善処します」
「違うな。善処ではなく、完遂しろ。契約を忘れるな」
一方的な言葉と共に、通信が遮断される。
画面が落ちた暗い部屋の中、華恋は一つだけ長く息を吐き出した。
「絶対はありませんよ。ダンジョンの中には……」
聞こえない相手への助言は、まるで自分に言い聞かせているかのようだった。
十分な装備さえあれば死ぬことはないという、現場を知らない机上の空論。
それでどれほどの探索者が犠牲になったか。
それは実際にダンジョンへと足を踏み入れた者にしか理解できないのだろう。
うずたかく積み上げられた、犠牲者の山を。
◆
土煙を上げ倒れる巨体。
そんなモンスターと手元の刀身を見比べる。
呼吸は荒れ、動悸は激しく打ち続けている。
しかし怪我をしたからではない。
あまりの成果に、だった。
「い、一撃……!?」
両断された魔物がドロリと形を崩していく。
振り抜いた手には確かな反動があったものの、あまりにあっけない結末だった。
ドレッド・サイクロプス。
巨体から繰り出される攻撃と、凄まじい生命力で広く知られているモンスターだ。
Fクラスダンジョンでは最も注意すべきとさえ言われている。
そんな数日前まで影を見ただけで逃げ回るしかなかった強敵。
それを俺は一歩も引くことなく沈めてしまったのだ。
己の手にあるモノの価値が大きすぎて、戸惑いだけが先に立つ。
「当然でしょ? この私の権能の一部を具現化したのだから」
背後の空間が揺らぎ、真っ黒な靄の中から一匹の黒狐――ハクアが誇らしげな声色で現れた。
「これならもっと深い階層に潜ることだって夢じゃない!」
深く潜れれば高価な素材が手に入る。
妹の莫大な手術費にも手が届く。
もしかしたら、今も行方不明になっている家族の手がかりを探すことも。
諦めかけていた全ての現実に、一筋の強い光が差し込んだように思えた。
「それがおすすめね。その子……『白骸』は殺めたモンスターの魔力を吸収する能力があるの。つまり戦えば戦うだけ主様が強くなるわ。使いこなせるよう励むことね」
「とんでもない能力なのはわかった。大事にする。……ただ、その姿は一体どういう……」
足元にすり寄ってくるハクアは、初めて見た時よりも小さな姿をしていた。
片手で抱えられるほどの仔狐……よりもさらに縮んでいる。
そんな彼女は両足で地面をタシと叩いた。
「どういうもこういうも、可愛いでしょう? 魔力を節約するための仮の姿よ。特別に撫でていいけれど、優しくしなさい」
素直に頭を下げるハクアの柔らかな毛並みを、気をつけながらそっと撫でた。
見た目は完全に小動物だ。それも最高級の毛並みを持つ。
だが実際には強力無比な使い魔であることは間違いない。
これほどの妖刀と能力を持ち合わせているのだから。
「……そういえば、なんでハクアが宿ったあのカードは鑑定できなかったんだ?」
「そんなの決まってるでしょ。人間の作ったあんなガラクタで私の枠組みを推し測ろうなんて、おこがましい」
「それじゃあ、実際のランクに換算するとハクアの力はとんでもないレベルってことだよな……」
「ようやく理解したの? 主様はもう少し自覚を持った方がいいわ。私が特別に力を貸してあげたこと、それがどれほどの恩恵かをね」
「あぁ、分かってるよ。必ず使いこなしてみせるさ」
俺自身が強くなったわけではない。
だがハクアの力を借りていけば、今までは一生かかっても届かなかった高みにも手が届く。
受けた恩は必ず結果として返そうと誓い、強く握り直した白骸へ視線を落とした。
◆
「あれは……使い魔? 勝手に動いてるように見えるけれど」
帰還ルートを進む道すがら、ハクアが声を上げる。
その視線の先では、丸い小型機械が通路をふらふらと浮遊していた。
「あぁ、あれはDドローンって言うんだ。元々はダンジョン内の構造や戦闘データを残しておくための記録端末らしいんだけど、ここ数年は専ら動画配信のカメラとして運用されてる」
「まぁ、今は私が傍で探索の手引きをしてあげるから記録なんて必要ないとして。なぜ主様は使っていないのかしら? 便利そうじゃない」
「使ってないんじゃなくて、使えないんだよ。最底辺のFクラス探索者にはドローンを所持する権限すら与えられないからね。万一記録したところで浅層の退屈な映像なんて価値がないだろ、って理由で弾かれたんだ」
「Fクラスというのは、この社会におけるどの辺りなの?」
「正真正銘の最底辺だよ。おかげで挑戦できるダンジョンも限られてる」
嘘偽りのない今の俺の現在地。
それを告げると、ハクアはピクリと狐耳を震わせたかと思うと、心外だと言わんばかりに鼻を鳴らした。
「私の主が底辺の称号なんて、不愉快ね。なぜそんな屈辱的な評価に甘んじているの? すぐにあげなさい。今すぐよ」
「無茶言うなって。クラスを上げるには『フロアボス』って呼ばれる強敵を規定数討伐したりして、ギルドの評価レベルを順番に上げていく必要があるんだ。急には無理なんだよ」
「悠長なことね。そんな下働きを何年もするつもりなの?」
「以前までの実力不足の俺なら一生無理だった。けど……今はこの白骸とハクアがいる」
焦りは禁物だが、希望は見えている。
クラスを上げれば挑戦できるダンジョンも増える。
危険なダンジョンに挑戦できれば収益も上がる。
収益が上がれば貯金が増え、妹の手術も可能になる。
短くはない道のりだ。
だが今の俺なら、到達できない道のりではない。
手の内には白骸、そして傍らにはハクアがいるのだから。
「地道にこなせば近々クラスアップの手続きに入れるはずだ。一歩ずつ、確実にやっていくさ」
「……馬鹿馬鹿しい。そんな人間の決めた退屈な手順、待ってられないわ。手早くいきましょう」
「な、なにを――」
ハクアの小さな身体から一瞬で影のような魔力が吹き上がり、足元に広がっていく。
「暴れないでね、主様。ちょっと揺れるかもしれないわ」




