第33話『まず俺を倒してから』
「茶番は、終わりだ」
俺は、人垣を両手で押し割った。
騒めきが波のように引いていく。卒業生たちが、貴族たちが、呆気にとられた顔で道をあける。
何百という視線が一斉に俺へ向いた。エレナへ注がれていた、その悪意の視線が。
今だけは俺へ逸れた。
それでいい。
お前らの相手は、十六の女の子じゃない。ここからは――〝兄〟だ。
俺は、まっすぐに壇上へ向かって歩いた。
一歩踏み出すごとに、靴音が静まり返った広間に響く。
「アルヴァレス卿……?」
ユリウスが眉をひそめる。
俺は壇の縁に足をかけ、ひと息に上がった。エレナのすぐ隣に立つ。
穢れの靄が彼女の足元でわだかまっている。俺は、その前に半歩身体をねじ込んだ。
「妹を悪役にして、世界を守るつもりなら――」
俺は、壇上の連中をぐるりと見回した。
ユリウス、その傍らのカイル、そして――セリオ。
「まず、俺を倒してからにしろ!」
会場がどよめいた。
ユリウスの顔が不快げに歪む。
「乱心したか、アルヴァレス卿! これは、王国の正式な――」
「正式な、なんだって?」俺は遮った。「あんた、さっきから立派な言葉ばかり並べてるな。王国のため。正義。婚約者としての責務。――なあ、ユリウス。一つ、聞かせてくれ。あんた――その婚約者を、一度でも、まともに見たことがあるのか?」
「……なんだと?」
「茶会でエレナが疑われた時……あんたは駆け寄りもしなかった。庇いもしなかった。ただ、遠くから難しい顔で眺めてた。婚約者が群衆に追い詰められてるのに、だ。アンタが見てたのは、エレナじゃない。『毒を盛ったかもしれない令嬢』っていう都合のいい絵だけだ」
ユリウスの口が開いて、何も出てこなかった。
いつもの端正な弁舌が出てこない。図星を突かれた人間の顔だった。
「……私は」ようやく絞り出したヤツの声はかすれていた。「私は……王国のために正しい判断を……婚約者としての責務を……」
「責務、責務って、さっきからそれしか言わないな」俺は畳みかけた。「責務ってのは、相手を見もせずに切り捨てる免罪符か? あんたは、エレナが何年、何を犠牲にして、あんたの隣に立とうとしたか、考えたこともないんだろう。あんたが背負ってたのは責務じゃない。見たくないものから目を逸らすための言い訳だ」
「黙れ……っ!」
ユリウスの端正な仮面が初めてヒビ割れた。
声が上ずっている。きっと自分でも薄々気付いていたんだろう。
エレナを見ていなかったことに。だが、認めたくなかった。
だから、「正義」や「責務」という立派な言葉の後ろに隠れていた。
その隠れ場所を引きずり出されて――この男は、初めて自分の浅さと向き合わされていた。
すぐには変われない。今夜、改心して頭を下げるなんてこともない。
だが――その揺らいだ目だけは、もう元には戻らないだろう。
俺はユリウスから視線を外した。今は、コイツに構ってる場合じゃない。
「黙れ」
割って入ったのはカイルだった。
騎士の正装の下で肩をいからせている。
「殿下に無礼だぞ。それに、お前の妹は卑怯にも聖女様を毒で害そうとした。弱い者を害そうとする奴を俺は許さない!」
「弱い者、ねえ……」
俺は、一歩、カイルへ踏み出した。
「カイル・ヴァルガ。アンタ、騎士なんだろ? 「弱い者を守るのが信条だ」とよく言ってる。――じゃあ、聞くぞ。今、この壇上で、一番弱い立場に立たされてるのは誰だ?」
「それは――」
「証人が片端から寝返り、持ち物が勝手に湧き、記憶まで書き換えられる。その上、何百人に囲まれるも、たった一人で立ってる十六の女の子――エレナだ」
「そ、それは……」
「アンタのやってることは、弱い者を守る騎士の仕事か? それとも――」
「黙れと言っている!」
カイルが腰の剣を抜いた。
来る、と思った瞬間には、もう踏み込んでいた。
俺は身体に力を巡らせる。骨が、筋肉が、内側から軋んで張りつめる。
カイルの剣が銀の弧を描いて振り下ろされた。
速い。さすが、攻略対象の騎士だ。伊達ではない。
だが――遅い。
俺は、半歩横へずれた。剣風が頬をかすめたが、そのままカイルの手首を左手で掴んだ。
握り潰す気で締め上げる。
「ぐうっ!」
剣が手からこぼれ落ちる。カシャンと床で跳ねた。
俺はカイルの胸ぐらを掴んで、グッと引き寄せた。鼻先が触れるほどの距離で。
「決めつけて剣を抜く。状況証拠を鵜呑みにして人を裁く。それをお前は〝正義〟だと思ってる。――教えてやるよ、それが、最も質の悪い弱い者イジメだ」
カイルの目が揺れた。
怒りでも、戦意でもない。初めて突きつけられた別の角度の問い。
それに戸惑っている目だった。
「守る」、「卑怯」、「弱い者いじめ」――自分の正義の物差しが急に当てにならなくなった。そんな頼りない顔だった。
俺は手を放した。カイルがよろめいて後ずさる。
すぐには剣を拾わなかった。拾えなかった。
よし。論破した。ねじ伏せた。
壇上の三人のうち二人を黙らせた。
会場の貴族たちの騒めきにも戸惑いの色が混じり始めている。
さっきまでの一方的な断罪の空気がほんの少し緩んだ。
――なのに。
俺はふと足元を見た。
床の文様は相変わらず煌々と輝き続けていた。
俺がユリウスを言い負かしても。カイルを組み伏せても。
儀式の光は一ミリも揺らがない。それどころか、輝きは刻一刻と強くなっていく。
嫌な予感が背筋を這い上がった。
おかしい。
攻略対象を論破してねじ伏せれば、断罪イベントは崩れる。
今まではそうだった。それが、この物語での勝ちパターンだった。
なのに。
この儀式は俺が暴れても、まるで痛がらない。
まさか、こいつは――言い負かして、殴り倒して、どうにかなる相手じゃないのか。




