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悪役令嬢の兄に転生した俺の妹救済計画〜妹を悪役令嬢にするシナリオを論理と拳でぶっ潰す!〜  作者: 浅沼まど
第2章:婚約者を飾りだと思うなら王太子を辞めろ

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第7話『わたくし抜きで決めないでください』

 帰りの馬車の中は、ずっと静かだった。


 車輪が石畳を踏む音だけが規則正しく続いている。向かいに座ったエレナは、窓の外を見たまま一言も喋らない。

 俺は、何となく切り出しにくいまま黙っていた。

 てっきり、感謝されるとばかり思っていた。あるいは、心配される。

 「お兄様、お怪我は?」とか。

 だが、エレナの横顔はそのどちらでもなかった。


「……エレナ」


 たまらず俺から声をかけた。


「悪かった。心配かけたな。でも……あいつには一度ガツンと言ってやらなきゃと――」

「お兄様」


 エレナがこちらを向いた。

 怒鳴ってはいなかった。声を荒げてもいなかった。

 ただ、静かだった。

 ――この子が本当に怒った時、いちばん静かになることを俺は知っている。


「お兄様は、わたくしのためにお怒りくださったのですよね?」

「ああ。当然だ」

「殿下が、わたくしを飾りのように扱った。それが、許せなかった」

「そうだ」


 エレナは、膝の上で両手をきゅっと握った。それから、ゆっくりと言葉を選ぶように口を開いた。


「嬉しいです」


 その声が、わずかに震えた。


「お兄様が、わたくしのために怒ってくださったこと。それは、本当に嬉しいのです。誰もわたくしを見ていない場所で、お兄様だけがわたくしの指先の震えに気づいてくださった。それが、どれほど心の支えだったか」


 だが、と。

 エレナはまっすぐに俺を見た。涙はこぼさなかった。最後まで。


「ですが、お兄様。あの場で殿下に剣を向けるかどうか――それを、どうしてわたくしに一度もお聞きにならなかったのですか」


 俺は言葉に詰まった。


「あれは、わたくしの婚約の話です。わたくしと、殿下の。わたくしが、これからどう振る舞い、どう殿下と向き合っていくか。それを、わたくしは、わたくしなりに考えていました。耐えるべきところは耐え、言うべきところは言おうと。そういう道を選ぼうとしていました」


 知らなかった。

 俺は、ただ〝エレナが傷ついている〟それだけを見ていた。傷ついた妹を守らなきゃと、それしか。


「お兄様が剣を抜かれた瞬間、あの場でのわたくしの立場は、もう、わたくしのものではなくなりました。『兄に守られた、かわいそうな婚約者』。それが、これから社交界で語られる、わたくしです。わたくしが、何年もかけて積み上げてきたものは、お兄様の一振りで別のものに変わってしまったのです」


 馬車がガタンと揺れた。


「お兄様」


 エレナの声がふっとやわらかくなった。やわらかくて、それゆえに深く刺さった。


「わたくしのために怒ってくださったのは嬉しいです。ですが――わたくしの人生を、わたくし抜きで決めないでください」


 胸の真ん中をまっすぐに貫かれた気がした。


 俺は何も言えなかった。

 守ったつもりだった。妹を悪役にする世界に、こいつだけは渡さないと。そのために強くなった。剣も、魔法も、全部、この子のためだと。

 なのに。

 その「この子のため」の中に、肝心のこの子の声がなかった。


 ――誰もこの子の話を、ちゃんと聞いてないんだもん。


 ふいに、前世の妹の声が耳の奥でよみがえった。

 みんな決めつけてるだけ。一回でも誰かが話を聞いてあげたら、こんな終わり方しなかったと思う。


 話を聞いていなかったのは。

 もしかして、俺も――


「……ごめん」


 やっと、それだけが口から出た。


「お前に聞くべきだった。お前がどうしたいか、先に」

「……はい」

「俺はお前を守ってるつもりで、お前を抜きにしてた」


 エレナは、しばらくうつむいていた。

 それから、そっと首を横に振った。


「いいえ。お兄様の優しさを責めているのではありません。ただ……これからは、一緒に決めてくださいませんか。わたくしのことは、わたくしも一緒に」


 その目に責める色はなかった。

 ただ、まっすぐに対等に立とうとする、不器用な意志があった。

 ああ、こいつは、こんなに強かったのか。守られるだけの子じゃなかったのか。

 俺は、頷くしかなかった。頷きながら、初めて――自分の「守り方」というやつが本当に正しかったのか、足元がぐらつくのを感じていた。


 強くなれば守れると思っていた。

 でも、強さで殴り倒したあの瞬間に、俺は一番大切なものを置き去りにしかけた。

 守るって、なんだ。

 それは、本当に剣を振ることだったのか?


 答えは――出なかった。


          ◇


 屋敷に戻ると、玄関ホールで執事が一通の書状を捧げ持って待っていた。


「レオン様、エレナ様。お帰りなさいませ。……本日、こちらが届いております」


 差し出された封筒には見覚えのある紋章――ではなく、もっと荘厳な白百合をかたどった封蝋が押されていた。

 その紋章を見た瞬間、馬車の中で重く沈んでいたエレナの顔が別の緊張に塗り替わった。


「これは……」


 俺は、その封蝋を知っていた。前世で何十回と聞かされた物語の舞台の名前を。


 聖リリアーヌ魔法学園。


 前世で何十回と妹に聞かされた、あの物語の本編が幕を開ける舞台。


 そして――悪役令嬢エレナ・アルヴァレスが、坂を転がるように追い詰められ、やがて断罪へと至る場所。


 並んだ破滅フラグが、ここから本格的に動き出す。


 エレナが震える指で封を開けた。中の便箋に目を走らせ、それから、こちらを見上げる。


「お兄様。わたくしたち……聖リリアーヌ魔法学園への入学が認められましたわ」


 その声は少し弾んでいた。新しい場所への期待。

 努力すればきっと報われるという、健気な信頼。

 俺は、その紙片を見つめながら奥歯を噛んだ。


(始まるのか)


 守り方すら、まだわからないままだ。


 なのに、舞台は――もう幕を開けようとしている。

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