訳ありの旅人
悠月と申します。新連載です。
厳しいお言葉含め、感想・アドバイスお待ちしております。
第2話 訳ありの旅人
森の中を歩く。ただ、歩く。
それだけのことで、こんなにも消耗するとは思わなかった。下草が絡みつく。枝が顔を叩く。一歩進むごとに汗が吹き出し、数分前に背中で乾いたはずの布地が、また湿っていく。リュックの重さが肩にのしかかる。いつの間にか、スニーカーの中に小石が入り込んでいて、痛い。
カルセウムの背中は広かった。
俺より頭半分は高い身長と、鎧の上からでも分かるしっかりとした肩幅。そこに黒ずんだ革の外套が重なって、何やら妙な迫力がある。まるで動く壁だ。しかも斬れる壁。
その壁を追いかけながら、俺は必死で足を動かしていた。
「遅れるなよ」
前を歩くカルセウムが、振り返らずに言った。低く、よく通る声。彼の声は騒がしい森の音を不思議と貫いてくる。
「いや、頑張ってるけど、ちょっと……体力が」
言葉が息と一緒にちぎれる。
「二時間もしないうちに日が傾く。夜の森は昼の三倍危険だ」
「……そんなにか」
「夜行性のほうが厄介なものは多い」
鎧と剣を身に着けているはずなのに、カルセウムの呼吸は乱れていない。汗も——汗はかいている。ただ、その量がまるで違う。俺が顔面から滴をだらだら情けなく垂らしているのに対して、彼は額の生え際がほんのり湿っている程度だ。
何なんだこの人は。本当に同じ人間か…?
(……まてよ)
ふと気づく。ここは異世界だ。既にそれは疑うまでもない事実だった。異世界ならば、見た目は人間そっくりでも、生物学的には別種——なんてこともありうる。
エルフとか、獣人とか、ドワーフとか。カルセウムの耳を横目で確認する。普通の人間の耳だった。髪の色も茶色で、赤や金や銀ではない。身長は高めだが、身体能力の異常性を説明するほどの異常な作りではなさそうだ。
つまり、単純に鍛え方の差、ということか。それはそれで、残酷な事実だ。
「そういえば」
少し呼吸が整ってきたところで、俺は口を開いた。情報収集は早い方がいい。
「帝国に向かってるって言ってたな。帝国って、どんなとこ?」
カルセウムの肩が、わずかに強張ったのが分かった。
「……どこから来た?」
「え?」
「いや、この大陸の住人なら、帝国を知らないはずがない」
しまった。迂闊だった。
異世界での第一村人に対して「そもそもこの世界って何?」なんて質問を正面切ってやるのは、自分が異常者だと告白するに等しい。この手の場面のテンプレは、記憶喪失を装うか、遠い辺境の出身を装うかの二択である。
俺は迷わず後者を選んだ。
「あー、とんでもなく辺境の小さな小さな村の生まれでな。その、話した通り、訳ありで。ほんとに何も知らないんだ。この辺りのこと」
自分でも無理があると思う。アドリブは苦手である。
「まあ、いい」
結局そう言ってくれたのが、この男の懐の深さなのだろう。
カルセウムは振り返らなかったが、歩くペースがほんの少し落ちた。並んで歩けるくらいに。歩きながら話す気のようだった。
「どこから聞きたい」
「まずは、ここがどこなのか、から」
カルセウムは少し黙って、それから淡々と答えた。
「ヴィブルニウセ帝国の南西の端、ネビアの大森林だ。南に抜ければ聖王国。東に抜ければ帝国の中心。西には海がある」
ヴィブルニウセ帝国。聖王国。名前が、もう、思いっきり異世界だった。語感が重厚で、ラノベのタイトルに使われていても違和感がない。
◇
「帝国は、三大国の一つだ」
森を歩き続けると、少し開けた原っぱが現れた。くるぶし程度の草が生えている場所、剥げている場所、マーブル色のように一つのランダムな柄を作っている。中央には腰かけるのに丁度よい大きな岩があった。この広場に差し掛かった時、俺の方から休憩を提案した。体力も限界であったが、何より落ち着いて話を聞きたかった。
カルセウムは地面に指で簡単な地図を描き始める。四角をいくつか並べた、幼稚園児のお絵かきみたいな地図だ。しかしカルセウム本人はいたって真剣である。
「中央に帝国、南に聖王国、東に王国がある。大陸の主要勢力はこの三つで動いている」
「国自体はいくつあるんだ?」
「六つ」
六つ。思ったより少ない。助かる。
「ここが獣公国、ここが共和国、それから……ここが、ホリキュピオだ」
「ざっくりだな」
「詳しく知りたいなら、帝都に着いてから学者にでも聞け。」
正直者である。
俺はカルセウムが書いてくれた四角の集合を、可能な限り頭に刻みつける努力をしたが、覚えられる自信は正直ない。
「その国同士って、仲は?」
「中立だ。ここ数年、均衡を保っている。表向きはな」
「表向き?」
「どこも腹の中で何を考えているかは分からない。六超人が牽制し合っているおかげで、大きな戦争にはなっていない。それだけだ」
六超人。新しい単語が出てきた。
「六超人、ってのは?」
「それぞれの国に一人ずついる、文字通り人智を超えた存在だ。」
あら、素敵な響き。厨二心がくすぐられちまうね。
「その六超人ってのが、各国に一人ずついて、互いに牽制してる、と」
「そうだ。聖王、魔女、腐王、暗芽、異人、天災。それぞれが国の最高戦力で、象徴でもある」
「ふーん。まて、魔女って言った?」
「ああ、王国の六超人の異名だ。敬意をこめてそう呼ぶ」
「いや、異名の方は良いんだけど。魔女ってことは、この世界にも魔法があるのか??」
「マホウが何かは分からないが、魔術ならある」
「まじか…」
俺、内心でガッツポーズをする。やはり異世界物に魔法は付きものだ。今の俺がチート能力に目覚めていないのも、魔法系の才能に優れているパターンの可能性だってある。
「誰でも使えるのか」
「おそらく、訓練を積めばな」
「カルセウムも?」
「俺は剣を振る側の人間だ」
一蹴されてしまった。まあ、帝都とやらについたらまずは、魔法学校を探してみよう。そこが俺のいるべき場所かもしれない。ささやかな妄想を心の端にメモする。
「ところで、カルセウムはなんであんなところに?」
カルセウムは少し黙った。それから、相変わらず前を向いたまま、答えた。
「個人的な用事だ」
それ以上は語らなかった。踏み込むべきではない、と直感が告げた。俺は頷いて、それ以上は聞かなかった。森を覆う黄金の葉が、風に揺れて音を立てる。
◇
歩みを再開しても、話は続いた。
優先度が高い情報といえば、まず金のことだ。生きることに直結するだろう。俺の財布の中には日本円しか入っていない。この世界で使えるとは思えない。
「金は、金貨・銀貨・銅貨が基本だ。紙幣はない」
「やっぱりな」
「やっぱり、とは?」
「いや、こっちの話」
ラノベのお約束だ、とは言わなかった。
「通貨はどの国でも使えるのか?」
「金貨と銀貨なら、どの国でも通用する。銅貨はその土地固有のものがある。ただし、両替屋がどの街にもあるから困ることはない」
「EU みたいな感じか」
「イーユー?」
「いや、こっちの話」
この「こっちの話」という返しが何度出てきたかもう数えていない。そのうちカルセウムに不審がられる気がする。
「その通貨は、仕事は、どうやって得るんだ?たとえば、『冒険者ギルド」みたいなのは——」
「ある」
即答だった。
「おお、よかった」
どうやらラノベの基本装備は押さえているらしい。これで少し生き延びる道筋が見えてきた。
「よほど、辺境の村や集落のようなものでなければ、どこかしらのギルドの支部が各街にある。依頼を受けて魔物討伐・薬草採集・護衛・調査などをこなす。報酬は等級で決まる。駆け出しの依頼なら、銅貨数十枚程度だ」
「どこかしらのギルド?」
「大陸には 8 つのギルドがある。依頼は所属ギルドに関係なく受けられるが、ランクアップの試験や特殊な依頼は登録したギルドじゃないと受けられない」
「なるほど。登録は簡単に?」
「身分証があればすぐだ。ないなら、保証人が必要になる。それもなければ…」
俺は膝から崩れ落ちる。
身分証。保証人。どちらもない。スマホの運転免許のコピーを見せても、たぶん通用しない。この世界で俺を「俺」だと証明するものは、何ひとつない。
「……」
「どうした」
「いや、ちょっと、詰んだ気がしてきた」
カルセウムは少しだけ間を置いて、
「保証人になってやる」
と言った。
あっさりと。
俺は一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「……は?」
「俺が保証人になれば、登録できるという話だ。そうだな、帝都までのルートなら『黄金の獅子』の支部がある。そこなら、まあいいだろう」
「いや、あの、カルセウム、俺、さっき会ったばかりの、訳ありで、怪しい格好の、どこの馬の骨か分からない人間なんだけど」
「知っている」
「それなのに、保証人になってくれるのか?」
カルセウムは少しだけ立ち止まって、振り返った。濃い緑色の瞳が俺を見る。驚くほど静かな目だった。
「お前は、訳ありだ。身なりも言動も怪しい。だが、俺は人を見る目にはそれなりに自信がある。――少なくとも、お前は悪人ではない」
その言葉は、思いがけないほど俺の胸の奥に響いた。
人生でこういう言葉を、誰かから真っ直ぐに言われたことが、果たして何度あっただろうか。
いや、別に俺だって悪人ではないと自覚している。自覚しているつもりだ。だが、それを見ず知らずの他人から、会ってまだ二時間も経っていない人間から、こんな真面目な顔で言われるのは、何だか……くすぐったい。
「……ありがとう」
他に言う言葉が見つからなかった。
「気にするな。東に行くなら、どうせ道連れだ。それに——」
カルセウムはそこで、言葉を切った。
「?」
「いや、いい」
そう言って、彼はまた歩き出した。何を言いかけたのか気になったが、聞き返す空気ではなかった。俺は黙って、その背中を追った。
◇
「これ、この世界だと通用するかな」
日が傾きかけたころ、俺たちは小休止していた。カルセウムの話では、この調子なら完全に日が沈む前に、近くの町に着くそうだ。
カルセウムは硬貨を受け取って、灯りに翳し、しばらく眺めた。
「材質は悪くない。銅と、何か別の金属……亜鉛、かな。だが、刻印に意味がない。どこの国のものでもない。通貨としては、通用しないだろう」
「だよな」
「ただ、珍しい金属の工芸品、という扱いでなら、それなりの値がつくかもしれない」
なるほど。ここで、地球の硬貨がレアアイテムになるわけだ。俺は五百円玉をリュックにしまい直した。当座の資金、と位置付けておこう。
カルセウムが、火に薪をくべながら、ぽつりと言った。
「ここから数刻も歩けば、近くの町に着く。そこで物資を整えてから帝都へ向かう」
「了解」
「ああ、それと——」
カルセウムは俺をちらりと見た。
「お前、名前は?」
そういえば、まだ名乗っていなかった。
「染谷真司」
「——珍しい名前だな」
「このへんじゃ珍しいかもしれない」
「『ソメヤ、シンジ』」
カルセウムが俺の名前を反芻した。少しだけ発音が違った。「シ」の音が少し硬い。だが、聞き取れないほどではなかった。
「ソメヤでいい」
「いや、名前の方が呼びやすい。シンジ、と呼ばせてもらう」
「……好きにしてくれ」
呼び捨て。早い。いきなり距離が近い。
いや、悪い気はしなかった。俺の日常で、名前で呼ばれることなど、大学で教授に出席を取られるときと、バイト先で店長に呼ばれるときくらいしかない。友達——と呼べるほどの存在もあまりいない。
ここに来て、異世界の恩人に、呼び捨てにされている。
それは、何というか。
少し、擽ったかった。
◇
夕方——カルセウムの言葉通りに決して長くない時間歩いた頃——ようやく宿場町が見えてきた。
石と木で作られた、三十軒ほどの小さな町。中央に井戸があり、その周りに宿屋や食堂、雑貨屋らしき建物が並んでいる。煙突から薄い煙が幾筋か立ち上り、夕食の支度だろうか、どこからか肉の焼ける匂いが漂ってきた。
腹が、鳴った。
「……なあ、カルセウム」
「分かっている。宿は俺が手配する」
「え、いいのか?」
「いいわけがない。帝都に着いたら倍返しで返してもらう」
そりゃそうだ。
俺は苦笑しながら、彼の後ろをついていく。町の入り口で門番らしき男が立っていたが、カルセウムに軽く手を上げるだけで通してくれた。どうやら顔パスだ。
そして、宿屋に入る寸前。カルセウムが不意に立ち止まった。
その視線の先——町の広場、井戸のそばに、数人の人影があった。衣装が明らかに違う。青い外套に金色の刺繍。帯には細い剣。髪は銀。
美しい女だった。
年は俺より少し上くらいか。背筋がぴんと伸びていて、佇まいだけで育ちの良さが伺える。女の後ろには、同じ衣装を着た護衛らしき男が二人控えていた。
女は井戸の縁に腰掛けて、水を飲んでいた。ただそれだけの動作なのに、妙に絵になる。
「……聖王国の、聖騎士か」
カルセウムの呟きが聞こえた。その声には、初めて明らかな緊張の色があった。
俺はつられるように、カルセウムの視線の先をもう一度見た。銀髪の女が、ふと顔を上げた。こちらに気づく。俺と目が合った。
瞬間。
女の目が、細められた。
まるで、見てはいけないものを見てしまったような、あるいは——探していたものをようやく見つけたような、そんな目だった。
ただ、俺の背中に冷たいものが走ったことだけは、確かだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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