異セカイは夢日記とともに…滅びゆく
悠月と申します
厳しいお言葉含め、感想・アドバイスお待ちしております。
第13話 異セカイは夢日記とともに…滅びゆく
その本は奇妙で、不気味だった。
彼の手に渡ってから、少なくとも三度にわたって内容が更新されていた。時間を置くと白紙だったページに新たな記述が現れているのである。もちろん、完全な隔離状態に置くなど試したが、それでもページは現れた。
聖王レオが大量の報告書と不気味なノートを抱え、自室に閉じこもってから、既に鐘は五回打たれていた。ほどなくして、六度目の鐘が打たれる。
鐘の音は、聖都の高い塔の上から、いつも通り、正しい間隔で落ちてきた。聖都の鐘は正しい。正しい時間に鳴り、正しい人間に祈りを促し、正しい秩序の輪郭を人々の耳に刻む。それが、聖王国の鐘だった。
だからこそ、その正しさが、今夜は酷く空々しく響いた。
窓の外、白い石造りの街は青く沈み、塔と塔のあいだに渡した光の帯だけが、まだこの国が秩序を保っているふりをしていた。遠くに見える城壁の上を、松明の灯が、蟻のように行き交っている。伝令。兵站。避難誘導。武器庫の開扉。祈祷班の移動。負傷者の寝床の確保。聖都はここ数日でもう、祈りのための街ではなく、滅びに備えるための街に変わっていた。
机の上には、聖王が向きあわなければならない報告書の類が、山ほどある。「帝都での戦闘経過」「沿道の町から集まった避難証言」「獣公国スペリオルザの最後の使者の記録」「王国の西部が沈黙した時刻」
そして、五日間で書き足されるたび、読む者の指先から体温を奪っていく、一冊のノート。戦場から回収させたノート。
レオはまず、報告書の一枚を手に取った。
◇
第一報。霹靂二〇三〇年 第四月 第八日 帝都外郭城館における異常戦闘記録。
文面は整理されていた。整理されていなければ、読むに耐えなかっただろう。記録はこう始まっている。
帝都にて拘束されていた二名(要観察対象)――カルセウム・グーテンベルシュ、および異装の青年ソメヤ・シンジは、拘束後、城館内にて突発的な異常事態に巻き込まれた。敵性個体は、紅桔梗幹部オネル・ゼクスの身体を媒体として顕現。顕現後、自らを十災のⅣ、アルバーと名乗った。
レオは、そこまで読んでから、もう一度、ページの先頭に目を戻した。
オネル・ゼクス。
その名は、彼も知っていた。紅桔梗の幹部。堅実で、派手さはなく、だが、派手でないことそれ自体が信用になる類の人間。前線に立つより、立っている前線が崩れないように、後ろから重さを配れる者だった。
レオは続きを読む。
アルバーの能力についての記述は、複数証言の照合の末、以下の通り推測する。
一、対象に直接接触した場合、対象は強制的な昏睡状態に移行する。
一、昏睡に落ちた対象は、外的刺激に対し著しく反応を失う。
一、軽度の接触でも、忘却、判断遅延、認識障害、戦意喪失を引き起こす。
一、対象は浮遊能力と片手斧による戦闘技術を有する。ただし、これらは媒介となった身体の有するも
のと推測。
一、媒介となっている身体は高度な身体能力を保持し、さらに紫色の鞭状器官を複数展開可能。
一、周囲の者に「死と眠り」を想起させる圧を放ち、集団戦において著しく士気を削ぐ。
無駄のない、冷たい文章だった。記録の後半に、戦闘参加者の能力評価が続く。
――カルセウム・グーテンベルシュ。戦場判断、剣技に優れる。能力未確認。
――アンカ・ロレッツィ。能力による支援能力に優れる。局面立て直し能力高し。
――ヘルバ・アインザック。特筆すべき点無し。ただし接触により昏睡。
――ソメヤ・シンジ。詳細不明。
――不明個体。熊型の人形。突発的に出現。アルバーに対し直接打撃を加え、行動を一瞬停止させる。
レオの指は、そこで止まった。熊型の人形。報告書は、そこから少しだけ、文章の精度を落とす。冷静な記録の中に、記録者自身も信じきれていない揺れが生まれる。
絶体絶命の局面。アンカ・ロレッツィが負傷。カルセウム・グーテンベルシュは地にふし、ソメヤ・シンジは瀕死。ヘルバ・アインザックは昏睡。
アルバーの鞭状器官が三方向より収束し、戦線は崩壊寸前――
その時、熊の人形が出現。大きさは幼児が抱いて歩ける程度。材質不明。目撃証言により、縫製品、ぬいぐるみに近い外観。
その人形は、アルバーの胸部へ飛来し、体当たりののち、何らかの干渉を行った。干渉内容は不明。ただし、その一瞬、アルバーの動作が明らかに遅滞した。
その隙に、アンカ・ロレッツィが立て直しを行う。能力により、戦闘員4名を離脱させる。その後、ギルド「黄金の獅子」まで撤退。大通り3番までアルバーを誘い込み、ギルド本部保管神器――神弓ホーネットを使用。
射手カルセウム・グーテンベルシュ。
補助アンカ・ロレッツィ。
一射目で右肩を裂き、二射目で中軸を穿ち、三射目で媒体身体ごと焼き切り、十災Ⅳアルバーの顕現を停止。
報告書の最後の書き手は、そこに奇妙な慎重さを残していた。討伐という語を使っていいのか、自分でも確信がなかったのだろう。
死者数、二。レオはその部分を、長く見つめた。
「二、か」
声に出すと、その少なさが、かえって不気味だった。十災の顕現、そして帝都城館内での戦闘。黄金の獅子の幹部級戦力投入。神器の使用。
戦闘の規模に対して少なすぎるその数字は、軌跡と呼んで差支えのない戦果だった。しかし、その日、真に数えるべき死は、その後に来た。
レオは二枚目の報告書を引き寄せた。
◇
第二報。霹靂二〇三〇年 第四月 第九日未明 帝都壊滅。
文面は短かった。短くせざるを得なかったのだろう。
アルバー消滅後、同時刻帯に、城館別棟へ侵入していた第二個体が活動を再開。個体は自らを十災のⅤ、ハメーシュと名乗る。
性質:対象を殺害したものの肉体および記憶の簒奪。
確認されただけで、帝都内三区画に同時多発的顕現。殺した者を器として連鎖的に増殖。対象が死に至る原因になった人物すべてに顕現するものと推測される。
帝都の行政機能、軍事指揮、治安維持、全て一日以内に崩壊。
帝都は壊滅した。
報告書は、そこで終わらない。終われなかった。第三報。第四報。第五報。帝都壊滅から五日分の報告が、時系列順に綴じられている。
獣公国スペリオルザ。主要都市三つ沈黙。獣王所在不明。異人コグルペルニルの戦闘記録断絶。
クリッツケルド王国。王都外縁壊滅。魔女ユイが防衛線を構築した痕跡あり。ただし三日目以降、報告途絶。
共和国東部。避難民流入により補給飽和。ホリキュピオ。国境閉鎖。暗芽は動くが、公然介入せず。聖王国南部。辺境の街、村、修道院が順に焼け落ちる。
レオは、五日目の報告書を最後まで読んだ。
最後の一行。ハメーシュ、近辺の村や町を壊滅させながら聖都方向に進行中。
◇
レオは次に件のノートを引き寄せた。
革張りの表紙は、最初に見た時よりも、少しだけ、手に馴染んでいた。馴染むというのは不吉なことだ。人は、触れてはいけないものにすら、触れ続ければ、やがて重さの測り方を覚えてしまう。
彼は表紙を撫でた。初めてこれを手にした日のことを、まだ鮮明に覚えている。ただの記録だと思った。どこかの村の、どこかの子供が、曖昧な言葉で書き散らした夢の断片だと思っていた。そのはずだった。
だが、この本は、現実を先に書いた。それだけではない。書かれた現実の一部を、こちらに選ばせるような顔もした。
だから、レオは本を恐れていた。預言だからではない。預言ならまだ、遠くから見ていられる。
これは違う。この本は、読む者に責任を持たせる。
知ったなら、選べ。読んだなら、変えろ。変えたなら、責任を持て。
そういう顔をしている。レオはページを開いた。古い、崩れた字。子供の筆圧。濁点の欠けた単語。読める部分と読めない部分。意味があるようで、意味になりきらない記述。そして、新しく増えたページ。
『くろい えがお』
『ねむらせる』
『くま』
『はり』
『みんな いっしょ』
『しぬ』
『しぬ』
『しぬ』
『でも ちがう』
そして今、また新しいページを見つけてしまった。白紙だった場所に、まだ乾ききっていない墨の色で、文字が浮かびあがる。
『しんおうさま』
『おそい』
『まにあわない』
『しろい かべ』
『かね』
『いっぱい しぬ』
『それでも いかなきゃ』
『しんおうさまが きめる』
レオは、その一行を見て、しばらく動かなかった。
おそい。まにあわない。
その二語は、ここ数日レオを頭の中で激しく叱咤していた言葉と同じだった。レオは、静かに本を閉じた。
「……君は、いつも、そうだ」
言葉は、独り言だった。
「どうして、結果だけを先に見せる。どうして、間に合わないと言いながら、行かなきゃ、とだけ書く」
部屋にいるのは、彼一人だ。当然、返事はない。それでも、返事がないこと自体が、この本の返答のように思えた。
お前が決めろ。いつだって、そういうことなのだろう。
そして、決めるための材料は3日前にはこの手に揃っていた。
◇
窓の外で、七度目の鐘が鳴った。聖都の鐘は、やはり正しい。だが、正しさだけでは救えないものがある。レオは、初めて王座に座った日のことを思い出していた。自分なら、この止まりかけた世界に、形を与えられると思っていた。
他の国が躊躇い、古い超人が均衡に甘え、王たちが自分の寿命のぶんしか世界を見ないなら、自分がやるしかないと、本気で思っていた。
外交を捻じ曲げ、十の戒めを言葉として使い、敵意すら秩序のための材料にしようとした。正しいと思っていた。少なくとも、必要だと思っていた。必要だったのだ。
世界は放っておけば滅ぶ。十災の予言などなかったとしても、滅ぶ。それは、彼が聖王になるまでに感じたすべての感情が告げていた。
六超人の均衡は、美しいが脆い。脆い均衡の上に立つ平和は、いつか誰か一人の病や失脚で崩れる。ならば崩れる前に、こちらから組み替えるしかない。その理屈を、今も、彼は捨てていなかった。
だが。
どんなに理屈が正しくても、手遅れになってしまっては仕方がない。
レオは机の引き出しを開け、その中から、小さな木箱を取り出した。中には、白い石片が一つ入っている。祈りの場で削り取られた、ただの祭壇石のかけらだ。王になる前、彼は緊張すると、それを指で撫でる癖があった。王になってからは、そんな癖を人前で見せられなくなった。
今、彼は誰にも見られていない。石片を指で撫でる。ざらつきが、少しだけ、考えを現実へ戻した。
「……捨てるか。墓にするか」
どちらも王の言葉ではない。人の言葉だ。きっと王は、もっと別の言い方をする。
戦略的撤退。聖都防衛線の再構築。全戦力の集約。救済可能人口の最大化。祈祷網の再編。
そのどれも言い換えにすぎないと、レオは知っている。捨てるか。墓にするか。結局は、そこにしか戻らない。彼は、そこで、笑った。笑いというより、息が抜けた。
「そうだ。私は知っている」
逃げても駄目だ。戦わなくても、もっと駄目だ。国を捨てれば、聖都は空になる。だが、空にした先に、安全な場所がない。獣公国も王国も潰え、帝都は壊滅した。逃げる先の秩序が、もうこの大陸には残っていない。
ならば。
聖都を墓にするのではない。最後の砦にする。守るためにではない。セカイを延命させるためでもない。ここで、最後まで、セカイの側に立つために。
レオは立ち上がった。
◇
作戦室には、既に人が集められていた。
聖騎士長、部隊長たち、神殿側の老司祭、兵站長、外郭指揮官、魔術班の責任者、城壁守備隊の長。そして、聖王直属の書記官たち。
誰もが立っていた。王が着席しない限り、椅子は使われない。レオは席につかず、そのまま中央の机の前に立った。
「全員、聞け」
ざわめきが消える。
「五日間で、帝都は落ち、獣公国は機能を失った。王国の主要都市も沈んだ。ハメーシュは北東より進撃中。明朝を待たず、聖都外縁へ到達する可能性が高い」
誰かが息を呑んだ。だが、悲鳴は上がらない。
「これより、聖都全域を最終防衛体制へ移行する」
書記官の羽根ペンが一斉に走る。
「第一。外郭の町区画は放棄する。南壁、東壁、第三門までの住民は、日の出前までに内郭へ収容。拒む者がいても、説得ではなく移送を優先」
「は」
「第二。神殿地下の聖具庫を開放。封印札、鎮静香、浄水、治癒薬を全て医療班へ回す。司祭は半数を前線祈祷に、半数を避難所に」
「は」
「第三。鐘は止めるな。最後まで鳴らせ」
それは軍令ではなかった。それでも、全員が顔を上げた。
「鐘は、正しい時間を告げる。正しい時間がある限り、人はまだ壊れきらない。これは絶対だ」
老司祭が、涙をこらえるように目を閉じた。
「第四。アルスル聖騎士長」
「は」
「聖騎士は三隊に分ける。迎撃、救出、護衛だ」
「は」
「第五。魔術班」
「は」
「大規模火力は期待しない。足止めと視界阻害に徹しろ。『倒す』のではなく『近づけない』ことを優先」
「は」
「第六。兵站」
「は」
「食糧庫と井戸を守れ。今日から明日の昼まで持てばいい。長期戦は想定しない」
「……承知しました」
「第七。書記官」
「は」
「全て記録しろ」
そこで書記官の一人が、思わず顔を上げた。
「……陛下、全て、とは」
「全てだ。誰が死に、誰が泣き、誰が逃げ、誰が立ったか。ひとつ残らず書け」
レオの声は、そこで、ほんの少しだけ低くなった。
「最後に、私も、外へ出る」
今度は、はっきりと、ざわめきが広がった。
「陛下」とアルスル。
「なりません」と老司祭。
「聖都の中心を離れては」と兵站長。
だが、レオは、片手を上げてそれを止めた。
「王が最後まで中にいる国は、最後まで中の都合で死ぬ。私は、それを好まない」
それは理屈だった。同時に、感情でもあった。
「私は聖都を捨てない。だが、玉座の陰に隠れて待つつもりもない。第一防衛線の後方、第二線で指揮を執る。言っただろう、最終防衛体制だ」
誰も、もう止めなかった。止めても無駄だと分かったからではない。この男はもう、迷いを終えている、と分かったからだ。
「持ち場に戻れ」
王の声が落ちる。全員が一斉に頭を垂れた。
「はッ!」
◇
聖都の外では、夜が濃くなっていた。だが、南東の地平線が、かすかに赤い。遠い火ではない。大きすぎる火だ。街ごと燃やし、村ごと踏み潰し、祈りごと黒くした火の色だった。
レオは城壁の上へ出た。神杖クルルタラムを手に、夜風を受ける。
城壁の上下には、すでに兵が詰めている。聖騎士たちの青い外套が風に鳴り、祈祷班が灯した青白い光が、石壁に薄く滲んでいた。鐘が、また鳴る。
正しい鐘だ。その正しさの中に、今夜だけは、少しだけ人間の願いが混じっていた。
持ってくれ。もう少しだけ。
朝まででいい。いや、朝までいらない。
せめて、この夜が終わるまで。
正しさを信じ、秩序を信じ、最後まで鐘を鳴らし、最後まで列を崩さず、最後まで世界の側に立とうとする。そんな死に方は、きっと、綺麗だ。そして、綺麗な死に方は、だいたい、かわいそうだ。
地平線の赤が、広がった。次の瞬間、南東の遠方で、城壁より高く、黒いものが立ち上がる。煙ではない。影だ。
「第一線、準備」
城壁の上で号令が飛ぶ。
◇
始まってしまえば、それはあっけない戦いだった。十災のⅤハメーシュは多くの戦火を潜り抜けたことで、聖徒に迫るころには100万の軍勢になっていた。その中には、帝国の兵士が居た、王国の近衛兵が居た、獣公国の戦士たちが居た。
十災のⅤは戦えば戦うだけ、増えていく。集まり、かたまり、巨大な意志となって、人間に争いの意義を叩きつけに来る。
聖王国の全戦力は三刻で全滅した。それは当然の結果だった、敵を倒せば、倒したものは敵になる。封印の手も、鎮魂の信仰も足りなかった。
そして、いま、セカイの最後の王は燃え広がり、滅びゆく国を背にして災厄と対峙していた。聖王レオを前にハメーシュ―初めの一人は、少しだけ首を傾げた。
「ねえ、おうさま?人はどうして戦争をするのかな」
「…さあな、もう私には何もわからん」
「つまんないね。どのおうさまも答えてくれないんだ」
あどけない声でハメーシュは言う。母親に怒られてすねているような子どもの声で、そのアンバランスさにレオは思わず笑いを漏らす。
「…どうして」
「うん?なになに?」
「どうして、滅びるのに私たちは生きなければいけないんだ」
「えー!しってたの?おうさま、すごーいね」
その瞬間、レオは、自分の背後で、鐘が止まる音を聞いた。正しい鐘が。聖都の時間を繋いでいた鐘が、止まった。
そして、レオは理解した。ここで終わるのは、聖都ではない。聖王国でもない。帝国でも、王国でも、獣公国でもない。セカイそのものだ。
七柱の神が沈黙し、祈りが形を失い、眠りと死と忘却と絶望が、国境を失う。世界の終わりは、空が割れる音なんかではこない。
「さあ、時間だ!ほろぼっか!」
正しいはずのものが、ひとつ、止まる。ただ、それだけで十分なのだ。
次の瞬間、聖都を囲む白い壁が、黒く染まった。聖都が崩れ、城壁が裂け、祈りの光が一斉に裏返り、遠い国々で残っていた最後の灯も、同じように落ちた。海の向こうで、誰かがまだ剣を握っていたかもしれない。地中で、まだ眠っていたものがあったかもしれない。山の彼方で、名もない村人が、空を見上げていたかもしれない。けれど、もう、それらは一つの世界として繋がらない。
秩序は切れた。
時間はほどけた。
国は名を失った。
祈りは行き先をなくした。
そして、セカイは滅びた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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これにて第一章完結となりますが、まだまだ終わりません!!
続きは明日19時ごろの更新予定です。




