第18話『何度も繰り返している』
〝話さなければならないこと〟か。
俺は背中の激痛を奥歯で噛み殺しながら、ベッドの上でミリア・フォルテを見上げた。
夜の医務室は月明かりと枕元のランプだけが頼りで、彼女の顔の半分は影に沈んでいる。
それでも、わかった。この少女は、いつもの人好きのする笑顔をひとつも浮かべていない。
――考えてみれば妙な話だ。
深夜の医務室に聖女候補がたった一人で。
お付きも連れず、誰にも知らせず。
見つかれば、彼女の立場がどう傷つくか。わからない歳でもないだろうに。
それでも、彼女は来た。
つまり、それくらい人に聞かれたくない話だということだ。
「警戒しろ」と頭の奥で誰かが囁いた。
――当然だ。こいつは、おかしい。
教材破損の時、魔法暴走の時――ミリアは、いつだって結末を知っていた。
試験場でエレナの魔力が弾ける、あの一瞬。
あいつは暴走が起きる前に、もう障壁を張り始めていた。
誰よりも早く、迷いなく、まるで台本でも読んでいるみたいに。
あの不自然さの正体を。
今、こいつは明かそうとしている。
「……話、か」
俺は可能な限り冷静な声を出した。
「悪いが……その前に、ひとつ訊いていいか? ――君は、今日の暴走を知ってたな?」
ミリアの肩がびくりと跳ねた。
図星か。
「あの試験場で君だけが暴走の前に動いてた。エレナの魔力が弾ける前から障壁を組んでた。偶然じゃ、説明がつかない」
俺は痛みを押して、上体をわずかに起こした。
「君は――何を隠してる?」
ミリアはしばらく黙っていた。
握りしめた両手を胸の前でぎゅっと固めたまま。
そして、絞り出すように言った。
「……知っていました。あの暴走も、教材のことも……その前の色々な事も……」
やっぱりか。
だが、続いた言葉は――俺の予想を軽々と飛び越えていった。
「だって、私は――もう何度も〝この時間〟を見てきたから」
――何度も? 聞き間違えじゃないよな?
俺は、眉を寄せる。
「どういう意味だ?」
「言葉のまま……です」
ミリアの声が震えた。
「私は……何度もこの世界をやり直しています。同じ年、同じ学園、そして同じ人たち。何度も、何度も。気付いた時には、また入学式の朝に戻っているんです」
病室の空気が止まった。
俺は口を開きかけて閉じた。
ループ。やり直し。
――正直に言えば、「馬鹿げている」と一笑に付したかった。
「何度も時間を巻き戻すヒロインだと? どこの安い乙女ゲームだ」と。
だが、笑えなかった。
なぜなら、俺自身が、こことは違う世界の記憶を抱えてここにいる転生者だからだ。
時間が繰り返す。世界が巻き戻る。そんな現象を頭から否定できる立場に俺はいない。
それに。
それなら、辻褄が合ってしまう。アイツの不自然なまでの迷いのなさが。
とはいえ。
「はい、そうですか」と鵜呑みにする程、俺はお人好しでもない。
「……だったら、ひとつ証明してみせろ」
俺は探るように言った。
「君が、本当にこの時間を繰り返してるってんなら。今日の暴走――あれが、君の知ってる『いつも』と、どう違ったのかを言ってみろ」
ミリアは、一瞬、傷ついたような顔をした。
けれど、すぐに目を伏せて語りはじめた。
「……いつもの暴走は、もっと小さいんです。エレナ様の魔力が少しだけ弾けて、私の腕をかすめる程度で誰も死にません。それで、『やはりエレナが聖女を傷つけた』と噂が立って――それで、終わり。それが毎回の決まった形でした」
俺の背筋が冷えた。
「でも、今日のは違いました。あんなに大きな暴走は、私、初めて見ました。下級生まで巻き込まれかけて……あなたが飛び込まなかったら……何人か死んでいた。あんなことは、これまでの繰り返しで、一度もなかったんです」
「……それが」
「――〝あなたのせい〟なんです」
ミリアは、まっすぐ俺を見た。
責めるのではなく、ただ怯えるように。
「あなたが、エレナ様を守ろうとして。先回りして囲い込んで。言いたいことも言わせなかったから。だから、エレナ様は自分の魔力の異変を誰にも言えなかった。膨らんで、膨らんで――そして、あんなに大きく弾けた。私には、それがわかります。だって……あなたがいる繰り返しを、私、初めて見ているんですから」
グッと胸の奥を抉られた気がした。
――反論できない。あの暴走の規模が原作より酷かったこと。それが俺の過保護のせいかもしれないと、心のどこかで薄々感じていたこと。それを、コイツは当たり前みたいに言い当てた。
「……信じる、信じないは後だ」
俺は慎重に言葉を選んだ。
「仮にその話が本当だとして……君は、その繰り返しの中で何を見てきた?」
ミリアは目を伏せた。
俯いた横顔から、もう声を出すのも辛そうだった。
「毎回……同じです。エレナ様は『悪役令嬢』として断罪されます。学園で疑われて、追い詰められて、最後は、卒業の夜に全ての罪を着せられて追放されるか――それより、ひどい結末を迎えます」
「毎回」
「ええ。何度、繰り返しても。細かいことは、少しずつ変わるんです。誰が婚約者になるかとか、どの事件が先に起きるかとか。でも、それだけ。エレナ様が断罪されることだけは――何度やり直しても、一度も変わりませんでした」
俺の指先がシーツを握った。
毎回。何度やっても。エレナだけは堕ちる。
まるで最初からそう決まっているみたいに。
……気に入らない。
誰が婚約者になるかは変わる。どの事件が先に起きるかも変わる。
なのに、エレナの破滅だけは一度も変わらない。
それはつまり――この世界は、他の事なら幾らでも融通を利かせる癖に、あの子を堕とす事だけは何があっても手放さないということだ。
まるで、そこだけが〝譲れない一線〟だとでも言うように。
〝悪役令嬢の断罪〟――それを軸にして世界が回っている。
「その軸をへし折ってやる」と、俺は奥歯を噛んだ。
「そして――」
ミリアは続けた。
「エレナ様が断罪されると……私は聖女として目覚めます。胸の聖印が光って、力が流れ込んでくる。そうして覚醒した私が王国に迫る災厄を退ける。それが――毎回の終わり方です」
「……災厄」
初めて聞く言葉だった。
『穢れ』とは、また別の。もっと大きな何か。
「君が聖女になって退ける? 何を?」
「言葉で説明するのは難しいんです」
ミリアの肩が小さく震えた。
「でも、確かにあるんです。この王国に迫っているもの。それを……エレナ様が、ひとりで引き受けて消えてくれるから……みんなは無事でいられる。『器』と――そう呼ぶしかなかった。本当は、そんな言い方したくないのに……」
最後のほうは、ほとんど消え入るような声だった。
『器』という響きを一番嫌っているのは、口にした彼女自身だ。そうわかるくらいには。
それでも、その言葉は俺の耳にざらりと残った。
まるでエレナという人間が〝何かを入れるためのただの入れ物〟だとでも言われたみたいで。
「……ふざけるな」
声が低くなった。
「俺の妹にそんな役目を……誰が決めた……」
「すみません! 違うんです、私は……!!」
ミリアが慌てて顔を上げた。
その目に涙が滲んでいた。
「私は……私は、エレナ様を嫌っているわけじゃないんです。本当に違うんです。むしろ――」
言いかけて、ミリアは唇を噛んだ。
その先を飲み込むように。
俺は彼女のそんな顔を見て、少し冷静さを取り戻した。
――コイツは楽しんでなんかいない。エレナの破滅を望んでいる女の顔じゃない。むしろ、誰よりもその事に傷ついてきた者の顔だ。
「だから――」
ミリアは、震える声で言った。
「だから、ここからは言葉じゃなくて……見て欲しいんです。私が何度も見てきたものを……」




