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異セカイは夢日記とともに…  作者: 悠月 柚裕
異セカイ動乱

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10/20

歩いてくる笑顔

悠月と申します。


本日も2話更新します。厳しいお言葉含め、感想・アドバイスお待ちしております。

第10話 歩いてくる笑顔


 爆発音の余韻が、廊下の石の壁に長く染み込んでいる。


 俺の耳の奥では、まだ低い唸りが響いていた。胸の真ん中の骨が、振動の名残で軽く震える。階段を上がりきった俺の足の裏が、石の床の冷たさが直に感じる。靴底の奥まで届く冷たさで、爆発の音とは別の異様な雰囲気が俺の身体の側から来ていた。


 アンカ・ロレッツィが、半歩前に出た。


「カルセウム」

「ああ」

「武器は出すな。城内だ」

「分かっている」

「だが、決して構えは外すな」

「外していない」


 二人の短い掛け合いが、俺の耳に刃物の擦れる音みたいに細く届く。アンカが、廊下の右奥を目だけで指す。


 廊下の奥――城の中央方面――から、足音と叫び声がこちらへ近づいてくる。足音は複数。叫び声は一つではない。誰かが指示を出す声と、誰かが恐怖で漏らす声が、同じ廊下の空気の中で混ざり、伝わる。


 アンカが、俺の方をちらりと振り返った。


「シンジと言ったな」

「うん」

「お前、走れるか」

「歩くより速いやつなら」

「上等だ。カルセウムが前。お前が真ん中。俺が後ろ。城の北側の通用口へ向かう」

「外、出るのか?」

「何が起こっているか分からない。まずは、現状把握と分析のために距離を取る」


 アンカは俺の答えを待たなかった。彼の指が俺の肘のすぐ上を軽く掴んで、ぐっと持ち上げる。歩け、という意味の動作。彼の指は、思ったより強い。強く迷いがない。


 俺は走ったというより、走らされた。


 廊下の石畳を自分の足で踏んでいるはずなのに、自分の判断より半歩遅れて、踏んでいた。ちなみにこの半歩遅れる、というのは転びかけるということだ。俺の右の靴の先が、二歩目で、石の段の縁に引っかかった。引っかかった瞬間、転ぶ前にアンカの指が俺の肘を引き上げる。引き上げられた俺の身体は、宙で半瞬浮いた。浮いたまま次の一歩を、別の石畳の上に置く。


「躓くな」

「ごめん」

「謝るな。次、躓くな」


 アンカの言葉は、決して教えなんかではなく、シンプルな命令だった。俺は頷きの代わりに、奥歯を強く噛む。首の後ろの筋肉が、わずかに引き締まる。足の運びが半歩、自分の判断に追いついた。



 廊下はまさに死屍累々のありさまだった。爆発音に背を向けて通用口を目指していた俺たちは当然、騒動の反対に走っていると思っていたが通用口に通じる西の廊下には多くの兵士が倒れていた。その中に 1 つ、まだ倒れずに立っている影があった。


 帝国軍の若い兵士。ろうそくの光を反射して輝く銀の鎧、胸に双頭の獣の紋章。剣は抜かれている。けれど、剣の握り方がおかしかった。握っていた、と言うより剣の柄に両手の指が、絡みついていた。彼の目は、廊下の奥の方に向けられている。目の焦点は、見ているはずの場所より、もう一段奥にあった。


「君、どうした?状況を教えてくれないか?」


 アンカが、彼の肩に手をかけてたずねる。


「あ……あれは、人……あれは、おねるさん、おねるさん、おねるさんが」

「何?」

「あれは、おね、?おねっおお――」


 兵士は言いかけて、口を止めた。目の焦点がもう一段奥に下がり、彼の唇が震え始めた。震え始めた唇から、言葉ではない音が漏れる。漏れた音は恐怖という単語では足りない、もっと何か、人間の処理能力の閾値の外側の形をしていた。


「行くぞ」


 アンカが、彼の肩から手を離した。


「彼はどうする?」


 俺は走りながら、聞いた。


「生きてはいるんだ。別の兵士が、回収する。今は彼を運ぶより、状況の把握だ」


 アンカの判断は冷静だった。冷静さに、俺は少しだけ置いていかれそうになる。


「カルセウム」

「ん」

「あの人、『おねる』って」

「聞いた」

「人の名前か?」

「だろう」

「誰の」

「分からん。それよりも注意しろ。原因はこの廊下の先にあるのかもしれない」


 カルセウムの「分からん」は、いつもの落ち着いた判断の正確さから来る「分からん」ではなかった。ほんの少しだけ、声の表面の張りが違った。



 廊下の角を二度、曲がった。昔のテレビ局などはジャックされにくいように複雑なつくりをしていたというが、なるほど、城も同じということだろうか。防衛上の作りの複雑か、ただ部屋数が多い故の複雑か、俺の頭が考え始めたころ、カルセウムが足を止めた。


 前方、廊下の中央に一人の男が立っていた。


 立っていたという表現は、正しくない。彼は両足で、廊下の石畳の上に自分の体を置いていた。体重を支える「立つ」という動作の意志が、彼の中には感じられなかった。


 歳は、三十代の前半か。中肉中背。髪は短く、暗い茶色。服装は、深い赤と黒の混じった襟の高い長衣。長衣の左の脇のあたりに、細い縫い目。胸元の留め具は、外れていた。外れているのに、本人はそれに気づいていない。


 目が開いている。開いているのに、意識の色がない。代わりに、目の奥のずっと奥の方に、別の何かが立っている。それがこちらを見ている。


 俺の喉の奥が勝手に、ひゅう、と鳴った。


 息になりそこねた音だった。それを聞いて、自分の身体の方が自分の頭より先に、危険を判断した。膝の裏側の筋肉が勝手に軽く震えた。震えた瞬間、汗が首の後ろから肩甲骨の間にかけて急に噴き出した。


「動くな、シンジ」


 カルセウムの低い声が、俺の右側で、刃のように、薄く鳴る。


 彼の右手は、もう剣の柄に添えられていた。城内で武器を出すな、というアンカの指示があったにもかかわらず。鞘から抜く動作の途中だった。


「アンカ」

「ああ」

「あれは、何だ」

「分からん」

「お前でも、わからんか」

「ああ、だが…」

「なんだ?」

「…紅桔梗の、それも幹部の制服のように見える」


 アンカの最後の言葉は明確に困惑の味を伴っていた。目の前の男が、ゆっくりと、口の端を上げた。


(笑った?)


 彼の口の端は、確かに笑いの形をしている。けれどその形は、彼の顔の他のどの筋肉とも、連動していなかった。眉は動かない。目尻も動かない。頬の筋肉も動かない。口の端だけが、独立して、上に向かってほんの数ミリ、移動した。


 数ミリの動きで俺の胃の底がぐにゃり、と、軽く捻れた。激しい嫌悪感と恐怖、自分がどうしてこんな目に合わなければならないんだと魂が理不尽に泣き出すような感覚。


 吐きたい、と俺の胃が訴えた。


「あ、ああう……」


 それは母音だけの漠然とした音だった。漠然とした音だったのに、その音の中には奇妙な、温度が含まれていた。温度というのは感情の温度ではなかった。物理的な温度だった。彼の声の周りの、空気が半度だけ低くなった。下がった半度の冷気が、廊下の石畳の隙間から、俺の足の裏の方に流れ込んでくる。


 足の裏が冷えた。階段を登り切った時に感じた、ひんやりとしたナニカ。


「あ、アああ……ひさしぶり」


男が出す音は続く。彼の音が、誰に向けて発せられているのか俺には分からなかった。


「カ、かカルセウム」


 男が、カルセウムの名を呼んだ。


 カルセウムの肩が、ぴくりと動く。動いたのは肩というより、肩の奥の鎖骨。鎖骨が、わずかに内側に引いた。


「俺は、お前を、知らない」


 カルセウムが、低く答えた。


「し、シ知らない、だろうね。でも、ぼくは知っているんだ。セカイの半分の名前を」

「そうか」

「アはっ、それは、嘘だけど」


 男の口の端が、もう数ミリ上に動く。


 男の音は、男の声だった。けれど、男の声の上にもう一つ、別の誰かの声が薄く重なっているような、とにかく不気味な声だった



 男はゆっくりと滑る。


 歩く、というより彼の足が、靴を履いた状態のまま地面の上を半瞬滑った、と表現する。それは物理的な動作として、あまりにも不自然だった。けれど、その不自然さに俺の脳はすぐには警戒のスイッチを入れられない。不自然さの種類が、はじめて見るものだったから。


 はじめて見るものを、人間の脳は危険だと即座には判定できない。これは、高校の時に読んだ心理学の本の知識だ。読んだ時には面白い知識だ、と思った記憶がある。数年の時を置いて、自分の身体で、その知識の正しさを確認している。


 カルセウムが剣を抜く。やはり鞘の音はしない。


 その代わり空気の方がほんのわずか、軋む音を立てた。鋼の刃が、空気を切った瞬間の極めて細い、しかしはっきりした、軋み。


 男が動きを止める。止まったまま、男の口の端がさらに数ミリ上に動く。


「あ、アああ、これ」


 男が言った。


「こ、コこれ、いい音だ。ぼくは、好きだよ」

「ありがとう」

「あ、アありがとうの返しは、君に向いてないね」

「それは、お前が決めることじゃない」

「そ、ソそれは、君が決めることじゃない」


 男が、カルセウムの返しを、ほぼ同じ音で、ほぼ同じ間で繰り返した。会話というにも不気味な温度感を持った応酬だった。


「ア、あアンカ・ロレッツィ」


 男が、次に、アンカの名を、呼んだ。


「お、オお前は、来ないでいい。お前はぼくの相手じゃない」

「失礼な男だな」

「し、シ失礼じゃないよ。事実だよ。今日はこっちの茶髪と、こっちの黒髪の、二人でいい」


 男の双眸がぐるりと回り、初めて俺の方をまっすぐに捉えた。


「シンジ、後ろに下がれ」


 カルセウムの声が聞こえた。聞こえたが、俺の足がすぐには動かなかった。


「シンジ!!」


 もう一度彼の声が、俺の鼓膜のいちばん表面の一枚を叩く。叩かれた一枚が、ようやく俺の足の指先に、信号を伝えた。俺の右足が半歩、後ろに下がる。


「アンカ、こいつはまずい」

「言われなくても、分かっている」

「通用口はあいつの後ろだろう。他の出口は?」

「一番近いのは、食堂の裏口だ」

「シンジを連れて走れ」

「お前は?」

「俺が、止めるしかない」

「カルセウム」

「お前の役目は、シンジを外まで運ぶことだ」

「俺の役目を、お前が決めるな」

「自分の役目を、自分以外が決めない、と言う余裕は、今ここにない」


 二人の声が低い声で走った。アンカが舌打ちをひとつ、した。舌打ちは彼の納得の証拠ではなく、彼の判断の整理の証拠だった。整理の終わった彼の手が、もう一度俺の肘の上を掴む。



ソレは、さらにもう一歩前に出た。その動きをカルセウムが、刃で迎えた。


 迎えた、というのはただ剣を出したというだけではない。彼の刃は、男の前の空間そのものを自身のテリトリーを主張するように薄く切り取っていた。しかし切り取った空間の内側に、男が入ろうとした瞬間、男の口の端が、ほんの少しぴくりと動く。今度のは明確に笑いではなかった。


 男の身体が止まった。


「ち、チちょっと、待って」


 男が言った。


「き、キ君、なにそれ」


 男の視線はカルセウムの剣ではなく、その後ろの俺の方を見ていた。しかし、見ていたものは、俺ではなかった。俺の身体に背負われたリュック、おそらくその底だった。


 男の口の端の、数ミリの上昇が初めて止まった。


「こ、コこれ、ぼくが、知らないやつだ」


 男が言った。


「こ、コこれ、ぼくの嫌いな匂いだ!!!」


 彼の声の中の奇妙な温度が、半度上がった。さっきの低い半度から、今度は高い半度へ。感情こそこもっていないが、まるで叫び声のような音へ変化した。


 俺の背中で、二度目の波が流れた。


「カルセウム」

「ん」

「あの男、俺のリュックを見てる」

「分かっている」

「あれは、ノートを嫌って…」

「そうだろう」

「じゃあ、このノートは味方……?」

「違う」


 カルセウムの返しは、即答だった。


「ね、ネねえ、君」


 男が、俺の方に改めて声を向けた。


「そ、ソそのノートを、見せて」

「断る」


 俺の口が、勝手に答えた。勝手に、というのは考えてから断るのではなく、考える前に口が「断る」を出した、という意味になる。出した瞬間、俺は自分の答えに自分で少しだけ驚いた。


 男の口の端が、再び数ミリ上に動く。


「あ、アああ、そう。じゃあ、奪う」


 その「奪う」の音と同時に、男の足が半瞬消えた。物理的に消えたわけではない。俺の脳が、男の足の動きを追えなかった、というだけのことだった。


 次の瞬間男は、カルセウムの剣の刃の、ちょうど一寸手前にいた。一寸の距離で、男の手が、刃を避けながら横に滑った。滑った先で、男の指が、カルセウムの肩のほんの上の空気を、軽く撫でた。カルセウムの肩が、ぐっと内側に引き込まれる。骨のひしゃげる音が響く。


「ぐ」


 カルセウムの口から、低い音が漏れた。


 彼がこんな音を出すのを、俺は初めて聞いた。聞いた瞬間、俺の心臓の真ん中が、ぐっと絞られた。絞られた心臓が次の鼓動を半拍遅らせた。


「カルセウム!」


 俺の口が勝手に、彼の名を呼ぶ。


 呼ぶ間に、男の指がカルセウムの腕の、別の場所をもう一度撫でた。今度は、肘の少し上。撫でられた瞬間、カルセウムの肘の関節があり得ない方向に、ぐにゃりとしなった。骨が、外に出かけたという意味だった。


 俺の喉から再び声にならない、息が漏れた。


「き、キ君のせいじゃないよ」


 男が言った。


「き、キ君のせいじゃない、けれど、結果は君のせいなんだ」


 彼の言葉の意味が、俺の脳には入ってこなかった。入ってこないのに、その言葉が何かを、深く、抉ってくるのだけが分かった。


 膝の裏が、震えた。震えたまま、リュックの紐を、片手で握り直した。握った瞬間、リュックの底のノートの重さが、ほんの少しだけ変わった気がした。



 アンカが俺の肘を強く引く。


「シンジ、今だ」

「でも、カルセウムが」

「あの男は、自分の仕事を自分で選んだ。お前が止めるな」


 アンカの声は強かった。強い声の下で、彼の指の力が俺の肘を、廊下の壁の方に押した。押された俺の身体は廊下の壁伝いに、男から距離を取る方向に流された。流されながら、俺は視界の端で、カルセウムの剣をまだ見ていた。


 カルセウムは立っていた。


 肘の関節がしなったまま、いつの間にかもう片方の手で剣を握り直している。握り直す動作は、片手剣の構え。彼の右肘は、きっともう使えない。左の握りで彼は刃を男の方に向けている。


「カルセウム、無理するな」


 アンカが、肩越しに声を投げた。


「無理は、お前らが外に出るまで」

「俺たちが出れば、お前は引くか」

「引く」

「嘘をつけ」

「嘘だ」


 カルセウムの返しは、いつもの彼の簡潔さ。


 簡潔さの下で彼の左手の握りが、ほんの少しだけ震える。震えは、力みによるものではない。剣を支える方の腕の、神経の限界の震え。


 男が、ゆっくり空に向かって、両手を上げていた。上げた手のひらの上に、何か黒い線のようなものが浮かんでいる。線が二本。三本。数えるうちに、五本まで増えていく。


 その五本の糸が、彼の手のひらからゆっくり、伸びていく。そして、伸びた糸の先がカルセウムの方を、ぐにゃり、と向いた。


「カルセウム!」


 俺の口が、また彼の名を呼ぶ。


 呼んだ瞬間、リュックの底のノートが、急に熱くなった。重さの変化だった。リュックの底で、ノートが内側に向かって、ふくらんだような感覚。


 カルセウムの剣は自身に向けて、飛んできた五本の線を弾いていた。恐らく弾いていた。俺の目では五本の線の軌道を追うことは出来ず、気付けば線は秩序を持たない形でカルセウムの身体の周りを舞っていた。カルセウムはそのままの動きで一歩踏み出す。こちらは目で追うことが出来たが、無駄のない、美しい動きだった。


 カルセウムは刃の腹で、男の右肩を強く叩いた。斬らない一撃は、男の身体を廊下の左の壁に、強くたたきつける。たたきつけられた壁の石が、ぴしりと軽くひびを入れた。


「いまだ!走れ!」


 カルセウムの叫びが廊下を穿った。


 俺は走った。走りながら、リュックの底のノートが自分の背中でまだ、熱を持っているのを感じる。アンカが後ろから付いてくる。俺は躓かないように走ることに全力を注いだ。


 二人が走る音のはるか後方で、カルセウムの剣の極めて細い空気の軋む音が、もう一度立ち上がった。


 その音だけが、俺の耳の中でしばらく消えなかった。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

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戦闘描写、難しいです


本日19時ごろ更新予定です。


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