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異セカイは夢日記とともに…  作者: 悠月 柚裕
十災攻略

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23/24

ペン

悠月と申します。


厳しいお言葉含め、感想・アドバイスお待ちしております。

第23話 


 墓地は王都の規模に比して、思ったよりも広かった。


 石の墓標が、整然と並んでいる。遺灰を空に撒く弔い方をする王都の人々の元には、死者の何も残らない。だから彼らは、こうして石を並べて、亡き人との繋がりを求める。


全体としては丁寧に手入れをされている印象をうけた。墓標の前に花が供えられているものもあれば、すでに花の色が褪せて茶色く乾いているものもあり、最初から何も供えられていない石もあった。生きている人間の温度差が、ここでは、それぞれの石の前に、形として残っている。


 エルゼは墓地の奥の方へ、迷わず歩いていった。


 歩幅も、視線の動きも、迷う気配がない。


 奥のいちばん隅の小さな墓標の前で、彼はようやく足を止めた。


 石は新しいものではなかった。けれど、丁寧に磨かれていた。誰かが頻繁にここに来て、石の表面を布で拭いているということが、その艶の具合から読み取れた。


 彼は石の前に屈むと、外套のポケットから白い小さな布を取り出した。布で石の上を、ゆっくりと一度撫でる。撫でた布を、また丁寧に折りたたんで、ポケットにしまった。


 その一連の動作は、慣れていた。


「ここにいるのは僕の妹」


 彼の声は、軽かった。


「妹さん」

「うん。五歳で死んだ。僕が、十歳の時だ」

「それは…」

「それと父、母。それぞれ別の年に、別の理由で後を追った」


 俺は、何も言えなかった。


 必死に言葉を探したけれど、頭の中で並べられる単語のどれも、この場の空気の重さに、明らかに足りなかった。


 エルゼはこちらの沈黙を責めなかった。


「気を遣わなくていい。僕はこの話を、もう何百回も口に出している。最初は、口に出すたびに、肺の中の空気が半分くらい抜けるようなひどい感覚があった。けれど、何百回も繰り返すうちに、空気の抜け方が、少しずつ変わってきた」

「変わってきた」

「うん。今はたぶん、口に出すことそのものが、僕の中で一種の儀式になっている。儀式というのは、繰り返せば繰り返すほど、元の意味から少しずつずれていくものだ。けれど、ずれていくのは悪いことではない、と僕は最近、思うようになった」


 彼は石の表面を、もう一度、今度は指の腹で軽く撫でた。


「妹は、五年しか生きなかったが、その五年の間に、たくさんのことを感じた。怒ったり、笑ったり、お腹を空かせたり、絵本の続きを読みたがったり、夜中に怖い夢を見て、僕の部屋に逃げ込んできたり。けれど、それを知っているのは世界で僕だけだ」

「…」

「父と母は、知っていた。最後まで、覚えていた。けれど、二人とももういない」

「うん」

「だから、今、この世界で、妹のことを覚えているのは、僕一人だけだ」


 彼の声は、相変わらず軽かった。


「僕がもし、明日死んだら、この大地の上で妹のことを覚えている人間は、ゼロになる」

「…………」

「五年間世界の上に確かに存在していた、ひとりの女の子は、僕の死をもって、世界から完全に消える。初めからなかったかのように消えてしまう」

「…………」

「だから、僕は書いている」


 彼は石の前から、ゆっくりと立ち上がった。


 「『紅の旅人』シリーズの主人公にも妹がいてね。五歳なんだ」

「そうなんですね」

「物語の途中で、何度かちらりと出てくる。台詞も少ない。読者の中で、その妹に注目している人は、たぶん、ほとんどいない」

「うん」

「けれど僕が書いて、多くの人の手に渡った。そのキャラクターは、本の中で何度でも、いつまでも笑っている」


 彼の口元は、わずかに上がっていた。


 その微笑は、市場で人数を数えた時の得意気な笑いとは、まったく別の種類の表情だった。


 誇り、と呼ぶには静かすぎ、悲しみ、と呼ぶには明るすぎた。


 風が、墓地の上を一度、ゆっくりと抜けていった。


 風が、石の表面の冷たさと、遠くで誰かが焚いている薄い香の匂いと、それから、もう咲き終わりかけている季節の花の薄甘い香りを背負って吹いていた。


     ◇


「シンジくん」


 しばらく経ってから、彼はこちらに向き直った。


 表情はもう、最初に広場で会った時の、整った微笑に戻っていた。整え直された自意識が、再び整った輪郭でこちらの正面に立っていた。


「はい」

「君、能力ギフトは、何を授かっている?」

「あ、えーと」

「言いたくなければ、言わなくていいよ。重要な個人情報のひとつでもあるからね」

「いえ、別に、隠すほどのものでもないです」

「では、教えてくれると嬉しい」

「ペン、です」


 自己開示というのは、如何なるものでもささやかな羞恥心を、我々に思い出させてくれるが、神からもらった能力がペンを出すだけというのは、一晩経っても俺にとっては結構恥ずかしいことだった。


「ペン?」

「はい。手のひらに、ペンが出ます」

「へえ。ペンが出だせる」

「はい。出せます」

「今、出して見せてもらうことはできる?」


 俺はしぶしぶ右手を軽く広げた。


 ぽん、と軽い音とともに、手のひらの上に、見慣れた形の黒いボールペンが現れる。


 エルゼは、しばらく動かなかった。


 動かないままこちらの手のひらの上のペンを、まじまじと見つめていた。彼の視線は市場で人々を観察していた時の、流れるような動きとはまったく違った。今、彼の視線は、ペンの軸の一点に、釘で打ち付けたように固定されていた。


「これは…」

「はい」

「いつでも出せる?」

「いつでも出せます」

「インクは?」

「試してないけど、減ると思います。でも、もう一回出せば新品が出ます」

「紙さえあれば」

「書けます」


 彼はゆっくりと、こちらに、もう一歩近づいた。


 近づいて、こちらの手のひらの上のペンに、自分の指の先を軽く触れた。実体があることを、自分の指で確かめる動作だった。指先がペンの軸に当たった瞬間、彼の喉の奥で、わずかに息を呑む音がした。


「シンジくん」

「はい」

「これは、神の冗談みたいに出来すぎた能力だ」

「えっ」

「僕の頭の中で、今、嫉妬という感情が三周くらい回っている。この感情を覚えるのは、じつに4年ぶりだ」

「いや、いや、ただのペンですよ」

「ただのペンだ。それがいい。書く者にとって、書く道具を無限に、どこでも出せるなんて、天国のような話だ」


 彼の声には、いつもの整った微笑が消えていた。


 代わりに彼の本気の温度が、声のすぐ表面まで滲み出してきていた。


「僕はね。今、外套の内ポケットにペンを三本入れている。常に、だ。無くしたら、書けなくなる。書けなくなると半日ほどで、僕は、ゆっくり内側から壊れ始める」

「壊れる?」

「うん。書けない時間が長くなると、頭の中の言葉が行き場をなくして、内側で渋滞を起こす。渋滞した言葉は、出口を探して、結局僕自身を内側から押し始める。だから、僕は常に書く道具を、複数持ち歩く」

「え、ええ」

「君はそんな心配が永遠にない」


 彼はそこでようやく、こちらの手のひらから自分の指を離した。

 離した指の先でしばらく、自分の唇の脇を軽く撫でた。


 何かを考えている時の、彼の癖らしかった。


「アンカの奴め」

「えっ」

「僕は、ただの『無名の新人冒険者』を依頼したんだよ?」

「いや実際、ただの新人ですけど」

「ただの新人?そんな素晴らしい能力を持っている人間が、ただの新人?神にひいきされているとしか思えない。羨ましい。欲しい。ずるい!」

「えーと」

「僕だったら、その能力のために、両足程度までなら差し出せるぞ」

「ええ、あなたはそうかもですけど、俺は小説家じゃないから…」


 エルゼはキョトンとこちらを見る。


「君は何を言っているんだ?」

「え?いや、俺は冒険者なので、こんなペンを出せるなんていらないんです。そんなに文字を書くわけじゃないし」

「いいや、そんなはずはない。全ての人間は文字を書く。自分の意志で文字を残さない人間なんているはずがない!いいや、許されるはずがないんだ。全ての人間は、人間として、出来る限り思ったこと、考えたこと、感じたことを書くべきなんだ。君は、どこでも、新鮮な文字を書ける。こんなに人間的な能力は他にはないだろう!!」


 今日初めて、彼から感情というものがあふれて、消えた。


「すまない。取り乱して」

「い、いえ」

「とりあえず、その能力をなるべく使うといい」


 彼の声は、軽い整った口調に戻っていた。


 けれど、その軽さの中に、わずかに本気の押し付けが含まれていた。実際には、押し付け、というほど強引ではない。命令、というほど偉そうでもない。けれど確かに、こちらに何かを託そうとしている響きが、その声の中にはあった。


「そして、書くんだ。何でもいい。今日見たもの、今日聞いた音、今日すれ違った人の顔の特徴。君の場合、今思ったことでもいい。メモ程度でもいい。拙くていい。曖昧だってかまわない。書かなかったものは君が死んだら、君と一緒に消えるんだ」


 彼の言葉は、墓地の風の中で奇妙に長く、こちらの中に残った。


 俺は手のひらの上のペンを見つめる。


 昨日、マリーの前でペンしか出ない、と落胆していた。同じペンが今、別の意味を持って、手のひらの上で軽く、しかし確かに、温度を持っていた。


  ◇


 墓地を出て、坂を降りていく途中で、エルゼがちらりとこちらの頬を見た。


「シンジくん、その傷」

「あ、はい」

「まだ新しい。最近のものかな」

「昨日です」

「魔獣?」

「四耳狼、です」

「四耳狼か。新人冒険者が、一週間目で四耳狼と相対するというのは、なかなか勇敢な始まり方だ」

「いえ、あの、自分で進んで相対したわけじゃなくて」

「ほう」

「別の依頼の途中で、たまたま、そういう状況に巻き込まれた、というか」

「で、生き延びた」

「はい。一緒にいた人が、強い人で」


 彼の目の中に、市場で人々を観察していた時の、独特の輝きが戻ってきた。取材対象の話に、ぴくり、と反応する、彼の本能の輝きだった。


「一緒にいた人、というのは」

「えーと、たまたま出会った女性で、フードを深く被っていて…」

「フードを深く被って、四耳狼の群れを、一人で退ける」

「はい」

「それは、書ける」


 彼は即座に外套の内ポケットから、薄い手帳を取り出した。手帳に何かを書き付ける動作は、いつものものよりも明らかに長かった。書きながら、彼の眉が少しだけ寄っていた。


「あ、あの、エルゼさん」

「うん?」

「すみません、その人のこと、書いていただきたくない、と言ったら…」


 彼の手が止まる


 止まったまま、彼はこちらに視線を上げた。視線の中には、書きたい、という欲求ともう一つの色が、同時に並んでいた。


「事情があるのかな?」

「えーと、はい。本人から、誰にも話さないでくれ、と頼まれていて」

「ふむ」

「俺が話してしまった時点で、半分は、もう、約束を破ってしまっているんですけど」

「いや」


 彼は手帳のページを、ゆっくり閉じた。


「君が話してくれた、ということと、僕が書く、ということは別の話だ」

「えっ」

「取材される側の意思は、書く側の欲求より、常に優先される」


 それだけ言うと、手帳をポケットの中に戻す。


「君の彼女の話、これは僕の頭の中だけに留めておく。誰にも話さないし、もちろん本にも書かない」

「あの、ありがとうございます」

「代わりに」

「代わりに?」

「でも、何?」

「君の傷の話を書かせてもらおうかな。新人冒険者、依頼一週目で、初めて戦闘の場の縁に巻き込まれて、頬に薄い傷をつけて、宿に帰って、女将に心配される。これほど当たり前で、これほど書きにくい話はない」

「書きにくい、ですか?」

「英雄譚なんてものは、誰でも書けるんだ。十人の物書きが集まれば、十人がそれなりの形で、英雄の物語を組み上げる。けれど、新人冒険者が頬に薄い傷をつけて、それを翌朝、洗面の水の上で確かめている時の、その心の動きをちゃんと書ける人間は、ほとんどいない」

「えーと」

「人間は誰もが、文字を書くべきだが、僕はプロだ。書きにくいものを書くから、意味がある。書きやすいものを書いている間は、誰の言葉も、誰の心も、本当の意味では動かない」


 彼の声には、いつもの軽やかさの中に戻っていた。


 頭の片側でようやく、彼の取材の意味の輪郭を感じ始めていた。


 英雄を書きたいわけではない。書こうと思えば、たぶん、彼は誰よりも上手く英雄を書ける。けれど、それを書くのは、彼にとってもう面白くないのだ。彼が書きたいのは、誰も書き残さないような普通の人間の、存在だった。


 誰にも書かれない人を書き残す。

 書かなかったら、消える人を書く。


 俺はその、書かれる対象の、一人だった。


 ◇


 最後にエルゼが向かったのは、王都の小さな石橋だった。


 その橋は、王都の他の橋と比べて明らかに古かった。


 石の表面には苔がところどころに張り付き、欄干の縁は、長年の風雨で角が丸くなっていた。橋の下を細い川が、奇妙に澄んだ水を流していた。中央広場の噴水のような勢いはなく、ただ、低く穏やかに橋の下を抜けていく流れだった。


 王都の中心からずいぶん離れているせいか、橋の上にも、橋の周りにも、人通りはほとんどなかった。


 エルゼは橋の真ん中で、欄干に軽く手を置き、そのまま、川の流れをゆっくり見下ろした。


 川の表面には、午後に近づきつつある光が、銀色の鱗のように散らばっていた。風が水面を撫でると、その鱗が一斉に揺れ、揺れた拍子に、橋の下の影の中に新しい光の網が生まれる。生まれた網は流れに乗って、すぐに次の影の中に消えていく。


「シンジくん」

「はい」

「最後に一つだけ、君に話しておきたいことがある」

「はい」

「君は、僕が死ぬほどうらやむ能力を持っている」

「は、はい」

「だから、書いて欲しい」

「うん」

「ただし、書くことに、効率も、意味も、求めなくていい」

「えっ」

「書きたいから書く。本来は、それだけで十分なんだ」

「えーと」

「効率を求めると、本当に書きたいものが書けなくなることがある。書く前に、これは書く意味があるか、書いて誰かに役立つか、書いて自分のためになるか、と考え始めると、人間の手は、簡単に止まる」

「分かる気がします」

「だから、考える前に書く。書きたいから書く。それだけのために書く。ただ、書く」


 彼の声は、最初に広場で会った時のような整った調子に戻っていた。


「僕の妹は、五歳だった。五歳の妹は、絵本の続きを、毎晩、僕に読んでくれと頼んできた。僕は、もう知っている話の続きを、何度も、何度も、読み上げた。意味なんてなかった。役にも立たなかった。けれど、僕にとっても妹にとっても、あの時間は確かに重要だった」

「うん」

「書くという行為は、それと同じだ。意味のないことを、繰り返す。けれど、繰り返した時間の中に、あるいは空間を超えて誰かの手に渡った時に、何かが生まれる」


 彼は、そこで口を閉じた。


 川の上を、風がもう一度、ゆっくりと抜けていった。


 ◇


 ギルドの前まで戻ると、エルゼはこちらに向き直った。


「シンジくん、今日はありがとう。貴重な体験をさせてもらったよ」

「いえ、こちらこそ」

「報酬は、これで。少し色を付けておいた。秘密を聞かせてくれたお礼だ」

「そんな、ありがとうございます」

「それと」

「はい」

「君のことは、本になる」

「えっ」

「もちろん、君の名前は変える。傷の話も、宿の話も、女将の名前も、全部少しずつ置き換えるさ。けれど、君がこの一週間で感じたことの、いくつかは、僕の本の中で必ず生きていく」

「えーと、それは、嬉しいような、恥ずかしいような」

「そういう、絶妙な顔がいちばん書きたい顔だ」


 彼は最後にもう一度、整った微笑をこちらに向けた。


 しかし今度の微笑には、最初に広場で会った時のような、こちらに見せるための演出感は無かった。


「では。また、どこかで」

「はい、お世話になりました」


 彼はそれだけ言うと、整った姿勢のまま、大通りの北の方角へ歩いていった。

 

 俺はしばらく、その背中を見送っていた。


 ◇


 その夜、俺は、青鳥亭の二階の部屋で机の前に座った。


 窓の外では、夜の鐘がゆっくりと王都の空を震わせていた。鐘の音は、街の屋根の上を、層のように広がっていく。窓辺に置いた小さな油灯の炎が、その鐘の音の振動に合わせるように、ちらちらと、わずかに揺れていた。


 机に向かい、俺はペンを呼び出す。


 机の引き出しの奥には、ギルドの「冒険者講座」で使用していたノートと白紙が何枚か入っている。


 紙を一枚、机の上に取り出し、ペン先を添える


 何を書くか迷った。


 迷いの底に、いくつもの像が浮かんでは消えていく。北市場の老婆の笑顔。西通りの楽器屋の老人の指。墓地の小さな石の表面。橋の上の銀色の光の網。それから、エルゼの最後の微笑。


 すべて、今日見たものだ。


――考える前に書く、書きたいから書く、それだけのために書く


 頭の後ろでエルゼの言葉が反響した。


 ペン先をゆっくり、紙の上に走らせる。


 走らせた線は、紙の上に薄く形を残していった。形はまだ、何の意味も持っていなかった。けれど、そこには、確かに線が残った。


 『二十一歳。大学二年の夏。何の取り柄もない能力もない、つまらない人間。染谷真司。』


 最初の一行を書き終えた。書き終えてから、俺はその一行を、しばらく見つめていた。


 書いた事実は、もう消えない。


 俺はペンを、置かなかった。


 もう一行、書いた。それからまた、もう一行。


 書く動作は思っていたよりも、ずっと軽かった。初めてこの世界に来た時のことを、思い出しながら、記憶をたどりながら、書く。


――君は、僕が死ぬほどうらやむ能力を持っている


 手のひらの中で、ペンの軸はわずかに温かかった。


 窓の外で、夜の鐘が二打目を響かせた。


 二打目の余韻が、街の上をゆっくり広がっていく中、俺の手は紙の上で、また次の行を書き始めていた。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

続きが気になると思っていただけたら、ブックマーク・評価で応援していただけると励みになります。


続きは明日19時ごろ更新予定です。


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