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悪役令嬢の兄に転生した俺の妹救済計画〜妹を悪役令嬢にするシナリオを論理と拳でぶっ潰す!〜  作者: 浅沼まど
第3章:原作ヒロインは悪女ではなかった

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第8話『原作ヒロイン、登場』

 聖リリアーヌ魔法学園の正門は、空を切り取るほど高かった。


 白い石柱にツタのような彫刻が絡み、てっぺんでは大きな鐘がゆっくりと朝の光を浴びている。門をくぐっていく生徒たちはみな、上等な制服に身を包み、笑い、ささやき合い、これから始まる三年間に胸をおどらせていた。

 その華やかさの真ん中に立って、俺は思っていた。


(ここが……あの舞台か)


 前世で何十回と妹に聞かされた物語。

 平民の少女が聖女候補として入学し、やがて聖女として認められる学園。

 そして――悪役令嬢エレナ・アルヴァレスが、坂を転がるように追い詰められ、最後に断罪される場所。

 爽やかな朝の光の中で、そんな物騒ぶっそうなことを考えているのは、たぶんこの広い校庭で俺ひとりだけだ。


「お兄様」


 隣でエレナが小さく俺を呼んだ。

 いつもどおり背筋を伸ばし、表情を崩していない。だが、その指先が制服のスカートの縁をきゅっと握っているのを俺は見逃さなかった。


「緊張してるのか」

「……いいえ。公爵令嬢が学び舎の門ごときで動じるはずが、ありませんわ」


 動じてるじゃねえか、というツッコミは飲み込んだ。

 代わりに、できるだけ軽い声で言ってやる。


「まあ、そう気負うな。お前は十分やってきた。後は、いつもどおりにしてればいい」

「いつもどおり、ですか」

「そうだ。胸を張ってろ。お前はこの国の公爵令嬢で、誰より努力してきた婚約者だ。それは誰にも変えられない」


 エレナは少しだけ目を見開いて、それから、ほんのわずかに頬をゆるめた。


「お兄様は、ときどき、ずるいことをおっしゃいます」

「ずるい?」

「緊張をほぐすつもりで、わたくしが一番言われたい言葉を選ぶのですもの」


 ……バレていたか。

 まあいい。少しでもこいつの背中が軽くなるなら、ずるくても何でもなる。


 校庭を進むあいだ、すれ違う生徒たちが、ちらちらとエレナを見ていた。


 好意の視線ではなかった。憧れでもない。

 「あれが公爵令嬢か」「王太子殿下の、ご婚約者だって」――そういう囁きには、どこか、最初から壁を一枚(はさ)んだ様なよそよそしさがあった。

 高慢に違いない。気位が高いに決まっている。

 話したこともない相手に向ける顔としては、随分ずいぶんと出来上がった顔をしていた。


 エレナは、それに気づかないフリをしていた。

 気づかない訳がない。気づいた上で背筋を一ミリも曲げずに前だけを見て歩いていた。

 その健気さが、俺には少しつらかった。

 遠くの回廊を、見覚えのある金髪の青年が取り巻きを従えて横切っていく。

 王太子ユリウス。この学園ではアイツも一介の生徒のはずだが、その周りだけ空気が一段格上だった。エレナは、ほんの一瞬だけそちらへ目をやって、すぐに視線を戻した。

 何も言わなかった。


 入学式の鐘が鳴った。生徒たちが講堂へと吸い込まれていく。その流れに乗りながら、俺は校舎の壁をちらりと見上げた。古い石壁に白百合をかたどった文様が所々刻まれている。装飾にしては随分と丁寧で古い。

 何となく、目に留まった。

 だが、そのときの俺は、ただ「歴史のある学校だな」くらいにしか思わなかった。それが何を意味するのか――気づくのは、まだ、ずっと先のことだ。


 講堂の壇上で学園長の長い祝辞が始まる。

 エレナは前を向いて、模範的な令嬢の顔でそれを聞いている。

 破滅フラグの並んだ舞台に――いよいよ幕が上がった。


          ◇


 昼休み、中庭は人で賑わっていた。


 石畳の広場の真ん中に大きな噴水があって、その縁に腰かけたり、芝生に座ったりしながら生徒たちが思い思いに昼を過ごしている。俺はエレナと一緒に回廊の日陰でそれを眺めていた。

 ――最初は、ちょっとした人だかりだった。

 噴水のそばに、五、六人の生徒が集まっている。みんな笑っている。

 その輪の中心に、()()()()()()がいた。


 亜麻色の髪を無造作にひとつに結んだ少女だった。

 貴族の令嬢たちのように完璧に整えてはいない。仕立てのいい制服も彼女が着るとどこか着られているように見える。けれど、そんなことはまるで問題にならなかった。

 彼女が笑うと、まわりの全員がつられて笑った。


「ごめんなさい、ええと……私、まだ校舎の場所がぜんぜん覚えられなくて……」

「あはは、いいよいいよ! こっちこそ、案内するから!」

「フォルテさん、午後の講義、隣いい?」

「もちろんです! あの、私のほうこそ、よろしくお願いします」


 貴族ばかりのこの学園で、平民の生徒はたいてい遠巻きにされる。それが当たり前だった。

 なのに、あの少女のまわりだけは、その当たり前がまるきり通じていない。誰も彼女を遠ざけないどころか、貴族の子息令嬢のほうが我先にとそばへ寄っていく。


 ()()()()()らしい、という噂は昨日からもう回っていた。

 何百年にひとりの力。教会が聖女候補として目をつけている、とも。


 なるほど、それなら貴族が群がるのもわかる。

 ――わかるが、それにしても。たった半日で、この懐かれようは、どこか度を越している。

 その光景に見覚えがあった。あるはずもないのにあった。

 前世で妹の小さなゲーム画面の中で何十回と見た光景だ。


 ミリア・フォルテ。

 この物語の、ヒロイン。


(来たか)


 俺は自然と身体に力が入るのを感じた。『警戒』というやつだ。

 原作で、この子を中心にエレナの破滅フラグは回り始める。

 明るくて、優しくて、誰からも愛される聖女候補。

 その隣で、悪役令嬢は嫉妬に狂い、墓穴を掘っていく。

 ――そういう、筋書きだった。


 だが。


 俺は、その筋書きを全部折りにきている。


 不意にミリアがこちらを振り向いた。

 目が合った、と思った瞬間。

 彼女の笑みが、ほんの少しだけ揺れた。

 まばたきほどの、わずかな間。その表情の表面を何かがよぎったように見えた。けれど、それが何なのかは俺にもよくわからなかった。緊張かもしれない。人見知りの硬さかもしれない。あるいは、ただの見間違い。

 ただ――楽しげに笑っていた他の生徒たちの顔とは、その一瞬だけ毛色が違って見えた。それだけだ。


「……エレナ・アルヴァレス、様」


 ミリアの唇が小さく動いた。

 名乗ってもいない。紹介もされていない。なのに彼女はエレナの名を呼んだ。

 エレナがわずかに眉を寄せた。


「あら。わたくしのことをご存じですの?」

「あっ……す、すみません。公爵令嬢で、王太子殿下のご婚約者だと、その、噂で……」


 ミリアは慌てたように顔を伏せ、両手をぱたぱたと振った。

 なるほど。婚約者の顔と名前くらい、学園中に知れ渡っていてもおかしくはない。そう言われれば、筋は通る。通る、が――


(噂で、ね)


 まあ、そんなものか、と思う。

 ただ、さっきの、あの一瞬。

 あれを「噂で見知っているだけ」で片づけていいものか――俺は判断を保留した。今は材料が足りない。


「は、はじめまして! ミリア・フォルテと申します! 平民の出で……その、色々至らないことばかりですが……エレナ様にもご挨拶あいさつ出来てよかったです」


 ミリアは、ぺこりと頭を下げた。

 ぎこちなかった。緊張で声が少し上ずっている。けれど、その挨拶にはびも、計算も感じられなかった。少なくとも俺の目には。

 悪意はない。

 原作のヒロインを腹の中で何か企んでいる女だと身構えていた俺は、正直少し拍子ひょうし抜けした。この子はただ――まっすぐで、不器用で、ちょっと怖がっているだけの女の子に見えた。


「ご丁寧に。エレナ・アルヴァレスですわ」


 エレナが令嬢の礼を返した。完璧な角度。完璧な声。

 完璧すぎて、俺にだけはわかった。

 こいつ、今、ちょっと――身構えてる。


 ミリアは、少しだけ何か言いたそうにした。

 唇を開きかけ、エレナを見て、また閉じる。《《それを二度》》。

 結局、彼女が口にしたのは、随分とささやかな言葉だった。


「あの……エレナ様。差し出がましかったらごめんなさい。その……どうか、お身体を大事になさってくださいね」


 言ってから自分でも妙だと思ったのか、ミリアは、ぱっと頬を赤くした。


「す、すみません! 初めてお会いしたのに、変なことを。なんだか、その……言いたくなってしまって」


 ぺこぺこと頭を下げる彼女を、エレナは不思議そうに見ていた。

 俺も見ていた。

 はじめましての相手に、いきなり身体をいたわる言葉をかける。

 おかしいといえば、おかしい。

 だが、悪意から出た言葉ではない。むしろ、お節介で、人のいい子が、つい口走ってしまった――そう取るのが最も自然だった。

 自然なのに。なぜだろう。その台詞のほんの少しの座りの悪さが、俺の喉の奥に小骨のように引っかかった。


「フォルテさーん! こっちこっち、席取っといたよー!」

「あっ、は、はいっ。今行きます!」


 噴水の向こうから彼女を呼ぶ声がした。ミリアはホッとしたように、けれどどこか名残惜しそうに、もう一度こちらへ頭を下げて人の輪の中へ駆け戻っていった。

 その背中に何人もの生徒が自然に手を振った。彼女がいるだけで、その一角だけ陽だまりみたいに明るかった。


 隣で、エレナがその光景をじっと見ていた。

 無表情を装っていた。

 けれど、扇を持つ手の指が、ほんの少しだけ白くなっていた。

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