十災のⅣ
悠月と申します。
感想コメントいただくことができて、ほくほくです。続きを書く原動力になります。
第11話 十災のⅣ
がむしゃらに走り続けて、食堂は意外と近くにあった。
アンカが押し開けた木の扉の向こうに、星の光が急に流れ込んでくる。
「シンジ、こっちだ」
アンカの手が、扉の外の石畳の上に俺を押し出す。押し出された身体は慣性で、二歩、前のめりに進んだ。三歩目でようやく、自分の足の意志で止まれた。
「呼吸を整えろ」
「カルセウム、カルセウムが」
「あいつは、自分の判断で、残った」
「でも」
「『でも』を言う前に、自分の呼吸整えろ」
アンカの声は、やはり強かった。強さの中に、苛立ちも焦りもない。ただ、いま俺がやるべきことの順番が、彼の中でははっきり決まっている。決まっている人間の声は、聞いた側の身体を、その順番に自然に並ばせる。
俺は息を吸った。しかし、吸った息が、肋骨の下でひっかかる。ひっかかったまま、半分くらい吐いた。吐ききれていないのに、また吸う。吸う、吐く、吸う、吐く、その回数を勝手に数えていた頭が、五回目でようやく頭の機能を取り戻した。目の前に、中庭らしい四角い空間が広がる。石畳の地面、両脇の建物の高い壁、誰もいない。
「シンジ」
「うん」
「リュックを降ろせ」
「え?」
「中身を確認したほうが良い」
俺は言われるがままにリュックを肩から下ろした。下ろす動作の途中、背中に張り付いていた汗が、布越しにぶら下がった重さで、体がぐらりと揺れた。地面に置いたリュックの底から、ノートを取り出す。随分久しぶりに見るような錯覚を覚える。今日起こった事柄の濃密さゆえの錯覚だ。
ノートを開き、ぱらぱらとめくる。アンカは隣でその様子を何も言わずに眺めていた。今まで通り、不気味な文字。次は逃がさないだの、コロサレルだの物騒な文字たち。数ページをめくって、指先が、止まる。
膝裏が、全身が震え始める。隣で見ていたアンカが怪訝な顔をした気がした。しかし、それどころではない。一枚、更に一枚とページをめくる。
めくる。
めくって戻る。
めくる。
やはり、間違いない。
不気味なノートには最後に確認したページから数えて、実に 27 ページ分の知らない記述が増えていた。
◇
『殺される』『鞭のような技』『黒い笑顔』『アンカにつれられて中庭に出た』
『あんかは、はや。じょうれんかれを、ひらいた』『額を貫く』『ヘルバが来る』
『ヘルバは間に合う』『みんな一緒』『死ぬ』『避けられなかった』『おのが早い』
『オネルはオネルじゃない』『十さいの四ばんめ』『眠くなる』『遠くから』『近づいてはダメ』『セカイは滅びる』
全て、昨日まではなかった知らないページだ。
―――そして不気味なノートを不気味たらしめていたのは、最早勝手に文字が出てくることなんかじゃなかった。勝手に出てきた文章の中に、いま目の前で起きたばかりのことが書かれていた。
背中の汗が、戻ってくる。
『鞭のような枝』『黒い笑顔』
いま、起きた。書かれている。同じ瞬間に。めくる手が、勝手に進む。
『アンカにつられて中庭に出た』
次のページ。
『ヘルバが走ってくる』 『ヘルバ眠らされる』
次のページ。
『ヘルバの後ろに二人の剣士』 『ヘルバ間に合う』
次。
『シンジ、しぬ』
その一行が、ページの真ん中に、ぽつり、と独立して書かれていた。
紙がわずかにしわ寄った。しわ寄った先に、まだ続きの文字があった。
『シンジ、しぬ』 『カルセウム、いきる』 『アンカ、いきる』 『ヘルバ、ねむる』
視界が、揺れる。もう俺の頭はカルセウムに言われたことなど覚えていなかった。呼吸が乱れる。汗が噴き出す。指先が震える。今度は、吐き気に耐えられなかった。夜の風にあおられながら、城の庭の地面を汚す。何の根拠もない、何の力もないただの文字列が今はひたすらに恐ろしかった。
「シンジ」
アンカの声が後ろから来た。気づけばアンカはノートを覗くのをやめ、俺たちが出てきたドアをじっと眺めていた。
「来るぞ」
◇
勢いよくドアが開け放たれ、現れたのはヘルバだった。冒険者風の革の胴衣のまま髪は乱れ、頬に藁の屑が一本、貼り付いている。彼の右手はどこから持ってきたのか、職人用の鉄棒を一本握っていた。彼の左手は空のまま。空の左手の指の関節が、白くなるほど強く握られていた。彼は 3 人の子どもを引き連れていた。
「シンジさん、良かった」
「ヘルバさんも無事だったんですね」
「うん、あんたらを連れてきたあのアンドールっておっかない人が来てね。子どもたちを連れて逃げろってさ」
「…そっか」
「それより何が起きたんだ?でっかい爆発音は聞こえたけど」
俺は、今までに起きたことを出来る限りシンプルに伝えた。大きな爆発が起きたこと。何かに城が襲われていたこと。カルセウムが何かの足止めをしていること。ヘルバの顔からは昼間見たような笑顔は消えていた。代わりにそこには冒険者の顔があった。
「ヘルバといったか」
一通りの説明が終わったのを見て、アンカが声をかける。アンカはどこから見つけてきたのか、4 人乗りの馬車を軽く引いてきていた。
「はい、紅桔梗所属の銅級冒険者です。あなたは黄金の獅子のアンカさんですね」
「知り合いなの?」
「帝都を拠点にしていて、彼のことを知らない冒険者はいないよ」
アンカは有名人らしかった。そういえばアンドールもアンカの名前を聞いて眉をひそめていたのを思い出す。
「君はまず、子どもたちを安全な場所に。それから、戦えるのなら戻ってきて欲しい。戦力は足りなそうだ」
「分かりました。でも、戦力の方はあまり自信ありませんけどね」
短いやり取りの後、ヘルバは子どもたちを連れて街の方へ駆け出した。去り際、子どもたちの一人がこちらを振り返る。目には涙が浮かんでいた。
「俺たちはどうしますか」
「カルセウムを助ける。外に出たことで、ある程度の事態の把握が出来た」
いつの間に、情報収集をしたのだろう。アンカの目は先程までとまた違う種類の光を宿していた。それは覚悟に満ちた戦士の目だった。
◇
鞭のようにしなる線が、わき腹をめがけて飛んでくる。それを傾けた剣で受けながし、そのままの流れで目の前に迫っていた別の線を叩く。これらの線は弾くことは出来ても斬ることは出来なかった。物質で出来ているのかもカルセウムには分からなかった。
(そろそろシンジたちは外に出られただろうか)
シンジたちが走り去ってから、目の前のナニカの雰囲気は少し変わっていた。それまでのように語りかけてくることがなくなり。カルセウムの周りには絶えず黒い線が踊っていた。そこには明確な殺意のみがあり、未だ片腕でさばき続けられているのは奇跡だった。
「どうしてシンジのノートに反応した?あれはなんだ?なぜシンジが持っていると分かった?」
少しでも線による攻勢が止まることにかけて、カルセウムは語りかける。彼が自分から話すことは珍しいことであった。しかし、線は止まらない。
(ダメか)
「こ、コこれ紫鞭っていうんだ」
「そうか、洒落た名前のわりに厄介な武器だ」
会話による時間稼ぎを諦めかけた時、突然、ナニカの口が半月状に大きく開かれ、こちらに音を届ける。カルセウムはこの好機を逃さない。
「それで、そろそろ名前くらいは教えてくれないか。こちらはもう死にそうなんだ。名前も知らない相手になぜ殺されるのかもわからないまま死ぬってのはあまり嬉しくない」
「な、ナ名前?相変わらず、君たち人間あへんなことに拘る。殺す相手の名前知りたいの?」
「それが、戦士って生き物だ」
「ふ、フうん。いいよ、ぼくはアルバー。君たち人間を滅ぼすそんざい」
「滅ぼす?流行りの十災ってやつか?」
「は、ハはやりかどうかは知らないけど。そうだよ。よく知ってる。僕が十災のⅣ。僕たちは、セカイを滅ぼす。なんども、なんども」
「そうか、ご苦労なことだ」
意外なことに、会話による時間稼ぎは成功していた。しかし、どれだけ時間を稼いでもアルバーはいつでもカルセウムにとどめを刺すことができる。両者それは十分にわかっていた。だからこそ、与えられた時間だということも共通認識だった。
そんな命乞いにも似た奇妙な問答の時間の中でカルセウムは、先程まではこの場に無かった魔力の流れを感じていた。
(いそげ、早くしてくれ)
「それで、どうして紅桔梗の幹部の制服を着ているんだ?黄金の獅子の制服の方がカッコいいと思うぞ」
「せ、セいふく?しらない。この身体。借りてるんだ。彼は今僕の中で休んでいる。」
「借りてる?十災ってのはどいつも人の体を乗っ取る失礼な奴らってコトか?」
「ち、チちがう。乗っ取る違う。彼を休ませてあげてる。救ってる。だから、こんなこともできる」
アルバーの右手に片手斧が現れる。彼の口元が再び大きな半月状に割れた、と同時にアルバーは床を滑る。高速でカルセウムの胸元に接近する。カルセウムの背後は紫鞭に囲まれていた。逃げ場はない。
「じ、ジ時間稼ぎ、もうあきた。じゃあね、カルセウム」
カルセウムは自分の命に刃先が迫るのを感じながら、なおも一歩分、足を踏み出す。
「意外におしゃべりじゃないか。楽しかったよ、アルバー」
そういって、カルセウムは微笑みを浮かべる。次の瞬間、アルバーの片手斧は大きな音を立てて、その物体を砕く。間を置かず、背後に待機していた鞭を操り、5 本の線によって体を突き刺す。どんな人間でも、命を終わらすのに十分な衝撃であった。
しかし、アルバーの目の前を散ったのは鮮血でも命の終わる音でもなく、ただ、木の破片だった。
◇
「城の中で戦うのは危険だ。あの鞭のような能力は狭い場所で戦うのに長けすぎている。そして、カルセウムの長剣は廊下で振り回すことを考えて作られていない。なにより、いざとなった時の逃げ場がない」
「なるほど。でも、カルセウムは外へ逃げてこれるのか?」
「無理だろうな」
「それじゃあ…」
「俺の能力を使用する」
そんな場合ではないことは分かっているのに能力という言葉に心が撥ねる。だって、老練の冒険者の窮地に解禁される「能力」なんて言葉だ。テンションが上がらないはずないだろう?そういえば、この世界に来てから、自分の能力以外を目にする機会が無かった。カルセウムは、聖騎士と剣を交えた時でも恐らく使わなかった。
「アンカさんの、能力って‥?」
俺は唾をのむ。
「その前に聞かせろ。君の能力はなんだ」
「え?」
「君は能力を持っている。そうだろう?」
「え、ああ、うん。まあ。」
「どんな能力だ。知っていた方が連携もとりやすいし作戦も立てられる」
「…ぺん」
「?」
「…ペンを出せます」
俺はポンっと右手にペンを生み出してみせる。
「そうか…」
「…」
「よし、今から俺の能力を説明する」
気まずさを不器用なやさしさで流されるのはこれで 2 度目だった。
◇
「カルセウム!」
「シンジ、無事だったか」
本当に目の前にカルセウムが現れた。アンカの能力は触れているものと範囲内にある物体の位置を入れ替えるというものだった。ただし、入れ替えるものはある程度同じ質量じゃないといけないらしい。うーん、縛りこそあれど、これってかなり強力な能力じゃないか?というか、チート能力の部類じゃないか?俺はペンなのに。
「シンジ、アンカの能力は珍しい空間の神に属する能力だ気にするな」
「べ、別に何にも気にしてないが??」
カルセウムという男は心が読めるのだろうか。それとも、俺の顔はそんなにわかりやすいのだろうか。
「もう少し早く入れ替えてくれても良かったんじゃないか?」
「鍛えた人間と同じ質量のものというのは、そうそう転がっていないんだ。状況は?」
「やつはアルバー、紫鞭という黒い線を生やしての攻撃と片手斧を使ってくる」
「紅桔梗の幹部に斧使いの男がいる」
「体を乗っ取っているらしい」
「そうか、では、紅桔梗による乱心という可能性は無いんだな?」
「恐らく無い。自分の事を十災のⅣと名乗っていた」
アンカの身体が強張る。俺の身体も。十災のⅣ、ヘルバから聞いた話によれば世界を滅ぼす存在。そして、もうひとつ俺の頭を強い痛みにも似た感覚で打つものがあった。ノートだ。俺は急いでもう一度あの不気味なノートをペラペラめくる。
「増えているな」
「うん、さっき確認したら大量に増えてたんだ」
カルセウムの若干震えた声に答えながら、目的のページを探す。余程、鬼気迫る顔をしていたのだろうか、ページをめくる間、カルセウムもアンカもただ見守っていた。あった。これだ。『十さいの四ばんめ』
「まちがいない。このノートは今起きていることとか、これから起きることを書いてるんだ!」
「いや、全てではない。お前が腐王の姿を見る前に、腐王は死んだ」
「でも」
「シンジ、言ったはずだ。得体の知れないものに囚われるな。今生きることに集中しろ」
カルセウムが強く俺の肩を掴む。揺すられた表紙に握力は抜けて、ノートが、じめんに落ちる。あの恐ろしいページを開いた形で。
――『シンジ、死ぬ』
「シンジ…」
二度目の爆発音が視界を揺らした。カルセウムが剣に手をかける。アンカが俺の肩を掴んで後ろに引く。爆発の元は城の奥、高い塔の壁だった。権力の象徴として凛々しくたっていたその塔には無残にも大きな穴が一つ空いていた。そこから飛び出した小さな影が一つ、そのままの勢いでこちらに飛んでくる。
「や、ヤやあ。急にいなくなるからびっくりしたよ」
「アルバー」
「み、ミんなここにいたんだね」
ソレは、十災のⅣアルバーは浮いていた。これも彼の力なのだろうか。再び、周りの温度が半度下がる感覚が足元を支配する。
「そ、ソそろそろ君たちを殺して。次に進まなきゃいけないんだ」
「そうか、それは残念だ!」
アンカが答えると同時に、どこからか取り出したナイフをアルバーに向かって投げる。ナイフは柄に派手な装飾が存分に施されており、月明かりを浴びてキラキラと光っていた。俺はナイフを目で追う。だめだ、避けられる。
「こ、コこんなの。やっぱり君はつまらない。アンカ・ロレッツィ」
「そうでもないさ」
アンカの答えは遠くから聞こえた、気がした。振り返ると、隣にいたはずのアンカは 50メートルほど後方、城壁の根元に立っていた。傍らには先程投げたナイフと同じ装飾のナイフが刺さっていた。どうして、そんなに遠くの小さなナイフまで見えたかって。そのナイフは小さくなかった。先程と同じ装飾のナイフ。ただし、人間サイズの。
「うぉぉぉ、オネルぅぅぅぅ!!」
叫び声につられて視線を戻すと、いつ戻ってきたのかヘルバがアルバーの背後で鉄の棒を振りかぶっていた。アルバーはまだ空中に居た。驚きの表情を浮かべていたのは、突然背後で叫ばれたからか、彼の後頭部をヘルバの鉄棒が強く捉えていたからか、俺には判断できなかった。
◇
衝撃でアルバーは地面に叩き落される。カルセウムが着地点に剣を置いている。気づけばアンカも戻ってきて、俺とアルバーの間に立つ。既に、戦闘は始まっていた。たった一人、俺だけがそこについていけていなかった。まぎれもない、命の取り合いに。
「アンカさん!やっぱりそうです!こいつオネルです!紅桔梗の幹部で俺の親友!」
「そうか、ありがとう。彼は体を乗っ取られているらしい」
空中で加齢にアルバーの頭を打ったヘルバは俺のとなりに立っていた。アンカの能力はやはり強力だ。ん?
「ま、まって。ナイフとヘルバの質量が同じってこと??」
「ギルド長より有事の場合のみ神器の使用を許可されている。紛れもなくこれは有事だ」
「???」
「いくぞ、シンジ、ヘルバ。物量で畳みかける」
そういうとアンカは両手にナイフを広げ次々にアルバー目掛けて放っていく。アルバーは既に意識を取り戻し、片手斧でカルセウムの剣戟をいなしていた。アンカが放ったナイフはまっすぐ勢いづいて飛んでいくが、アルバーは器用に体を捻って避けていく。
アルバーによけられたナイフは、どういうわけかアンカの手元に転移している。そのため、アンカの弾は減らない。
(すごい、機関銃みたいだ。物量ってこういうこと?)
ナイフはさらに勢いを増して、戦場に線を引いていく。時にカルセウムの体に迫ったアルバーの腕を牽制するように飛び、時にアルバーの逃げ道を塞ぐように飛んだ。戦場はアンカが支配していた。
「カルセウム!鞭を出させるな」
「分かってる!」
二人の連携は完ぺきだった。そこには、鞭を生やす隙どころか声を発する余裕さえ生まれなかった。アルバーの額には心なしか汗のようなものが浮かんでいた。行ける。勝てる。カルセウムが片手でアルバーの首元を狙う。アルバーがいなす。そこにナイフが飛んでくる。絶対によけられないタイミング、避けられない位置への完璧な投擲。詰将棋の用にアルバーの動きは誘導されていた。
――バギッ、ゴギ
鈍い音が星空に響く。アルバーは完璧に飛んできたナイフを首の骨をあり得ない方向に曲げることで躱していた。直視するのも恐ろしい角度でアルバーの首は、紅桔梗の幹部のオネルという男の首は伸びていた。伸びた首の先、顔の位置ではまた半月状に口を開いていた。
「あ、アあはは」
不気味な笑い声が響く。アルバーは首を奇妙に伸ばし、顔はこちらを向いたままで片手斧を左手に持ち替え、カルセウムの胴体目掛けて一閃。
しかし、カルセウムは既にアンカの力でアルバーの背後にとんだナイフと位置を変えられていた。位置を変えられたカルセウムも混乱せず、正確に剣でアルバーの首を再び狙う。アルバーは亀のように首を戻し、身体を整える。
戦況は再び激しい剣戟によって拮抗した。
◇
カルセウムとナイフが入れ替わる。アルバーが関節を逆におり曲げ剣を受け止める。アンカの手からナイフが飛ぶ。もはやシンジの目では全ての動きを捉えられないほど苛烈になった戦闘は少しずつアルバーの優勢に傾いていた。カルセウムはこれまで長い間、片腕で戦っていた。限界は近かった。
傾きかけた戦況をアンカ・ロレッツィは正確に分析していた。
(まずいな。一気に仕留めるつもりが、粘られている。カルセウムの神経は限界が近い。対して奴はこの戦いに慣れ始めている。何か別の一手が必要だ)
両手でナイフを正確に投擲しながら、アンカはヘルバに目線を飛ばす。ヘルバは、覚悟を決めた顔でうなずく。
(よし)
大きく振りかぶったカルセウムをアルバーの背後に飛ばす。そして、アンカ自身はヘルバに触れる。次の瞬間、ヘルバはアルバーの目の前に立っていた。不格好にも鉄棒を構えた形で。アルバーの意識は完全に背後のカルセウムに向いていた。
(ヘルバはアルバーの剣戟に対応できない。しかし、俺が転移させ続ければ 2 対 1 でうちあえる)
アンカの判断は決して間違っていなかった。時間経過によってアルバーに傾きつつあった戦況は、もう一人の介入によって再び、こちら有利の時間が訪れる。
――はずだった。
アンカがヘルバ―を飛ばすためにナイフを投げるのをやめた刹那をアルバーは見逃さなかった。アルバーの意識は常にカルセウムではなく、20 メートルほど離れたアンカの手元にあった。
――ゴギ、バキ
再び、アルバーの身体が悲鳴を上げる。派手に曲がった腕からは骨が飛び出していた。しかし、その不格好な形をした腕はたしかに目の前に現れたヘルバに触れた。
「捕まえた」
ヘルバの身体から力が抜ける。鉄棒を振りかぶったまま強制的に脱力した体は慣性に従って軽くアルバーの身体をうち、そのまま倒れこむようにアルバーの身体に重なる。アルバーは目の前の身体を掴み、上半身を半回転回す。もはやその攻防に、人間の動きはなかった。ヘルバの身体を盾にされたカルセウムはバランスを崩し地面に倒れこむ。
アルバーは満足そうにヘルバの身体を放ると、カルセウムの身体を踏みつける。アルバーの体の周りには 5 本の鞭が既に波打っていた。
目の前で行われている攻防を、シンジは理解することができなかった。
もうそんな次元の戦いではなくなっていた。
シンジは縋るようにノートを開く。
嘘ではない命の取り合いの中で、彼に出来るのはそれだけだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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続きは明日12時と19時ごろの2話更新予定です。
明日でいよいよ第1章が完結します。これも予定です。




