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悪役令嬢の兄に転生した俺の妹救済計画〜妹を悪役令嬢にするシナリオを論理と拳でぶっ潰す!〜  作者: 浅沼まど
第8章:証拠が書き換わるなら、書き換わった痕跡を暴けばいい

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第28話『拳では届かない』

 茶会は、結局、有耶無耶(うやむや)のままお開きになった。


 誰もエレナをその場で裁きはしなかった。だが、誰も無実を認めもしなかった。

 アルヴァレス家の紋章入りの小瓶。書き換わった証言。『毒を盛った悪役令嬢』という像だけが薄い染みのように人々の中に残った。

 事件が事件だ。茶会の参加者は、当面、王宮を出ることを許されなかった。

 とりわけ、「アルヴァレス家には追って事情を聴く」と通達が来た。

 俺とエレナは、その日のうちに屋敷へ帰ることも出来ず、王宮の客間に留め置かれることになった。

 遠くで王太子ユリウスがこちらを見ていた。

 婚約者であるはずのエレナに駆け寄るでもなく。庇うでもなく。ただ、難しい顔で距離を置いて、眺めていた。その目には疑いと失望が半分ずつ。自分の見たいものだけを既に見始めている目だった。


 婚約者なら、まず本人に何があったのかを問うはずだ。


 だが殿下(コイツ)はエレナの言葉を聞く前から、もう天秤(てんびん)を傾けかけていた。しかも本人は、それを『公正な判断』だと信じて疑っていない。


 ――その無自覚さこそが何より質が悪かった。


 俺はエレナを連れて、その場を離れた。


 歩きながらエレナがぽつりと言った。


「お兄様。証言も、証拠も好きに書き換えればいい。……でも、わたくしの記憶だけは。わたくしが何をして、何をしていないか。それだけは誰にも――世界にだって奪わせません」


 まだ震えてはいたが、その声の芯は、まっすぐに通っていた

 俺は何も言わず、その肩に手を置いた。

 書き換えられても、塗り潰されても、自分の中の真実だけは手放さない。

 そう言いきれるこの子がどれほど心強く、どれほど危ういか。今の俺にはまだわからなかった。


 エレナを客間へ送り届け、付き添いの侍女に託したあと。

 俺は一人、長い、人気のない回廊を引き返していた。

 その途中だった。


「アルヴァレス卿」


 穏やかな声が背後からかけられた。


 振り返ると――白い装束の青年が立っていた。

 灰がかった淡い色の髪。胸元で銀の聖印が静かに光っている。

 あの演習場の回廊で惨劇に祈りを捧げていた、あの人影だ。間違いない。


「申し遅れました。セリオ・クラウスと申します。教会の末席に連なる者です」


 セリオは丁寧に頭を下げる。物腰はどこまでも穏やかだった。

 俺は、警戒を隠さなかった。


「教会の人間が何の用だ? 今日の茶番にも、アンタらの聖印が絡んでたみたいだが?」


「茶番、ですか……」


 セリオは悲しげに目を伏せた。怒りでも、嘲りでもなく、ただ純粋な悲しみで。


「あなたには、そう見えるのでしょうね。妹君を何としても守りたい。そのお気持ちは尊いものです。本当に……ですが、卿。少しだけ……私の話を聞いてくださいませんか?」


 立ち去ろうとした俺を、その静かな声が何故か引き止めた。


「私の生まれた村は、もう、ありません」


 回廊の窓から傾きかけた陽が差し込んでいた。


「幼い頃、地方で小さな災厄が起きました。穢れが土地に溢れ、家畜が死に、子どもがばたばたと倒れていった。何百という人が苦しみ、死にかけました。誰にも止められなかった。――その時、教会が選んだのです」


 セリオの声は、静かなまま続いた。


「一人の少女を。穢れを、その身に引き受ける『器』として捧げました。彼女が、すべての穢れを一身に背負って消えた。その瞬間、災厄は嘘のように止まりました。何百もの命が助かったのです。私も、その一人でした」


 俺は何も言えなかった。


「私は見ました。捧げられる、その少女の涙を。『怖い』と彼女は言いました。『死にたくない』と……忘れたことは、一度もありません」


 セリオは胸元の聖印にそっと手を当てた。


「ですが、卿。もし、あの少女がいなければ……私は、今、ここにいません。あの村の生き残った全員が死んでいた。彼女の犠牲は、確かに何百もの命を救ったのです。それは――無意味だった、と言えますか?」


 穏やかな声で。穏やかな顔で。

 この男は、世界で最も(おぞ)ましいことを言っていた。


「犠牲に意味があるなら――それは〝救い〟です」


 俺の中で何かがぶつりと音を立てた。


「ふざけるな……!」


 声が低く震えた。


「その理屈で……お前らは……これから、エレナを捧げる気か! 何百どころか、何千、何万の命のためだとか言って。十六の女の子を悪役にして、罪を全部押しつけて、消そうって……そう言いたいのか!!」

「他に道があったと、お思いですか?」


 セリオは、静かに問い返した。責めるのではなく、本当に訊ねるように。


「私も幼い頃は思いました。何故、あの子でなければならなかったのか、と。もっと別の道があったはずだ、とも。……ですが、考え抜いた末にたどり着いたのは、他に道はなかった、という事実でした。穢れは消えません。誰かが引き受けるしかない。引き受け手がいなければ、土地ごと、全員が死ぬのです」

「探せばあったはずだ! 穢れを、誰にも背負わせずに、散らす方法が!」

「では――その方法を、卿はご存じですか?」


 俺は言葉に詰まった。

 知らない。罪の分散だとか、そんな話をミリアから聞いた。

 だが、それは過去に試して失敗した方法だと。条件が揃わなかったと。

 今、ここで、それを語れるほど――俺は何もわかっていない。


「……ご存じないのでしょう」


 セリオの声は、どこまでも穏やかだった。だからこそ残酷だった。


「『探せばある』と人は言います。けれど、探している間にも、人は死ぬ。だから教会は確実な方法を選ぶのです。一人の犠牲で、すべてを救う。それは冷酷ではありません。むしろ――いちばん優しい計算なのです」

「その『優しい計算』に――」


 俺は奥歯を噛む。


「あんたたちは……エレナも入れるつもりなんだな?」

「ええ」


 セリオは否定しなかった。澄んだ目で、まっすぐに俺を見た。


「卿は、妹君を救いたいのでしょう? その、たった一人を。お気持ちはわかります。私にも、あの少女がいましたから」


 そして、彼は静かに問うた。


「ですが――その、たった一人を救うお優しさで。()()()()()()()()()()()()としても。卿は、同じことが言えますか?」


 俺は言葉に詰まった。

 すぐに「言い返せ!」と頭の中で誰かが叫んだ。

 「妹を救って何が悪い!」と。

 「世界より妹を取るに決まってる!」と。


 だが、「何万の死」という言葉が。

 いつか、ミリアが見せた、あの災厄の断片が。崩れる街が、燃える人々が。俺の喉を塞いだ。

 言い返せない。

 即座には何も言い返せなかった。

 その沈黙こそがセリオの一番欲しかった答えなのだと――俺にはわかってしまった。


「……お時間を頂きありがとうございました」


 セリオは、また丁寧に頭を下げた。


「私は、あなたを憎んではいません。あなたの優しさを否定もしません。ただ、知っておいていただきたかった。世界には――()()()()()()()()()()()()()()()()のだと」


 白い装束の背中が回廊の奥へ静かに遠ざかっていく。

 俺は拳を握りしめたまま、しばらく、その場から動けなかった。


 殴ればよかったのか。


 だが――アイツを殴っても、アイツの抱える死者は生き返らない。

 アイツの思想は折れない。


 拳では届かない場所に――敵はいた。

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