第71回 / 大統領の過去
ワシントンD.C.の夕暮れは、異様な黄金色に染まっていた。
その光源は、沈みゆく太陽ではない。
ホワイトハウス上空に浮遊する、全長五十メートルを超える巨大な人型兵器――『ゴールデン・イーグル』が放つ、過剰なまでの輝きだった。
「……趣味が悪いですわ」
私は『クイーン・レティーティア号』のデッキで、日傘を差したまま、その巨像を見上げた。
全身が純金コーティングされ、背中には星条旗のマント(ホログラム)がたなびき、右肩には鷲、左肩には「#1(ナンバーワン)」のエンブレム。
それは兵器というより、巨大なトロフィーが空を飛んでいるようだった。
『――ハハハハハ! 見たかレティ! これが私の「力」だ!』
巨像のスピーカーから、大統領スティーブ・ストロングの声が轟く。
大音量すぎて空気がビリビリと震える。
『このゴールデン・イーグルは、合衆国のGDPの10%を注ぎ込んで作った、最強の鎧だ!
核ミサイルにも耐え、どんな批判(炎上)も跳ね返す!
私は無敵だ! 誰にも傷つけられない!』
「……傷つけられない、ね」
私は扇で口元を隠し、ソフィアちゃんに目配せした。
「ソフィアちゃん。あの機体の解析は?」
「終わっていますわ。……装甲は確かに堅牢ですが、内部のパイロット――大統領のバイタルサインが異常です」
ソフィアちゃんがタブレットの画面を見せる。
「心拍数180。血圧200超え。コルチゾール(ストレスホルモン)値が測定不能。
……彼は戦っているのではなく、パニック発作を起こしながら操縦桿を握りしめています」
「まるで、お化けに怯えて布団を被っている子供と同じですわね。……布団が純金製というだけで」
◇
『消えろ! 軟弱者ども!
貴様らが私の国をダメにしたんだ!
「休んでいい」だと? 「頑張らなくていい」だと?
……そんな甘い言葉、私は認めん! 認めんぞぉぉぉ!!』
ズガガガガガ!!
ゴールデン・イーグルの胸部ハッチが開き、無数のミサイルが発射された。
それは火薬式の弾頭ではなく、着弾すると強烈な「カフェインガス」と「自己啓発メッセージ音声」を撒き散らす、精神汚染兵器だった。
「迎撃する」
ベルナデットが前に出るが、私が制した。
「いいえ。……マリア、防御を」
「畏まりました。……『全肯定バリア・マシュマロカーテン』展開」
マリアが指を鳴らすと、船の周囲にピンク色の半透明な膜が張られた。
ミサイルはバリアに触れた瞬間、ボフッという音と共に、無害な綿菓子に変わって消滅していく。
『な、なんだと!? 私の「正論ミサイル」が効かないだと!?』
大統領が狼狽える。
「スティーブ」
私は拡声魔法を使って、空中の彼に呼びかけた。
「貴方は、誰と戦っているの?
私? それとも……貴方の後ろにいる『お父様』の亡霊かしら?」
『……ッ!?』
巨像の動きが、ピタリと止まった。
「レン。……彼の過去のデータ、アーカイブから抽出して」
「了解。……ホワイトハウスの地下サーバーに残っていた、古いホームビデオと日記のデータを再生するよ」
レンが空中に巨大なスクリーンを投影した。
そこには、現在の彼からは想像もつかない、小さくて痩せた少年の姿が映し出された。
数十年前の、幼き日のスティーブ少年だ。
◇
『――パパ、見て! テストで98点取ったよ!』
映像の中のスティーブ少年は、満面の笑みで答案用紙を父親に差し出していた。
父親は、冷徹な目をした実業家風の男。
彼は答案用紙を一瞥し、そして無表情でそれを破り捨てた。
『……あ……』
『スティーブ。……なぜ100点じゃない?』
父親の声は、氷のように冷たかった。
『98点は敗北だ。2点のミスをした負け犬だ。
……ストロング家の人間に、二番目はない。
一番になれないなら、お前は私の息子ではない。ただのゴミだ』
『ご、ごめんなさいパパ……! 次は頑張るから……! 捨てないで……!』
少年は泣きながら父親の足に縋り付く。
しかし、父親は冷たく彼を突き放し、書斎のドアを閉めた。
残された少年は、破られた答案用紙を拾い集めながら、独り言のように呟いていた。
『……勝たなきゃ。……勝たなきゃ、愛してもらえない。
……強くならなきゃ、パパに捨てられる……』
映像が切り替わる。
学生時代のスティーブ。
スポーツ大会で優勝しても、父親は「当然だ」と言うだけ。
ビジネスで成功しても、「まだ足りない」と言うだけ。
彼は父親の僅かな承認を得るために、歯を食いしばり、友人を蹴落とし、感情を殺して「成功」の階段を登り続けた。
そして、大統領就任式の日。
彼は空の席を見つめていた。
父親はすでに他界していたのだ。
「一番」になった姿を見せる相手はもういない。
けれど、植え付けられた呪いだけが、亡霊のように彼を急き立てる。
『もっと強く。もっと上へ。……まだ足りない。まだ愛されない。
……誰も私を褒めてくれない……!』
◇
「……あぁぁぁぁぁ!! 消せぇぇぇ!!」
ゴールデン・イーグルの中で、大統領が絶叫した。
「見せるな! そんな惨めな過去を!
私は強いんだ! パパの言う通りにしたんだ!
一番になったんだぞ! 世界で一番偉い大統領になったんだ!」
彼は操縦桿を乱暴に振り回した。
巨像が暴れ、ホワイトハウスの芝生を踏み荒らす。
「ほら見ろ! 私は凄いだろう!
世界一の軍隊を持っている! 核ボタンも持っている!
……なのに、なぜだ!?
なぜ誰も私を愛さない!?
なぜ国民はリビーの『弱さ』なんかに惹かれるんだ!?」
彼の叫びは、もはや演説ではなかった。
迷子の子供の泣き声だった。
「強ければ愛されるんじゃないのか!?
勝てば褒められるんじゃないのか!?
……ずっと我慢してきたのに! ずっと走ってきたのに!
……これ以上、どうすればいいんだよぉぉぉ!!」
『愛』には『条件』が必要だと信じ込まされた悲劇。
勝利という対価を支払わなければ、自分には価値がないという恐怖。
それが、世界最強の男の正体だった。
「……悲しい怪物ですわね」
私は空を見上げた。
暴れる黄金の像は、涙を流しながら「こっちを見て」と暴れる赤ん坊そのものだ。
「レティ様。……どうなさいますか?
このまま放置すれば、彼はストレスで自滅するか、癇癪でワシントンを火の海にしますわ」
ソフィアちゃんが冷静に分析する。
「もちろん、止めに行きますわ。……彼を『息子』に戻してあげなくては」
私はドレスの裾を翻した。
「ベルナデット。……あの黄金の缶詰、こじ開けられます?」
「造作もない」
ベルナデットが剣の鯉口を切る。
「だが、中の『中身』は繊細なガラス細工のようだ。……壊さずに取り出すのは、骨が折れるぞ」
「そこは私の出番ですわ。……レン、転送準備を」
「OK。……座標、ゴールデン・イーグル胸部ハッチ。
……タイミングは、ベルが装甲を斬った直後の一瞬だけだよ」
「十分ですわ」
私は深呼吸をした。
冷たい上空の風の中に、少しだけ甘い香水を混ぜる。
「スティーブ。……パパはもういないわ。
貴方を採点する人は、もうどこにもいないのよ」
私はマイクを使わず、心に直接語りかけるように呟いた。
「これからは、ママ(私)が貴方を採点してあげる。
……点数は、もちろん『存在しているだけで100点満点』よ」
「……あぁぁぁぁ!! うるさいうるさいうるさい!!」
大統領は聞く耳を持たない。
ゴールデン・イーグルが、背中のジェット噴射で急加速し、こちらへ突っ込んでくる。
巨大な拳が振り上げられる。
「死ねぇぇぇ! 私の『弱さ』を知る者は、全員消してやるぅぅ!!」
迫り来る黄金の拳。
その影が、私たちの船を飲み込もうとした瞬間。
「……遅い」
ベルナデットが飛んだ。
人間の姿のまま、空中で音速を超えた。
抜刀。
一閃。
キンッ――……!
澄んだ音が響いた次の瞬間。
ゴールデン・イーグルの右腕が、根元から切り離されていた。
さらに、胸部の分厚い黄金装甲に、一文字の亀裂が走る。
『な……っ!? 私の最強の鎧が……!?』
「鎧が強固であればあるほど、中身の脆さを証明しているようなものだ」
ベルナデットが装甲を蹴り飛ばす。
パカッ。
胸部ハッチが強制開放された。
「今だよ、レティ!」
レンが転送魔法を発動する。
シュンッ。
私は光の粒子となり、一瞬にしてゴールデン・イーグルの内部――コックピットへと移動した。
◇
コックピットの中は、外見の豪華さとは裏腹に、暗く、狭く、そして孤独な場所だった。
無数のモニターと計器類に囲まれ、中央の操縦席に、一人の初老の男が丸まっていた。
スティーブ・ストロング。
かつて自信満々に演説していた覇気はない。
高価なスーツは汗で張り付き、髪は乱れ、その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。
「……ひっ……!」
私が現れたことに気づき、彼はビクリと震えて後ずさった。
「く、来るな……! 見るな……! こんな惨めな私を……!」
彼は手元にあったクッション(星条旗柄)で顔を隠そうとした。
「私は強いんだ……! 一番なんだ……! 誰にも負けてない……!」
「スティーブ」
私は彼の前に跪き、そのクッションを優しく取り上げた。
「……やだ……やだ……」
「大丈夫よ。……怖くないわ」
私は、震える彼の手を取った。
その手は、かつて父親に破られた答案用紙を拾い集めた時と同じように、冷たく凍えていた。
「よく頑張りましたね」
「……え?」
「辛かったでしょう。……誰も褒めてくれないのに。
『一番になれ』という命令だけを守り続けて、一人ぼっちでここまで登ってきたのね」
私はハンカチで、彼の顔を拭いてあげた。
ゴシゴシと。
汚れた子供の顔を拭くように。
「……偉いわ。……貴方は、本当に強い子よ」
「……つ、強い……?」
彼が泣き腫らした目で私を見る。
「ええ。……だって、泣きながらでも、辞めなかったじゃない。
パパに愛されたくて、必死に努力した。……その健気さは、世界一よ」
「……でも……私は……国民を苦しめた……。
みんなに嫌われた……。リビーにも逃げられた……。
……結局、パパの言う通りだ……。私はゴミだ……」
「ゴミじゃないわ」
私は彼を、強く抱きしめた。
汗臭いスーツと、整髪料の匂い。
そして、孤独な老人の匂い。
「貴方は、ただ愛し方を知らなかっただけ。
愛され方を知らなかっただけ」
私は彼の背中をトントンと叩いた。
「もう、勝たなくていいの。
……パパの亡霊は、私が追い払ってあげる。
これからは、勝っても負けても、私が褒めてあげるから」
「……う……うぅ……」
大統領の体が、私の腕の中で小さくなった気がした。
鎧が溶けていく。
「大統領」という肩書きが、「ストロング家」という呪いが、涙と共に流れ落ちていく。
「……ママ……」
彼が呟いた。
「……僕……ずっと……寂しかったんだ……。
トロフィーなんかいらなかった……。
……ただ……『よくやった』って……頭を撫でてほしかったんだ……」
「ええ。……よしよし。よしよし」
私は彼の頭を撫で続けた。
世界最強の男が、私の胸で子供のように泣きじゃくる。
コックピットの外では、制御を失ったゴールデン・イーグルが、ゆっくりとホワイトハウスの芝生へと着陸しようとしていた。
戦いは終わった。
ミサイルでも、レーザーでもなく。
ただの「ハグ」によって。
「……さあ、スティーブ。
お家に帰りましょう。……今日はもう、核ボタンではなく、温かいココアのマグカップを握りなさい」
ワシントンの夜空に、一番星が光っていた。
それは、彼が追い求めた「ナンバーワン」の星ではなく、誰にでも平等に降り注ぐ、優しい光だった。




