隻眼
ナナクシャール島の森は豊かだ。種類にもよるが、通常は一度採取した薬草が次に採取可能になるまでの目安は約十日。サフサフ草のような根を必要とする薬草は一度採取すると翌年まで待たなくてはならない。しかしこの島の薬草は、葉物なら三日、根も一ヶ月も待てば採取できるようになる。
「ふふ、セタン草の葉色が濃くて質のいいものが増えてるわ。ユルック草の茎も太いのにやわらかくていい感じ」
コズエたちとともに森に入ったサツキはニコニコと機嫌よく、鼻歌交じりに薬草を見極めているし、採取するその手は鼻歌にあわせ踊るように弾んでいた。
「やっとアキラさんの目が覚めたのに、一緒にいなくてよかったの?」
「夜番だったから今日のお休みはシュウさんだもの、お兄ちゃんとは今晩ゆっくり話せるから大丈夫よ」
二人を交代で看病しながらの薬草採取は、最低必要量だけを採取しギルドへ持ち込んで家に戻るという慌ただしいだけの日々だった。だが今日はしっかりと薬草の良し悪しを見極め、選別する余裕があった。
薬草を摘む二人の側に立ち魔物を警戒しているヒロは、安堵する一方でもう一人の意識不明者が心配で自然と声が低くなった。
「あとはコウメイさんが目を覚ましてくれればな」
「あ……」
自分たちパーティーの主戦力はコウメイだ。シュウやヒロも単純な戦力としては十分な力を持っているが、対魔物戦でリーダーシップを取れるのはやはりコウメイなのだ。
浮かれてコウメイのことがすっかり抜けていたサツキは、俯いて薬草の束をぎゅっと握り締めた。
「傷は全部治ってるからそんなに長くならないはずだってアレックスさんは言ってたけど」
「長期の意識不明って、後遺症は残らないのか?」
「お兄ちゃんは大丈夫だろうって言ってたけど……コウメイさんの心配なのは右目ですよね」
今まで大きなケガをしても錬金治療薬があればあっという間に治せていた。多少塗布するのが遅れても、痕が残るくらいで後遺症と言えるほど影響が残るものはなかったのだ。それが今回、初めて欠損という重度の後遺症が残ってしまった。
「右目か……」
ヒロは片目を手で覆ってみた。視野が狭くなり、直前まで見えていた数本の木が視界から消えている。そのまま何歩か歩いてみると、自分ではまっすぐに歩いているつもりなのに大きく逸れ薬草の群生に踏み込んでいた。
「ヒロさん、危ないっ」
「天道虫だよ!」
二人の声で慌てて手を放すと、隠していた側に二匹の虫系魔物が迫っていた。ぶつかる直前に辛うじて天道虫を避け、戻ってきた一匹を剣で払い落とした。
「大丈夫でしたか?」
「びっくりしたよ、ホントに」
「悪い、ちょっと散漫になってた」
もう一匹の天道虫を仕留めたコズエは、死骸を持って離れた場所へ捨てに行くヒロを心配そうに見ていた。
「ちょっと休憩しませんか? いつものクッキーしかありませんけど、気分転換にはなると思うの」
ヒロが採取場へ戻ってくると、サツキが数枚のクッキーと水筒を用意して待っていた。コズエも自分の水筒から冷たいミント水で喉を潤している。
「天道虫に気づかないなんてヒロくんらしくないよね、何かあったの?」
「片目が見えない状態はどんなだろうと思って試してて、虫に気づかなかったんだ」
片方の手で目を覆って見せたヒロは、二人に試してみろよと促した。
「あ、あれ?」
片目の状態で差し出されたクッキーを受け取ろうとしたコズエは、伸ばした手が空振りして驚いた。サツキも片目を隠して薬草に手を伸ばし採取しようとするが、根元に手を伸ばしたつもりが葉先だけしか掴み取れなかった。
「距離感がつかめないわ」
「サツキさん、これ見えてるか?」
「え?」
目隠しをしている側で何かがパチンと鳴った。びくっと振り返って初めて、ヒロが真横で指を鳴らしたのだと分かった。
「両目で真正面を見ている状態でも、耳の近くにある物は見えているけど、片目を覆ってしまうと」
「……見えません」
片目が見えないというのは想像以上に大変な事態だと二人は顔を曇らせた。日常生活でも随分と不自由しそうなのに、この距離感や視野狭窄は魔物を相手にする冒険者としては致命的ではないだろうか。
「コウメイさん、どうするんだろう」
「片目で魔物と戦えるかな?」
「今までと全く同じってわけにはな……」
慣れてくれば日常生活は少し不便という程度でしかないだろうが、冒険者として魔物の討伐や狩りを主軸に活動するには、あまりにも大きすぎる後遺症だ。
「冒険者、やめちゃうのかな?」
「それはコウメイさんが決める事ですよ」
「その前に目を覚ましてもらわないとな」
三人はしんみりしたまま休憩を終え、良質な薬草を選んで採取した。材料の質が良ければ、錬金薬の効果も上がるのではないかと期待して。
「一発で目が覚めるような秘薬ってないのかなぁ」
納品の時にアレックスに訪ねてみようと意識の片隅にメモったのだった。
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「一発で目ぇ覚めるヤツなぁ。そないなもの使わんでも、コウメイやったらそのうち目ぇ覚めるんやけど」
「あるんですか?」
コズエは話半分で話題にした「秘薬」が否定されなかった事に驚き、思わず身を乗り出してアレックスにその詳細を尋ねていた。
「どんな状態でも一発で目ぇ開けるキツイ薬やで。冥府からでも引っ張りあげよういう劇薬や。貴重な材料ばんばん使うし、えろう難しい薬箋やから今は作れる錬金魔術師もおらんのや」
「冥府って、それ死者を蘇らせる幻の秘薬ってやつですか」
そんな非現実的な薬があるわけないだろうと否定しかけたコズエたちは、そういえばこの世界には魔法があって、一瞬で重傷が治る薬があるのだ、不老不死や蘇りの薬があっても不思議ではないと思わず顔を見合わせていた。
「確かに幻やろなぁ。なんせギルド本部に保管してるんで最後やから、稀少やで」
注文するか、と問われたコズエたちは慌てて断わった。そんな稀少で怪しげな薬は怖くて使えないし、間違いなく高価すぎて買えない。
「わし実物見せてもろたことないんや。効能が記録どおりなんか検証したいし、あんたらが注文してくれたら助かるんやけど」
客の注文からお零れを貰う気満々のようだ。
「結構です」
「秘薬を使わなくてもコウメイさんは目覚めるんですよね」
「一滴でええんや、な、な?」
一番近くにいたサツキが、勝手に注文票を書き始めたアレックスから板紙とペンを取り上げた。
「自分で買ってください」
「自分で買え」
「自分で買えばいいんじゃないですか?」
コズエたちは薬草納品を完了させ、交換に錬金薬の現物を受け取った。今日は回復薬二本と治療薬一本だ。
「ああ、アキラが出歩けるようになったらギルドへ来てくれるように言うといてや。一日かけて色々聞かなあかんから、弁当持参やで」
魔術師ギルドとしては転移魔術陣を勝手に使われた件や、その検証のために本部から偉い人がやってくるらしい。
「偉い人って、誰でしょうね」
「流石に一番偉い人じゃないよね?」
コズエたちの知る魔法使いギルドで偉い人は一人しかいないが、まさかねと顔を見合わせたのだった。
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「……いつかは冒険者を辞める時がくるんだろうなぁ」
夕食は何を食べたい、アキラの胃にはどんなものを作ればよいか、そんなことを話しながら町へ戻る道すがら、コズエがぽつりとこぼした一言にヒロとサツキの顔色が変わった。
「どうしたんだコズエ?」
「冒険者を辞めるの?」
声に出していたつもりのなかったコズエは、驚き心配げに返されて焦った。
「ええと、すぐに辞めるとかってことじゃなくて」
「すぐでないが、そのうちにってことか?」
「そうじゃなくてっ」
ミノタウロス戦以降、コズエには考える時間がたくさんあった。破れた狩猟服の修繕をしながら、浮かび上がってくる不安や迷いや希望を自分なりにまとめようと考え続けてきた。まだまとまりきっていないそれが、緊張から開放された拍子にポロリと零れてしまっていた。
「ごめん、ぼんやりと考えてただけで……」
「責めているわけじゃないんだ。コズエが冒険者を辞めるなんてありえないだろうと思ったから驚いて」
「コズエちゃんは冒険者を楽しんでいると思ってたわ」
サツキは楽しんでいなかったのかと、無意識に潜んだ本音が刺さる。コズエは後ろめたさから目を逸らすように視線を落とした。
「そう思うよね、言いだしたのは私だもん」
異世界なら冒険者でしょう、とノリと勢いで二人を巻き込んでギルドに登録したのはコズエで、手っ取り早く金を稼ぎ食べてゆく為には冒険者が一番都合が良いと受け入れたヒロたちだ。
「冒険者は楽しいよ。最近はハードな展開がキツイなって事もあるけど、満足してる。でも」
「でも?」
「限界はあるかな、って最近は思うようになった、かな」
コズエの言葉にサツキは首を傾げたが、ヒロは自身も似たようなことを考えたことがあるのか眉間にシワが寄っていた。
「限界って、何の限界なの?」
「色々だけど、一番は魔力かな」
「魔力、か?」
力不足に悩んでというのなら理解できるのだが、とヒロは話の方向を探るように聞き入った。
「自分の持ってる魔力の量は、使えば使うほど増えるって教わったよね」
旅の折々でアキラからレクチャーを受けた内容はヒロもサツキも覚えている。アキラの場合は枯渇寸前まで魔力を搾り出せば、次に完全回復した時は二割ほど最大量が増えているらしい。手っ取り早く魔力量を増やしたければ、限界まで魔力を搾り出して魔法を使えば効率が良いとドMな発言に引いたものだった。
「私の魔力って、増えてないんだ。アレ・テタルの時もミノタウロスの時も、枯渇寸前まで搾り出して魔法を使ったのに、最大量が増えてないんだよ」
どういうことかと首を傾げる二人にコズエは考えながら何とか説明を搾り出した。
「初めて魔法を使ったときが一なら、今の魔力量は十くらいかな。使えば使うほど魔力量は増えてたんだけど、アレ・テタルの後で六から十にグッと増えたの。けど今回は全然増えてない」
「断言できるものなのか?」
枯渇するまで魔法を使ったことのないサツキとヒロには分からない感覚だが、二度経験のあるコズエにはハッキリと分かるのだと頷いた。
「たぶん素質とかの問題で私の魔力はこれ以上増えないんだと思う。ミノタウロスみたいな魔物と戦うことになったら、私にできる事って何もないの」
コズエは悔しさに唇を噛んでいた。
「槍での物理攻撃で戦力にならないのに、魔法もあれが限界だとしたら、コウメイさんたちの討伐にはついて行けないよね、足手まといだもん」
事実、ミノタウロスとの戦闘ではコズエは隠れて見ている事しかできなかった。なんとかチャンスを作りたくて、ありったけの魔力を使って落とし穴を掘ったが、ミノタウロスの下半身を落とす程度の穴しか作れなかった。その後はサツキに飲ませてもらった錬金薬で辛うじて意識は保てていたけれど、自力で歩く事もできず、ただ皆の足を引っ張って終わった一戦だったのだ。
「コズエちゃんが足手まといなら、私はどうなるの」
後ろ向きな発言を聞いたサツキはカッとしてコズエの手を引いた。
「戦闘で役に立たなかったのは同じだけど、私は大切な錬金薬を破損させて、あの場で何もできなかったわ……あの時、治療薬が一本でも残っていれば、コウメイさんの右目は助かったかもしれないのにって、包帯を替えるたびに思ってた。お兄ちゃんがあんなに無茶をしなくても済んだんじゃないかって」
最初の咆哮で飛ばされた時、木に打ち付けられたサツキは自分が管理する予備の錬金薬の大半を失ってしまった。受け身も取れず、兄に庇われただしがみついていただけで、自分を守ることも、皆を守るための行動も何一つとれなかったという思いがサツキにはある。そのせいで兄がピアスを外し魔力枯渇で昏倒するほど過酷な魔術を行使するしかなかったのだ、と。
「ミノタウロスをちゃんと足止めしたコズエちゃんがそんな事いうなら、私はどうすればいいの?」
サツキの目尻に涙が滲んだ。涙と、これ以上の感情の爆発を抑えようと必死に歯を食いしばっていた。
「ご……っ」
「二人とも、そこまでだ」
ヒロは少しばかり硬い声で互いに卑下し自虐を深める二人を止めた。
「ミノタウロス戦を後悔してるのは二人だけじゃない。俺だって色々思うところはあるし、不安なのは同じだ」
自分の限界を知って焦るのも、これから先どうすればいいのかと不安に思うのも当然だ。頼れる存在がいなくて、先の見えない状態が続き疲れがたまっている、楽な方へと思考が流れてしまうのも仕方ない。
「後で後悔するような事は言わないほうがいい」
コズエは大きく息を吸い込んで、サツキは目を硬く閉じて気持ちを落ち着けた。
「……はい」
「感情的になりすぎました」
ヒロの手にぽんぽんと撫でるように背中を叩かれ、二人はゆっくりと歩き出す。並んで歩くコズエとサツキの間には、いつもより少し距離が開いていた。
「俺達はコウメイさんたちに頼り切ってたんだな……」
コズエとサツキの背中を見ながら歩くヒロのつぶやきは、二人にも届いていた。
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静かに玄関を開けた。
いつもなら「ただいま」と留守番の誰かに向けて帰宅を知らせるのに、今日の三人は無言で靴を脱ぎ、自分のスリッパを履く。玄関の真正面は二階への階段が、右手にある食堂兼居間から台所と洗い場へつながる扉がある。ヒロは洗い場の掃除に、コズエは居間の隅に作ってある棚へ錬金薬を収納しに、サツキは夕食の支度のため台所に向おうと、それぞれに居間へと踏み込んだ。
「……!」
「コウメイさんっ」
「目が覚めたんですね」
テーブルに片肘を突いて魔物図鑑をめくる右目を包帯で覆い隠した男は、居間の入り口で固まっている三人にニカっと笑顔を向けた。
「おかえり」
数日間の昏睡など無かったかのような、コウメイのしっかりとした声を聞いただけで、コズエたちの抱えていた重たいものが消えて行く。
「おかえり?」
繰り返された帰宅者への言葉に、三人は顔を見合わせ、笑顔で声をそろえた。
「「「ただいまっ」」」




