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悪役令嬢の兄に転生した俺の妹救済計画〜妹を悪役令嬢にするシナリオを論理と拳でぶっ潰す!〜  作者: 浅沼まど
第9章:断罪イベント? その前に兄(おれ)が来た

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第32話『覆るすべての勝利』

「殿下――()()()()()()()()()()()()()


 穏やかな声だった。

 白い装束に銀の聖印。セリオ・クラウスだった。

 彼は悲しげな目でエレナを見つめ、それから手にした一枚の書面を掲げた。


「アルヴァレス嬢の罪は聖女候補への害意に留まりません。順を追って、お示ししましょう」


 彼が合図をすると、壇の脇から給仕の男が進み出た。茶会の日に青い縁の茶器を運んだ、あの男だ。男は震える手で何かを掲げた。

 あの毒の小瓶だった。アルヴァレス家の紋章が刻まれたアレだ。


「この小瓶は、茶会の現場で発見されました。アルヴァレス家の紋章入り。中からは卓布を変色させたものと同じ毒が検出されています」


 セリオの声は淡々としていた。


「そして――茶器に残された毒の魔力痕。これを調べ直しました。結果を申し上げます。――その魔力は、エレナ・アルヴァレス嬢、本人のものと完全に一致いたしました」

「待て!」


 俺は思わず声を上げた。

 あの茶器の魔力痕はエレナのものじゃない。ノアの記録魔法が証明していた。給仕の手だった。違う第三者の手で書き換えられた痕跡まで残っていた。あの場で、確かに暴いたはずだ。

 なのに――。


「ご覧ください」


 セリオが書面を宙にかざした。

 光が走る。半透明の像が立ち上がる。茶会の、あの天幕。青い縁の茶器。

 そして――その茶器にすうっと手を伸ばす水色のドレスの令嬢。

 エレナだった。

 ありもしなかった光景が。あの日、ノアの記録の中で上書きされた偽物の像が。

 今度は、教会の『正式な証拠』として堂々と掲げられていた。


「お……思い出しました」


 給仕の男が震える声で言った。


「私は……確かに見たのです。エレナ様が茶器に手を伸ばされるのを……」

「わたくしも」


 人垣の中から年配の貴婦人が進み出る。茶器を倒した、あの婦人だ。


「あの方が袖から小瓶をお出しになるのを。この目で、確かに」


 ぞわりと鳥肌が立った。

 茶会の時と同じだ。だが、規模が違う。

 あの時は証人が二人だった。今は――広間にいる誰もがエレナを疑う。その視線のひとつ、ひとつが見る間に確信へと固まっていく。

 書き換えが起きている。会場全体の記憶が。


「そういえば――」


 誰かがぽつりと言った。


「教材が破られた事件も。あれも、アルヴァレス嬢では?」

「魔法を暴走させて、ミリア様を傷つけようとなさったわ。わたくし、見ましたもの!」

「聖女様をずっと、妨げようと――」

「あれは、もはや……王国そのものへの反逆では?」


 声が、声を呼んだ。

 ひとつ、ひとつは根も葉もない噂のかけらだ。だが、それが毒殺未遂という一本の太い軸に、次々と貫かれて繋ぎ合わされていく。教材も、暴走も、聖女妨害も、国家反逆も。バラバラだった出来事が、「やはり、すべて、エレナ・アルヴァレスがやったのだ」という、たった一つのなめらかな物語へと組み上がっていく。


 俺は立ち尽くした。

 反論しようとした。

 「教材破損は別の令嬢の仕業だ」と。あの時、証明したはずだ。

 「魔法暴走はエレナのせいじゃない」――そう叫ぼうとした。

 だが、無駄だった。


 一件ずつ、ほどいて、もう一度、説明し直す? どうやって。

 この場の全員が、もう別の記憶を持ってしまっている。俺が「あれは違う」と言えば言うほど、人々の目には悪あがきにしか映らない。証拠を出しても、出したそばから塗り替えられる。茶会でノアが嫌というほど思い知らせてくれた。


 たった一件。

 毒殺未遂という、ただ一件の象徴的な事件。

 それが、ひっくり返された。

 たった、それだけで――茶会であれほど苦労して暴いた全ての勝利が。教材破損の真相も、暴走の弁明も、何もかもがまとめてなかったことにされた。一本、ドミノを倒されただけで、これまで積み上げてきた牌が音もなく後ろから全部崩れていく。


 会場の床の文様が、一層明るく輝きを増した。

 人々の疑念が、恐怖が、怒りが――燃料となって儀式に注ぎ込まれていく。

 その熱の行き着く先で。

 エレナの足元の黒い靄が、もはや隠しようもない程、濃く立ちのぼっていた。


「……っ!」


 エレナの顔から血の気が引いていた。

 自分の記憶が自分のしたことが広間中の全員から(ことごと)く否定されていく。世界そのものに「お前は間違っている」と(ささや)かれ続ける、あの恐怖。茶会で一度味わった、あの感覚が。今度は、何百という人の口を通して彼女に襲いかかっていた。


 それでも――エレナは膝をつかなかった。

 唇を噛み、扇を握りしめ、震える脚を奥歯の力で支えていた。

 崩れ落ちることだけは、断固として拒んでいた。

 そして、震える声をまっすぐに張った。


「わたくしは、その茶器に触れておりません」


 騒めきの中に、その声は細く、けれど確かに通った。


「皆さまが何を思い出されても。証拠がどう書き換わっても。――わたくしは、わたくしの記憶まで差し出すつもりはございません……!」


 完璧な反論じゃない。証拠もない。

 ここにいる全員の記憶が、もう別の絵に塗り替えられている。


 それでも、エレナは、たった一つ、自分の中の真実にしがみついて声を上げていた。


 その背中を見た瞬間。


 俺の中でこらえていたものがプツリと切れた。

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