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異セカイは夢日記とともに…  作者: 悠月 柚裕
異セカイ動乱

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影は静かに形を変える

お疲れ様です。悠月と申します。


まだまだ物語も序盤。気張っていきます。厳しいお言葉含め、感想・アドバイスお待ちしております。

第7話 影は静かに形を変える


 世界が一度息を止めて、また始める瞬間のようだった。


 目の前に立っていた二人の男が、光の中で消えた。霧の色が深い紫に変わって、空気が硬くなり、音という音が広い水の中に沈んだときのように遠ざかった。そして、丘の上の景色だけが何事もなかったように戻ってきた。残されたのは、靴が草を踏み続けていた跡と、剣を構えかけた自分の右腕の角度、そして喉のすぐ奥に張り付いた苦い味だけだった。


 月見は、剣にかけた腕の力をゆっくりと抜いた。帯びている剣はまだ鞘に納まっていた。今のは、抜く必要のないやり取りだった。少なくとも、彼女はそう判断していた。消えられるまでは。


「……ロタス。ハグル」


 護衛の二人の名を、抑えた声で呼ぶ。男たちは丘の頂上で、剣を握ったまま何かに殴られたような間抜けな顔をしていた。


「は」

「いい。剣を納めなさい」

「しかし、月見様」

「納めなさい」


 ロタスが、まず納めた。続いてハグルが納めた。鞘の音は、彼女の感覚で言えばいささか乱暴だった。動揺しているのだ。動揺は人を素直にする。素直な兵士は使いやすい。


 彼女は丘の頂上の、一番風の通る場所に立って東の方角を覗く。夜が完全に白んでいた。麦畑の波の遥か彼方、霧の少し残る地平線の薄い青のさらに先に、何か低く重なる町の輪郭が淡く滲んで見えた。馬で三日。常人の足で歩けば、五日と少しの距離。帝都だ。


 彼女の特別な目は遥かな帝都の輪郭を、地平線越しにぼんやりと、しかしほぼ確実に、捉えていた。自分が探したい二つの輪郭までは見つけられなかった。あの二人を、距離が隠していた。


「すぐに、偵察の魔術式を使います」


 ハグルが言った。まじめな男だ。


「いや、良い。少なくとも私の目が届く範囲にはもういない」

「そんな…」

「まさか、物質転送ですか」


 ロタスがつぶやく。月見は、頷きでもない頷きで首をわずかに傾けた。


「そう、見えたわね」

「あの大きさのものを、二人分一気に。距離も……」

「分からない。けれど、彼らはもう私たちの手の届く距離にいない」

「物質転送だとして、そう誰でも使える類のものではありません」

「ええ」

「魔女か、国跳びか…まさか暗芽?」


 いくつかの可能性は浮かぶが、全て定かではない。そもそも、彼らにそんな強力な術を使えるような支援者がついているとも思えなかった。


「第三者の…介入」

「報告は、月見様が?」

「ええ。朝のうちに発つわ」

「我々は?」

「あなたたちはあの宿場町に戻って、宿の主人と門番、あと北の麦畑沿いの村に立ち寄った旅人を、もう一度確認なさい。できれば彼らが接触したという商人の足取りも。聖王国の任務としてではなく、町の取り締まりの依頼として」

「は」

「目立たないように。あくまで町のため、と言いなさい」

「は」


 ロタスは敬礼した。ハグルが続いた。月見は丘の頂上のまだ少しだけ温かい草を、靴の裏で軽く踏みつけて、それから東の地平線をもう一度だけ見た。



 馬車は、聖王国へ向かって南へ走った。


 帝国側の街道はそれなりに整っているが、聖王国に入ると、最早整っているという言葉では表せない、道は急に白くなる。聖王国は、街道に細かい白い石を敷き詰めるのだ。建物の白さに合わせるためだ、と昔ある聖魔法学者が論文に書いた。聖王国は外も内も白いほうがいい、神の意志は色を持たない、というのが要旨だった。月見はその論文を聖騎士になる前に読んだ。


 幼かった彼女はそれを読んで、深く頷いた覚えがある。今でも同じように頷けるだろうか。馬車の窓の外を白い石の道が後ろへ流れていく。両脇は灌木と、麦畑、それから時折聖王国特有の、白い壁の小さな農家が現れる。屋根は灰色に近い銀。煙突の煙が、季節違いの綿毛みたいに空にゆっくり上がっている。


 穏やかな国の穏やかな風景だ。この穏やかさが、月見にはときどき息苦しい。彼女は窓の縁に右肘をつき、頬を手の甲に預けて目を閉じる。丘の上で彼の持つノートを除いた時、確かに昨日は無かった記述が増えていた。


(彼は…腐王の姿を見たことあるのかしら…じゃないと、あんな…)


 ◇


 その日の夕刻には月見は既に聖都に入っていた。白い壁、白い階段、白い天井。聖都は、地に降ろされた巨大な聖堂のような町だった。市民の家ですら外壁は漆喰の白で、塗り直しを月に一度行う家すらある。日が傾くと町全体が淡い橙に染まり、夜が来ると青く沈んで、星の明かりだけで歩ける。神に近い町、と旅行者は言う。月見はその表現を否定しない。否定しないが、しっくり来たこともなかった。。聖庁の正門をくぐって、馬車を降りる。中庭で、隊長のヴァスト・カラーラが自ら出迎えた。


「ご苦労」


 声は短く、低い。ヴァストは四十を少し過ぎた男で左目の上から頬にかけて、長い古傷がある。聖騎士の中でも剣術で名のある男だが、彼は剣のことを「自分が一番苦手にしている道具」と公言する。だから、彼の話は信用できると月見は評価していた。彼は剣を上手いと思ったことが一度もない人間の口で剣を語る。


「報告を今すぐ伺いたい」

「分かりました」


 月見は中庭から回廊を抜けて、第三聖堂の脇の小部屋に通された。ここは、聖騎士が機密の案件を口頭で報告するための部屋で、壁には何の装飾もない。窓は高い位置に一つだけある。光は天井近くから、斜めに降りる。声は壁の漆喰に吸われて外には漏れない。月見はこういう声を吸う部屋が、嫌いではなかった。


 報告は感情を抜いて、事実だけを並べた。接触の経緯。監視中の所感。丘の上での交渉の試み。男の同行者が「提供できるもの」と引き換えに連行を取り下げてほしい、と言ったこと。彼女がその提案を、上の許可なく受けるわけにいかなかったこと。交戦開始直後、青年と同行者が転送と思われる現象で消えたこと。


 月見が一通り話し終えると、ヴァストはほんの少しだけ間を置いた。


「同行者の男はどんな男だった?」

「身長は、私より頭一つ高い。茶色の髪、二十代前半。剣はおそらく長剣。鞘から抜く時、音を立てなかった」

「音を、立てなかった」

「ええ」

「それをお前はどう見た?」

「ただの旅人ではない、と」

「具体的には」

「剣術の極みといえる立ち位置にいるでしょう」

「ふむ」

「あなたと同じ技術です」


ヴァストは、ふっと笑った。古傷のある左頬の、皺の広がり方が普段と違った。久しぶりの本当の笑い方だった。


「相手の青年の方は?」

「現実感に乏しい目をしていました」

「現実感というと?」

「自分の目に映っていることを、どこか他人事のような目です。経験ではなく、感受性の問題に思われます。歳は二十前後。出身は分かりません。彼の使う言葉に、訛りはありませんでした。」


ヴァストは、二度頷いた。


「例のノートの中身は?」


月見は、息をほんの少しだけ深く吸った。


「子どもの筆跡で、いくつかの記述がありました。意味の通るものと、通らないものが、混ざっています」

「例えば?」

「『おかあさんはしんでしまった』」


 部屋の音が変わった。壁が漆喰の音を吸った。沈黙が、ほんの一瞬だけ形を持ち、月見はその沈黙の中で、ヴァストの肩がほんの少し強張ったのを見た。


「他には?」

「『次は、逃がさない』。これは別の筆跡でした。そして、おそらく腐王のイラスト」

「…腐王の」


 ヴァストはしばらく、自分の指の付け根をもう片方の手の親指で強く押していた。何かを考える時の癖だった。月見はもう一つ、迷っていた言葉をここで出した。


「隊長」

「ん」

「『十の戒め』を外交の言葉使う、その方針は」


 ヴァストの目が月見を見た。優しい視線だったが、答えは硬かった。


「それは、お前が問うべきことではない」

「はい」


 月見はそれ以上は言わなかった。部屋を出る時、ヴァストは廊下まで送ってくれた。それは、彼にしては珍しいことだった。


 ◇


 深夜、月見は宿舎の自分の部屋で、灯りをひとつだけ点けて机の前に座っていた。窓は閉めていた。聖都の夜は、街灯がない。代わりに、あちこちの家の窓が油の光と聖魔法の光を半々に漏らして、町全体を青白く沈ませている。月見の部屋からは聖都の北の塔と、その向こうの聖王の私邸の白い壁が一部だけ見えた。


 今夜、聖王は塔にいない。塔の窓に、灯りがない。


 月見は、机の上に自分の剣を置いていた。鞘の上から布で軽く拭き、そっと撫でた。聖王国の聖騎士の剣には、銘がない。代わりに刃の根元に、神の印がひとつ刻まれている。月見の剣にもそれがはっきりと刻まれていた。彼女が剣の手入れを終えるのを待っていたかのように、扉が二度軽く叩かれた。


「セレーネ」


 扉の向こうの声に、彼女は一瞬だけ目を上げた。


 彼女を「セレーネ」と呼ぶ人間は、聖王国にあまり多くない。


「入りなさい」


 扉を押して、入ってきたのは若い男だった。ティル・モルト。まだ能力を受け取っていない聖騎士見習い。同じ故郷で育った、そして月見が剣の基礎を教えた、彼女に近い後輩のひとり。


「……ご無事で何よりです」

「大げさね」

「今回の任務は、不確定な要素が多かったと聞いています」


 月見は、泣きそうになってる彼の頭にそっと触れる。


「聖王様直々よ。とても光栄なことだわ。ほら、もうそんな顔やめてこっちにおいで」


 そういって月見は彼を抱き寄せる。静かで、ぬくもりに包まれる中で月見はぼんやりと思考を巡らせた。聖王様の命令の対象で、魔女か暗芽が手助けをし、腐王の姿を知っている奇妙な服の青年。この大陸を支配する大きな力のいくつかが、彼を中心に動いているのかもしれない。


(あなたは…何者なの)


 ティルが灯りを消した。部屋が青白い夜に沈んだ。窓の向こうの聖都が、いつもより少しだけ、遠く見えた。


 ◇


 深夜、聖王の私邸の白い壁の中でたった一人、レオは机に向かっていた。目の前には、開かれた書物がいくつか無造作に積まれていた。白い革表紙、白い紙、白いインク壺。聖王国の書物は、外側だけはどこまでも白くできている。中身までそうではない、ということはもうよく知っていた。


 レオは、月見の今日の報告をヴァストからもう三時間前に受け取っていた。受け取って、聞いて、頷いて、別の用件で起立して、別の聖堂の儀礼に出席して、また戻ってきた。


 その間、レオの中の何かはずっと、あの「ノートに書かれていた言葉」のひとつを繰り返していた。


『おかあさんはしんでしまった』


 彼の若い顔の緑色の目が灯りを反射して薄く光った。緑というには色が淡すぎ、灰色というには熱が残っている、難しい色の目だった。聖王の目は聖王国の絵巻物ではいつも金色に描かれる。しかし実際には、こういう不確かな色をしていた。


 彼は呟いた。


「『正しさ』を、外に向かって、振っているうちに」


 誰にともなく。


「内側で、別の何かが動いている」


 レオは昨夜聞いた言葉を思い返していた。


 —―腐王の最期の言葉を。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

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続きは明日12時と19時ごろの2話更新予定です。


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