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悪役令嬢の兄に転生した俺の妹救済計画〜妹を悪役令嬢にするシナリオを論理と拳でぶっ潰す!〜  作者: 浅沼まど
第4章:証拠が揃いすぎている事件ほど、だいたい罠だ

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第14話『ただの悪意じゃない』

「ち、違うの……」


 崩れるように、クラリッサがその場に(ひざ)をついた。


「違うの……わたくし、こんなことを……するつもりじゃ、なかった……」


 涙がぼろぼろとこぼれていた。

 勝ち誇っていたあの顔は、もう、どこにもなかった。ただ、(おび)えた子どもの顔で、彼女は自分の手のひらを――羊皮紙の繊維がこびりついた、その手を信じられないものを見るように見つめていた。


「でも……エレナ様が、悪いと思ったら……止まらなく、なって……」


 俺は、その言葉に足を止めた。

 ここで畳みかけて、徹底(てってい)的に(たた)けば胸はすくだろう。今朝からの理不尽(りふじん)意趣返(いしゅがえ)しにはなる。

 だが――できなかった。

 この令嬢の顔には、悪意を達成した者の満足が一欠片(ひとかけた)ない。あるのは、純粋な恐怖だった。自分が、自分でないものに突き動かされていた。その記憶に怯えている顔だった。


「お前」

「ひっ!」


 俺は、出来るだけ静かに尋ねた。


「……どうして、こんなことをした?」

「わかり……ません……」


 クラリッサは首を振った。涙で化粧が崩れていた。


「気が、ついたら……教室にいて……手が、勝手に……気が付いたら、教科書が、こんなに……」


 そこで、彼女は、自分の言葉に自分で戸惑うように眉を寄せた。


「夜、だったのか……朝、だったのか……それすら、もう、よく……。ただ、あたりが暗かったような気もするのです。でも、そんなはずないと、わかっておりますのに……」


 暗かった。

 その一言に、俺は内心で引っかかった。

 教室は、夜の間、施錠されていた。彼女が忍び込めたのは、今朝、鍵が開いてからのはずだ。

 施錠記録もそう示している。俺の調べた筋道は間違っていない。


 なのに――本人の記憶の中では、その『夜』と『朝』の(さかい)すらも溶けて、曖昧(あいまい)に滲んでいる。

 まるで、その時間の前後だけ誰かにそっと書き換えられたみたいに。

 ……いや。考えすぎだ。動転した人間の記憶なんて、そんなものだろう。

 だが――その引っかかりはどうしても消えてくれなかった。


「わたくし、エレナ様のことを……確かに生意気だと思ったことはありますわ。公爵令嬢だからって、いつもツンと澄ました顔で……でも、それだけ。それだけ……なのに……」


 彼女の声が震えた。


「あの時だけ、何故か……あの方が許せなくて。憎くて、憎くて、たまらなくて。自分の中の、その気持ちが、まるで誰かに膨らまされたみたいに……どんどん、大きくなって……止め方がわからなくなって……」


 膨らまされた。

 その言葉が、耳の奥に引っかかった。

 多少の妬みなら誰にでもある。エレナを生意気だと思う気持ちも、まあ、わからなくはない。だが、それと人気のない教室に一人で忍び込んで、何分もかけて他人のノートを引き裂く狂気との間には深い、深い断絶がある。

 その断絶を何かが無理やり埋めた。

 ――「一人の人間から、こんな憎悪が湧くものなのか」

 ノアの問いが、今、はっきりと答えを求めて立ち上がってきた。


 ふと、ミリアを見た。

 原作ヒロインの少女は壇の隅で両手を胸の前で握りしめて、クラリッサを見ていた。その腕には無残に破られた教材が、まだ抱えられている。傷つけられたのは、ほかでもない、この少女なのだ。


 その表情に、俺はまた引っかかった。


 被害者なのだ。教材を破られた、当の本人なのだ。なのに、その顔に浮かんでいるのは、「やっと犯人がわかった」という安堵(あんど)でも、怒りでもなかった。

 もっと、苦しそうで。もっと、痛ましそうで。

 まるで、起きてしまったことの重さに、たった一人で耐えているような顔だった。

 ミリアの唇が何か言いかけて小さく動いた。


「……エレナ様が悪者にされなくて……よかった」


 絞り出すような小さな声だった。

 安堵の言葉のはずだった。なのに、その声は、少しも晴れていなかった。

 まるで、まだ何か終わっていないものをじっと見つめているような――そんな頼りない響きだった。

 ミリアは、それ以上、何も言わなかった。

 ただ、唇を結んで俯いた。言いたいことが、まだ喉のところにつかえているのが、見ていてわかった。けれど、それを、決して口にしようとはしなかった。

 今、問い詰めても、この子は答えない。それだけは確信があった。


「ねえ、レオン」


 ノアが隣に来ていた。

 いつもの軽口はなりを潜めていた。彼は、膝をついて泣くクラリッサと、宙に残ったままの歪んだ魔力の像を交互に見比べていた。


「僕はね、さっきから、ずっと考えてるんだ。あの娘の心から湧いたにしては、この憎悪は量が多すぎる。波長も妙だ。人の感情にしては輪郭が……規則的すぎる」

「規則的すぎる?」

「うん」


 ノアは、目を細める。


「これは、魔法というより――もっと広い干渉かもしれないね」


 『干渉』。

 誰が。何に対して。なんのために。

 わからない。何ひとつ、わからない。それでも、ひとつだけはっきりしたことがある。

 今日、俺が叩き折ったのは、クラリッサ・ザイドリッツという一人の令嬢の悪意じゃない。

 その背後にいる、もっと大きな顔のない、何か――エレナを無理やり『悪役令嬢』に仕立て上げようとする見えない手だ。


「お兄様」


 エレナが、そっと俺の袖を引いた。

 彼女は、膝をついて泣いているクラリッサをじっと見ていた。


「……正直に申します」


 エレナの声は、低く震えていた。


「わたくし、悔しゅうございました。あらぬ疑いをかけられて、皆の前で吊るし上げられて……怖くてたまりませんでした。あの方のことも、お恨みする気持ちがないと言えば、嘘になります。腹も立ちました」


 いいぞ、と思った。

 それでいい。聖女みたいに何もかも飲み込まなくていい。

 怒っていいし、恨んでいい。この子は、そういう弱さをちゃんと持っている。


「ですが」


 エレナは、それでも続けた。


「あの方のお顔を見ておりますと……なんだか、あの方も、わたくしと同じように。何か訳のわからないモノに追い詰められて、苦しんでいたように……どうしても、そう見えてしまうのです。だから――せめて、それだけはお伝えしておきたくて」


 憎しみと、同情と。怒りと、戸惑いと。

 その、全部を抱えたまま、エレナはまっすぐにクラリッサを見ていた。

 矛盾している。けれど、人の心なんてそんなものだ。


 ――エレナ様は、本当は悪い子じゃないんだよ。


 前世の妹の声が、また、よみがえった。

 ああ、そうだな。本当にそうだ。

 悪い子なら自分を陥れた相手にまで、こんなふうには苦しまない。


「わかった」


 俺は、エレナの頭にそっと手を置いた。


「もう、終わりだ。今日は、よく耐えたな」


 エレナが、ようやく、ふっと肩の力を抜いた。

 ホールには、まだざわめきが残っている。

 少なくとも、今この場では、もう、誰もエレナを「悪役令嬢」とは呼ばなかった。


 だが――それで全てが晴れたわけじゃない。

 生徒たちの視線の奥には、まだ拭いきれない濁りのようなものが、薄く沈んでいた。

 『疑い』というのは、一度かけられると、例え晴れても、うっすらと染みを残す。

 今日の今日で、それが綺麗に消えるわけがない。


 それでも――勝った。間違いなく勝った。

 最初の冤罪イベントを、俺は知略で真正面から叩き壊した。

 なのに――。


 ぱち、と。

 視界が、一瞬、瞬いた。


 目の前のホールの光景に、見たことのない奇妙なものが薄く重なった。

 四角い枠。

 半透明の文字盤。

 まるで――前世で、妹が病室のベッドで夢中で見つめていた、あの携帯ゲームの画面のような。


 そこに、無機質な文字がちらりと流れた気がした。


 『嫌がらせイベント 失敗』

 『――補正、開始』


「……はっ?」


 俺が、まばたきをした、その次の瞬間には。

 もうホールは、ただのホールだった。文字も、枠も、跡形もなく消えていた。

 誰も気づいていない。エレナも、ノアも、ミリアも。

 ただ、俺の網膜の裏側にだけ、その無機質な文字の残像がじりじりと焼きついて消えなかった。


 補正、開始。

 ――いったい、何が。

 何が、今、始まったというんだ。

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