第20話『分けられなかった罪』
長い沈黙が流れた。
背中の痛みは、まだ続いている。
心の真ん中を抉られた痛みは、それよりずっと深かった。
……ああ、そうかよ。
物理で何でも折ってきた兄も、コイツには一言も言い返せないって訳だ。情けない。
だが――黙り込んだまま終われる訳がなかった。
俺はゆっくりと呼吸を整えた。そして、ミリアに訊いた。
「……ひとつ、教えてくれ」
掠れた声で尋ねる。
「君は、その繰り返しの中で……一度でも、エレナを断罪する以外の道を試した事はないのか?」
ミリアの肩が揺れた。
「毎回、見てきたって言った。エレナが堕ちる世界も、エレナを救って災厄が広がる世界も。なら――そのどっちでもない道は? エレナ一人に全部背負わせない。でも、世界も滅ぼさない。そういう方法を探したことは、一度もないのか?」
ミリアは、長い間、答えなかった。
ランプの灯りが、彼女の伏せた睫毛を照らしている。
そして、ぽつりと。
「……一度だけ、あります」
俺は息を詰めた。
「一度だけ。試したことがあるんです。エレナ様、一人に全部の〝穢れ〟を集めるんじゃなくて――関わった人、みんなで、その罪を分けて背負おうとしたループが……」
――「罪を分ける」。
その言葉が暗闇の中の一筋の光みたいに聞こえた。
「できたのか、それは」
「……失敗しました」
ミリアの声が震えた。
「理屈の上では、多分、間違っていなかったんです。一人が背負いきれない重さなら、何人かで分け合えばいい。穢れを薄く、広く、散らせばいい。その方が、誰も潰れずに済むはずだった……」
「だが、失敗した。何故だ?」
「みんなが――誰も」
ミリアは、ぎゅっと目を閉じた。
「誰も、本当には……自分の罪を認めなかったからです」
俺は黙って、続きを待った。
ミリアは膝の上で組んだ指に視線を落とした。ひとつずつ、思い出すように。
「ユリウス殿下は……最後まで信じていました。自分は王国の為に正しいことをした。婚約者を断罪したのも王太子としての責務だった、って。だから、分けて背負うような罪なんて自分にはない、と」
……あの王太子なら言いそうだ。
「カイル様は……俺は、弱い者を守っただけだ、と。聖女を守るために悪いやつを裁いた。それのどこが罪なんだ、って。あの人は、本気でそう信じていました」
短い沈黙が落ちた。
ミリアは膝の上で握った手を握り直した。
「貴族の方々は……もっと単純でした」
「……というと」
「自分は見ていただけだ、と。手を下したわけじゃない。声を上げただけ。噂を信じただけ。だから――関係ない。みんな、そう言って目を逸らしました」
見ていただけ。
その言葉の嫌な感触を俺は知っていた。
原作で。あの断罪の場で。エレナを取り囲んで、囃し立てた名も無い群衆の顔のなさを。
「君は――」
俺は訊いた。
「君自身はどうだったんだ、ミリア」
ミリアの表情がくしゃりと歪んだ。
「私も……認めきれませんでした……」
悲痛が込められた、震え、そして掠れた声。
「世界を救うためには仕方なかった。私が聖女になるのも、エレナ様を犠牲にするのも、私のせいじゃない。そう決まっていたんだから仕方なかったんだ、って……そうやって、自分に言い聞かせて。結局、私は最後まで……私の罪を自分のものだと認められなかった」
彼女は両手で顔を覆った。
「そして……エレナ様も。エレナ様は、自分の嫉妬や傲慢を認める前に。全てをただの冤罪だと――何もしていない、何も悪くない、って全部を拒んでしまった。だから――」
ミリアは、顔を上げた。
「分けるはずだった罪が……誰の手にも収まらなかったんです。みんなが押しつけ合って、押し返して。そして、行き場を失って……」
「穢れが……暴走したんだな?」
「……はい」
ミリアの声が落ちた。
「エレナ様ひとりに集めていた時よりも、ずっとひどく。あの時の災厄は――今、あなたに見せた断片より、もっと広く燃え広がりました。私は、それを止められませんでした」
俺は、言葉を失った。
分ければ、軽くなる。
そう思った。一瞬、光が見えた気がした。
だが違った。
誰も自分の罪を認めなければ。分けるどころか――もっとひどいことになる。
失敗すれば、ただ救えないだけじゃない。もっと、沢山の人間が死ぬ。
――〝罪の分散〟。
それは、希望なんかじゃなかった。
もっと質の悪い賭けだった。
「分けられるのかも……しれません……」
ミリアは、最後にそう言った。
涙を拭いもせずに。
「理屈の上では、条件さえ揃えば……でも、誰も本当に自分の罪を見ようとしなかった。だから失敗しました。だから私は、もう……エレナ様、ひとりに、背負ってもらう以外の道を信じられなくなってしまったんです……」
病室に、また沈黙が降りた。
彼女の言葉は嘘には聞こえなかった。
むしろ――何度も、何度も、その失敗の重さを背負い直してきた者だけが口に出来る重さがあった。
ただ。
その絶望の話の最も奥に、ひとつだけ別の色が混じって聞こえた気がした。
やり方が間違っていたわけじゃない。失敗したのは、誰も自分の罪を認めなかったから。
それは裏を返せば――。
もし、全員が本当に一人残らず、自分の罪を自分のものとして認めたなら――。
そこまで考えて、俺はその先を追いきれなかった。あの王太子が、あの騎士が、揃って頭を下げる姿なんて、今の俺にはまるで想像がつかない。それに、何より――さっき突きつけられた問いの痛みが、まだ抜けていない。
ただ、その小さな引っかかりだけが消えずに胸の底に沈んだ。
ふと、俺は思った。
コイツは、どこで、この『罪の分散』なんてモノを知ったんだ。
誰も教えてくれない繰り返しの中で、たった一人で思いついたとは思えない。
「……ミリア。最後に、もうひとつ」
「はい」
「その〝罪を分けるやり方〟。それから、君が何度も繰り返してるって話。教会は――どこまで知ってる?」
ミリアの、肩がぴくりと震えた。
答えるのをためらうように視線が揺れた。
「……わかりません。全部は。でも――」
声を潜めた。
「教会の奥に……古い記録があるみたいなんです。何度も繰り返された、この出来事の。聖女が目覚める度の……多分、私が知らないことまで書かれていると思います」
「それじゃあ――」
「ですが……私がこの事を誰かに話そうとする度に……どこからか、視線を感じるんです……」
「視線?」
「まるで、おまえを見ているぞ、と言っているかのように」
――教会が、ループを記録している。
その言葉は小さな棘のように頭の隅に引っかかった。
いつか、誰かに――例えば、ノアあたりに確かめてもらう日が来るのかもしれない。
だが、今は、そこまで頭が回らなかった。
さっきから、ずっと――俺は突きつけられたモノの重さに押し潰されかけている。
だが――今は、それよりもっと引っかかっていることがあった。
ミリアの話を聞きながら。ずっと、胸の奥に刺さって抜けない棘が。
エレナは自分の嫉妬を認める前に、「全てを冤罪だ」と拒んだ。
ミリアは、そう言った。
だが――それは本当にエレナだけのせいなのか?
誰かが、エレナに教えたのか。
お前は、何のために断罪されるのか。
お前が背負わされているモノが、何なのか。
世界のどんな仕組みの中で、お前一人が消えることになっているのか。
それを、ちゃんと説明した上で――「お前はどうしたい」と、一度でも訊いたヤツがいたのか。
脳裏に蘇る。
今日の、あの演習場で。俺の血で真っ赤に染まった手を見つめながら。
エレナが震える声で放った問い。
――「わたくしは、本当に悪役になるのですか?」
あの時、俺は答えられなかった。痛みのせいにした。意識が遠いせいにした。
だが違う。
俺は答えを持っていなかったんじゃない。
答えを聞かせるのが――怖かったんだ。
――いや。俺自身は、どうだ。
俺は、エレナに何を話している。「破滅フラグを折る」とは言った。「守る」とも言った。だが、肝心な事は、何ひとつ話していない。原作のことも、運命補正のことも――たった今、ミリアから聞いた、この話も。
守るために隠している。
そう言えば、聞こえはいい。
だが本当は聞かせるのが怖いだけではないのか。
それでは、ミリアと何が違う。
あいつは世界を救うために、エレナを犠牲にする結末か目を逸らした。
俺は、エレナを傷つけたくなくて、あの子から真実を遠ざけている。
守るという言葉の裏で、俺もまた、あの子の人生をあの子抜きで決めようとしているんじゃないのか。
俺は、ミリアを見た。
彼女は、まだ不安げに俺を見返している。
その目を、まっすぐ見据えて。
俺は訊いた。
「ミリア。――ひとつだけ答えてくれ」
声は、もう震えていなかった。
「今の話を――その何度も繰り返したっていう世界のこと。エレナを救えば世界が滅ぶってことも。罪が分けられるかもしれないってことも。全部だ」
俺は、息を吸った。
「その話を、エレナにはしたのか?」
ミリアの目が、大きく見開かれた。
唇が何かを言おうと動いて、けれど、声にならなかった。
彼女は答えられなかった。




