表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
35/37

思考になる前の感情は何と呼べるのだろうか。

 私たちが感情に、例えば「怒り」といったような言葉のラベルを貼ることで感情を「理解」しているとしたら、感じたままの感情そのものは、何と呼ぶことができるだろうか。




 それこそ、生の感情であると言えるのかもしれない。名前を付けられ抽象化される前の、生の感覚。やはりそれでは、思考と感情は別であると考えられる。感情は率直な「感覚」に類するもので、思考は能動的に操作された「考え」である。私たちが言葉を使うことにあまりにも慣れすぎているせいで、言葉が感情の発生からそれほど間を置かずに与えられるから、あまり生であることを自覚することがない、難しいというだけで。

 そもそも、感じたままの感情というものに名前を付けてしまう時点で生の感情ではなくなってしまう、ような気がするが。少なくとも、感じているものをただ「感じたまま、感じ続ける」ように見つめ続けていれば、或いは感情が思考にならずに感じられるのかもしれないと思う。きっとその時に感じられるものこそ、生の感情だろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ