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第73回 / 決戦、オーバルオフィス



ホワイトハウス、大統領執務室オーバル・オフィス

世界政治の心臓部と呼ばれるこの楕円形の部屋は、今、歴史上かつてない「緩み」に包まれていた。


「……うまい。ペパロニが……五臓六腑に染み渡る……」


コタツに入り、チーズが糸を引くピザを頬張るのは、合衆国大統領スティーブ・ストロング。

その向かいには、優雅に紅茶を啜る私と、なぜか当然のように鎮座してスキヤキをつついているガレリア王妃ヒルデガルド様。

そして周囲では、元・国民的ヒーローのリビーと、私の従者たちがトランプに興じている。


「平和ですわね」

私がコタツの電源(「強」モード)を確認しながら呟く。


「ふん。……アメリカのコアが、こんなだらしない空間に占拠されるとはな」

ヒルデガルド様が、生卵に牛肉を絡めながら鼻で笑う。

「でも、悪くないわ。……スティーブ、貴方も少しは人間らしい顔になったじゃない」


「……ああ。……肩の荷が下りたよ」

スティーブは、油で汚れた指を舐め、深く息を吐いた。

「私はもう……何もしたくない。このままここで、ピザを食べて一生を終えたい……」


完全に「隠居モード」に入った大統領。

しかし、現実はそう甘くはなかった。


バンッ!!


重厚な執務室の扉が、乱暴に押し開けられた。


「――閣下! 何をご乱心ですか!」


飛び込んできたのは、神経質そうな銀縁メガネの男と、数十人のスーツ姿の側近たちだった。

大統領首席補佐官、ミスター・スピン。

彼は「世論操作の魔術師」と呼ばれ、スティーブの「強い大統領」というイメージを作り上げてきた黒幕的存在だ。


「な、なんだスピン……。今は食事中だぞ……」

スティーブがビクリと肩を震わせる。


「食事!? 外を見てください! メディアが押し寄せています!」

スピンが悲鳴のような声を上げる。

「『大統領が敵に降伏した』『ホワイトハウスが占拠された』……支持率が乱高下しています!

今すぐ声明を出さなければ、政権が転覆しますぞ!」


          ◇


スピンは指を鳴らし、連れてきたメイク担当とスタイリストをけしかけた。


「さあ、直ちに『復旧作業』を開始しろ!

閣下の顔の涙とピザの油を拭き取れ! 髪をセットし直せ!

……そのジャージを脱がせて、最高級のイタリア製スーツを着せるんだ!」


「ひっ……! や、やめろ!」

スティーブがコタツの中に潜り込もうとする。

「私は……このままでいいんだ! もう『強い大統領』なんて演じたくない!」


「甘えるな!」


スピンが大統領の腕を掴み、コタツから引きずり出そうとした。

その力は強く、そして何より「権力維持」への執念に満ちていた。


「閣下! 貴方は個人のスティーブではありません!

『アメリカ合衆国大統領』という名のシステムの一部なのです!

システムは弱音を吐かない! システムはピザを食べない!

……さあ、この原稿を読んでください!」


スピンが突きつけたのは、一枚の演説原稿だった。

そこには、赤字でデカデカとこう書かれていた。


『勝利宣言』

『私は敵の洗脳攻撃を打ち破った! 全肯定の魔女は敗北した!

再び偉大なるアメリカを取り戻すために、国民よ、働け! 戦え!』


「……嘘だ……」

スティーブが原稿を見て絶句する。

「私は……負けたんだ。……いや、救われたんだ。

なのに、また国民に……『戦え』と嘘をつくのか?」


「嘘ではありません! これが『政治ポリティクス』です!」


スピンは冷徹に言い放った。

「真実などどうでもいい。

国民が求めているのは『安心』できる『強いリーダー』の虚像です。

……さあ、立ってください! この素晴らしいスーツを着て!」


スタイリストたちが、スティーブに無理やりジャケットを着せようとする。

メイク担当が、彼の泣き腫らした目にコンシーラーを塗りたくる。

それは「身支度」ではなく、生きた人間を「銅像」に固める作業だった。


「……う……うぅ……」

スティーブの目から光が消えていく。

長年染み付いた「期待に応えなければならない」という習性が、彼の抵抗を奪っていく。

パパの亡霊が、スピンの背後に重なって見える。

『立て、スティーブ。お前は一番だろ?』


「……わかった……。やるよ……」

スティーブが力なく呟いた。

「私が……我慢すればいいんだな……」


「賢明なご判断です」

スピンがニヤリと笑う。

「さあ、邪魔者は排除しろ! この女たちを摘み出せ!」


側近たちが、私やヒルデガルド様に詰め寄る。

しかし。


「――お下がりなさい」


私が扇を閉じる音――パチン、という乾いた音が、部屋の空気を凍らせた。


「え?」

スピンが振り返る。


私はコタツから優雅に立ち上がった。

スリッパのまま、ペルシャ絨毯の上を歩き、スティーブとスピンの間に割って入った。


「誰が邪魔者ですって?

……私たちは、大統領公認の『ピザ・パーティーのゲスト』ですわよ?」


「ふん! ピザなど終わりだ!

ここは神聖なるオーバル・オフィス! 貴様のような魔女がいる場所ではない!」


「神聖?」

私は鼻で笑った。


「貴方がたがやっているのは、ただの『お芝居』でしょう?

……一人の人間を、厚化粧と嘘で塗り固めて、国民を騙す。

それは神聖な政治ではなく、三流のコメディですわ」


「な、何だと……!」


「スティーブ」

私は、半分だけジャケットを着せられた滑稽な姿の大統領に向き直った。


「……その原稿、本当に読みたいの?」


「……読みたくない……」

スティーブが震える声で答える。

「でも……読まなきゃ……。国が……」


「国なんて、貴方がいなくても回るわ」


私は彼の手から原稿を取り上げ、ビリビリと破り捨てた。


「あぁっ!? 何をする!」

スピンが絶叫する。


「黙りなさい、三流脚本家」

ヒルデガルド様が、スキヤキの箸を置いて立ち上がった。

その瞬間、部屋の温度が五度は下がった。

氷の女王の覇気に、側近たちが凍りつく。


「私の友人が話しているのよ。……口を挟むなら、その舌を氷漬けにするわよ?」


脅しではない。本気だ。

スピンがガチガチと歯を鳴らす。


「スティーブ」

私は破り捨てた原稿の紙吹雪の中で、彼の手を取った。


「貴方が恐れているのは、国民の失望?

それとも……『ただのおじさん』に戻った自分に、価値がないと思うこと?」


「……両方だ……」

スティーブが俯く。

「鎧を脱いだら……私には何もない。

ただの、弱くて、泣き虫で、ピザが好きな老人だ……。

そんな奴が……大統領でいいわけがない……」


「いいえ。……それこそが、今、世界が一番必要としているリーダー像ですわ」


私は彼を、部屋の隅にある「姿見ミラー」の前へ連れて行った。

そこには、半分メイクされ、半分スッピンの、ちぐはぐな男が映っていた。


「見てご覧なさい。

……左側は、作られた『完璧な虚像』。冷たくて、死んでいる。

……右側は、泣き腫らして、みっともない『素顔』。

でも、血が通っていて、生きている」


私は彼の右頬――スッピンの方に手を添えた。


「私は、こっちのスティーブが好きよ。

リビーも、国民も、きっとそう。

……完璧なロボットに支配されたいなんて、誰も思っていませんわ」


「……でも……怖いんだ……」

スティーブが鏡の中の自分を見つめる。

「素顔を晒して……笑われたら……」


「笑わせればいいじゃない」


私はニッコリと微笑んだ。

「一緒に笑いましょう。

『あーあ、失敗しちゃった』って。

『大統領だって、ピザの誘惑には勝てないよ』って。

……それが、本当の『強さ(ストロング)』ですわ」


スティーブの瞳が揺れる。

彼は鏡の中の自分と向き合った。

数十年間、直視することを避けてきた、弱くて小さな自分。

でも、その肩には今、私の手が置かれている。

後ろでは、リビーが「おじさん、ガンバ!」とピザを掲げている。


「……閣下! 惑わされないでください!」

スピンが必死に叫ぶ。

「貴方は王だ! 王は弱みを見せてはならない!」


スティーブはゆっくりと振り返った。

そして、スピンを見た。

長い間、自分を縛り付けてきた「システム」の化身を。


「……スピン」

スティーブの声は、小さかった。

しかし、そこには初めて、自分の意思が宿っていた。


「……クビだ」


「……は?」


「お前はクビだ。……いや、休暇を取れ」


スティーブは、着せかけられていたイタリア製のジャケットを脱ぎ捨てた。

バサッ。

下に着ていたのは、ヨレヨレのYシャツと、ピザのシミがついたネクタイ。


「私は……原稿は読まない。

自分の言葉で話す。

……システムとしてではなく、スティーブ・ストロングとして」


「な、何を馬鹿な……! 終わりだぞ! 政治生命が終わるぞ!」


「構わん」

スティーブは、コタツの上に置いてあった食べかけのピザを一切れ掴んだ。


「……政治生命より、今の私には……このピザのほうが大事だ」


彼はピザを口に咥え、もぐもぐと咀嚼した。

その姿は、あまりにも滑稽で、そして痛快だった。


「……くっ、くそぉぉぉ!! 勝手にしろ!!」

スピンは顔を真っ赤にして、捨て台詞を吐いて部屋を出て行った。

側近たちも、慌てて後を追う。


静寂が戻ったオーバル・オフィス。

しかし、その空気は先ほどとは違っていた。

ただの「怠惰」ではない。

「覚悟」を決めた上での、清々しい空気が満ちていた。


「……言っちゃった……」

スティーブがへたり込む。

「……もう後戻りできない……」


「ええ。最高の解任劇でしたわ」

ソフィアちゃんが拍手する。


「さあ、スティーブ。

外では世界中が貴方の言葉を待っています」


私は窓のカーテンを開けた。

バルコニーの向こう、ローズガーデンには、無数のフラッシュが焚かれている。


「行きましょう。

……スーツは脱ぎ捨てて。

その素敵なシミ付きネクタイと、ピザを持って」


スティーブは立ち上がった。

足はまだ震えている。

でも、彼はもう逃げなかった。


「……ああ。行こう。

……ママ、手を繋いでいてくれるかい?」


「喜んで」


私は彼の手を取った。

世界最強の権力者が、一人の人間として、世界に向けてカミングアウトする時が来た。

決戦は終わった。

勝者は、「弱さ」を認めた一人の老人だった。



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