第16話『銀に墨が混じる』
翌日、昼。
実技試験は学園の屋外訓練場で行われた。
石畳を円形に切り出した広い演習場。
中央には的が並び、その周囲を観覧の生徒たちと評価をつける教師陣がぐるりと囲んでいる。
予定通り、エレナの試験順は最後尾。
ミリアの班とは反対側。距離は十分にとった。
俺は観覧席の最前列で、腕を組んでそれを見守っていた。
段取りは完璧だ。
原作のイベントが起きる条件は潰した。今日この試験でエレナがミリアを傷つけることはない。
そう確信していた。
◇
試験は淡々と進んだ。
最初の生徒が、的の前に立つ。
「巡れ、火の粉。我が手に灯れ――」
短い詠唱の終わりに、赤い火球が的を焦がした。
氷、風、雷――続く生徒たちもそれぞれに短く唱えてから術を放つ。優劣はあれど、どれもありふれた、ただの実技だ。
ミリアの番が来た。
平民出身の彼女の聖属性は人を癒し、清める、温かな金色の光だった。
それを見て、周囲から感嘆のため息が漏れる。
さすが聖女候補だな、と思う。あの光なら人に好かれるのも理解できる。
ミリアが的への魔法を終えて、自分の班へ戻ろうとした、その時――。
彼女が、ふと足を止めた。
そして、まだ出番ではない筈の演習場の反対側を。
エレナのいる、その方角をじっと見た。
まるで、何かが、これから起きることを知っているかのように。
俺がその違和感に眉をひそめた、まさに、その瞬間だった。
「――次。アルヴァレス公爵令嬢」
教師が、エレナの名を呼んだ。
エレナが、円の中央へ進み出る。
背筋を伸ばし、顎を引き、誰よりも美しい所作で。
銀白色の魔力を手のひらに集め始める。
大丈夫だ。俺は、自分に言い聞かせた。
距離は十分。ミリアは反対側。条件は潰した。
後は――的に、いつもの綺麗な光を撃ち込むだけだ。
「我が許に集え、銀の光。連なりて、清らかに――」
澄んだ、流れるような詠唱だった。誰もが聞き惚れるような。
エレナの手の中で銀の光がふくらむ。
だが――それが、グニャリと黒く濁った。
ゾワリと俺の背筋が総毛立った。
澄んでいた筈の銀白色の光の、その中心に――黒い染みが滲んでいく。
墨だ。墨が広がっていく。澄んだ銀を内側から喰い破るように。
黒い滑った何かが、彼女の手のひらから、腕へ、肩へ這い上がっていく。
まずい。
俺は、もう腰を浮かせていた。最前列の柵に手をかけ、円の中央へ足を踏み出す。
だが――遠い。観覧席の縁からエレナの立つ中心まで十数歩。最短で届くはずの席をわざわざ選んだのに。それでも遠い。
たった一拍。その一拍が間に合わない。
「――っ!?」
エレナの顔が凍りついた。
彼女自身が、誰よりも驚いている。光を消そうと手を握りしめる。だが、消えない。それどころか、黒い光は彼女の意思を振り切って、更に膨れ上がった。
「お、お兄様――! これ、わたくし、止められ――!」
悲鳴のような声だった。
あれは誰かを狙う者の声じゃない。
自分の中から噴き出した、得体の知れないものに恐怖している者の声だ。
俺にはわかった。
エレナには殺意なんてない。
この子は今、自分自身が、一番怖い。
だが、周囲にはそう見えなかった。
「逃げろー! 巻き込まれるぞー!」
「エレナ・アルヴァレスが暴発させた!」
「やっぱり……やっぱり、あの女がミリア様を狙って――!」
「教材の時も……本当に潔白だったのかしら……!」
「やっぱり、あの令嬢……!」
黒く染まった魔力が爆ぜた。
原作なら、ここでミリアに軽い火傷を負わせて終わるはずだった。
違った。まるで規模が違った。
黒い奔流は、的を呑み、石畳を抉り、円の中央から津波のように四方へ広がった。
エレナのすぐそばにいた生徒が悲鳴を上げて、後ろへ転がる。教師の張った防御障壁が、紙のように裂ける。
黒い波は、まっすぐミリアの方へも伸びていく。そして――その手前で、悲鳴を上げてうずくまった、なんの関係もない数人の下級生の方にも。
ミリアが動く。
それは、驚くほど速かった。
彼女は黒い波が来るより、わずかに早く、その下級生たちを突き飛ばすように庇って、自分の聖属性の障壁を展開していた。
まるで――この瞬間が来ることを、最初から知っていたみたいに。
だが、それでも足りない。
黒い奔流の規模は、ミリアの障壁ごと押し潰そうとしている。
「お兄様――!」
エレナがこちらを見た。
もう、彼女の顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
「来ないで! お兄様、来てはいけません! わたくしに近付いたら、お兄様まで!!」
ふざけるなと思った。
「近付くな」だと――お前を置いていけるか!




