第12話『証拠が揃いすぎている』
「いやあ、面白いものを見せてもらったよ」
誰もいなくなった教室で、ひょいと窓際から声がした。
ノア・リンドブルムだった。
机に頬杖をついて、退屈そうに、けれど目だけは妙にぎらついてコチラを見ている。
いつから、そこにいたのか。
「人が一人、犯人に仕立て上げられる速度の新記録だ。半日……いや、ほとんど一晩か」
「ノア。お前、ずっと見てたな」
「趣味だって言っただろう。人を眺めるのが」
ノアは、気怠そうに立ち上がった。
「でっ? その理不尽が気に入らないんだろう。手伝ってやってもいい。ただし――報酬は、この一件の『答え』だ。僕は、その答えにちょっとした学術的興味がある」
怪しいやつだ。だが、知性は本物だ。
それに、今は猫の手も借りたい。
「いいだろう。じゃあ、まずこれを見てくれ」
俺は破られた教材を指した。
「派手にやられてる。だが――よく見ろ。破れ目が、全部、同じ方向だ。手前へ、手前へ。それも一回や二回じゃない。何度も繰り返し力任せに引きちぎってる」
「ふむ」
「これだけ破るには時間がいる。十秒、二十秒の仕事じゃない。何分もかけて、夢中で引き裂いた跡だ」
俺は、破れた頁の一枚をつまみ上げた。フォルテのノートは、聖属性の授業で使う青いインクで書かれている。
「それに――見ろ。このインク、まだ完全には乾いてない。乾ききる前に、これだけ激しく引き裂けば、破った奴の指にも、この青が擦れて移ってるはずだ」
「なるほどね。証拠ってのは、犯人の手について回るわけだ」
ノアが指で破れ目をなぞった。
「で、肝心なのは、いつやったか、だ。フォルテのノートは昨日の夕方までは無事だった。本人が使ってたんだからな。教室は夜に施錠され、今朝開けられた。つまり犯行は――今朝、施錠が解かれてから一限が始まるまでのわずかな時間」
「短いね」
「ああ。そして、その時間、エレナはどこにいたか」
俺は、自分の胸を軽く叩いた。
「俺と一緒だ。屋敷を出て、馬車で学園に来て、門から教室までずっと並んで歩いてた。教室に入ったのは、もうみんなが机を囲んだ後だ。――エレナには、この教材を何分もかけて引き裂く時間がどこにもない」
「アリバイ、ってやつか。じゃあ、リボンは?」
そこだ。
俺は、拾ったリボンをノアの目の前にかざした。
「これが、一番おかしい。見ろ、皺ひとつない。汚れもない。結び目すらほどけてないんだ」
「……ああ、なるほど」
ノアの目がすっと細くなった。
こいつ、もう気づいたな。
「もし、犯人が夢中で教科書を引き裂いてる最中に髪のリボンが落ちたんなら――こいつは、引き裂いた紙くずの『下』にクシャクシャに埋もれてるはずだ。踏まれて、揉まれて、汚れてる。なのに、これは違う。紙くずの『上』に、きれいに表を向けて家紋がよく見えるように――置かれてる。つまり、お行儀がよすぎる、と」
「ああ。まるで『犯人はわたしです』って名札みたいにな。こんな親切な証拠を、わざわざ落としていく馬鹿がどこにいる」
証拠が揃いすぎている。
アリバイのない時間に犯行があり、しかも犯人が、ご丁寧に家紋つきの名札まで残していった。
あまりにも出来すぎだ。物語みたいに。誰かがエレナを犯人にするためにお膳立てした舞台のように。
――証拠が揃いすぎている事件ほど、だいたい罠だ。
前世の刑事ドラマで何度も聞いたセリフが頭をよぎった。
「ノア。お前、何か魔法を使えるか。痕跡を読むようなやつ」
「失礼な。ぼくは天才だぞ。記録魔法くらい、息をするように使える」
「記録魔法?」
ノアは指を一本立てて、机の上に淡い光の文様を描いた。
「要は、残留魔力を読む。誰がどんな感情でここに魔力を残したか――まあ、消えかけの足跡をなぞるようなものさ。ただし、言っておくが」
ノアは軽く肩をすくめた。
「これは万能じゃない。魔力の足跡は時間が経つにつれて、徐々に薄まっていく。波長で当たりはつけられても、それだけじゃ証拠にならない。照合できる相手の魔力が別にいる。――おまけに、感情が濃すぎると、像がグニャグニャに歪んで、まともに読めなくなる」
「使えないじゃないか」
「当たりをつけるには使える。決め手にはならない。それだけだよ」
光が机の表面を薄く舐めるように走った。
ノアの軽口が途中でピタリと止まった。
「……おや」
「どうした」
「歪んでる。読めないほど、ね」
ノアは笑いを引っ込めていた。
「言ったろう。感情が濃すぎると像が歪むって。でも、これは――歪むなんてもんじゃない。グチャグチャだ。ヒトが一人、何かに腹を立てて物を壊した、その程度の残り滓でこうはならない。どす黒くて、底が抜けてて……憎悪と呼ぶには量がおかしい。一人の人間の心から、こんなものが湧くものかな?」
ぞわり、と。
背中を嫌なものが這い上がった。
「ひとつだけ、はっきり言えることがある。この歪んだ魔力――波長が、きみの妹さんのものとはまるで違う。それだけは断言していい。だが、逆に言えば、それ以上は、この魔法だけじゃ何も証明できない。誰がやったか、まで指させるほど、きれいな足跡は残っちゃいないんだ」
「……つまり、エレナがやってないことは言えても、犯人の名前まではこれだけじゃ無理ってことか」
「そういうこと。残りは、君の仕事だね」
上等だ。
魔法に頼りきれないなら足で稼ぐ。
前世の仕事でも、地道な確認作業だけは嫌というほどやらされてきた。
◇
俺は、まず職員室で教室の施錠記録を当たった。
記録によれば――あの教室は昨夜、当番の生徒が施錠し、鍵が再び開けられたのは、今朝、始業の少し前。夜の間、中に入れた者はいない。やはり、犯行は今朝。ノアの読みと食い違わない。
次に廊下や昇降口で何人かに声をかけた。清掃の手伝いの者。早く来ていた生徒。
けれど、証言はどれも曖昧だった。
「朝、誰か教室に入っていったような……」
「栗色の髪の子を見たような気もしますけど……自信はないです」
どれも決め手には程遠い。
「見た」と言い切れる者はひとりもいない。
それでも、ぼんやりとした矢印だけは、確かに一つの方向を指していた。
あの栗色の巻き毛の令嬢。
動機ならある。今朝、誰よりも声を張り上げていた。
だが――状況証拠も、曖昧な証言も、歪んだ魔力の足跡も、それぞれ単体では何ひとつ決められない。
決め手はひとつしかない。
あれだけの量の羊皮紙を素手で夢中で引き裂いたなら――その手は嘘をつけない。
爪の間に、繊維が。指にインクの染みが。残っていないはずがない。
「ノア」
「わかってるよ。昼の見世物、楽しみにしてる」
ノアは肩をすくめた。けれど、その目の奥には、もう退屈の色はなかった。
こいつは今、面白い謎を嗅ぎつけている。
――一人の人間から、こんな憎悪が湧くものか。
その問いだけが、棘のように俺の胸にも刺さったままだった。




