4ー8 日本語っていいな!
随分と間が開いてしまい申し訳ございません。
年明けには更新出来るはずだったのに、どうしてこうなった。。。
「君は……一体何者なんだ」
オリバーはゆっくりと溢すように声を震わした。
細身の、華奢な少女。細く長い首は片手で掴めそうであるし、そのまま簡単に折ってしまえるだろう。
この辺りではあまり見ない、黒い目と髪の、派手さはないのに視線を奪われる少女。きりりとした黒い目だけが力強くこちらを見ている。
だが得体の知れない存在だ、とオリバーは小さく息を飲んだ。
「わたしは、あなたたちの祖先と同じ世界から、ここに迷い込んだ者です」
「アース、から……他に人が……」
リーガーはそれ以上に声も出せず押し黙る。そのまま険しい表情のオリバーが言葉を続けた。
「それをどう証明する?」
「あなた方はイタリア人なのでしょう?わたしは日本人です、って言って分かりますかねぇ。アジアの小さな島国で、一時はイタリアと同盟を結び戦争をご一緒した仲です。
他に、そうですね……イタリアといえばベネチア、ローマ、ダンテの神曲。パスタにピッツァ。わたし的には日本人旅行者へのぼったくりが印象に……って、お二方はどこまでイタリア文化をご存知で?」
問いかけられた二人が辛うじて理解したのはベネチアとローマという都市名だった。オリバーの祖父はローマの出であったし、リーガーが子供時分に話を聞かせてくれた老人もローマの出であった。
「あなた方は地球に居た訳ではないので、わたしが知識を並べても判断しかねるでしょう。わたしも日常会話くらいしか書けないのですが……」
そう言って光は見慣れぬ文字を書き始めた。
「祖父の手帳と同じ文字だ」
オリバーは感慨深く呟いた。顔も知らぬ祖父。だが、父から聞かされた祖父たちの話と彼らが残した異世界の物。
自分達はこの世界の住人とはどこか異なる存在なのだと教えられ、理解はしていながらもどこか納得はしていなかった。父が枕元で聞かせてくれた夢物語に近いものだと。
「これで証明できなければお手上げです。百年も経っていれば、どなたもご存命ではないでしょうし」
「いや」
光の言葉にリーガーは否定の声を上げた。
「一人、生きている」
「今まで、確信したことはないんだ」
そう言いながら魔女は一つの絵を示した。
中に浮かぶ子供の姿。大きく両手を広げ、全てを包み込むように淡く輝く性別のない子供。
「これが神様だ、と聞いた。でもおれは精霊なのだと思ってる」
「精霊ですか」
確かに。絵でさえ神々しいとさえ感じられる子供は、神と言われても精霊と言われても頷ける。
「君にもだけど、魔女以外の者には精霊の存在を感じることも、姿を見ることも出来ない。だから、おれにも見たことがない希少な精霊がいるのだと思う。それを、君の世界の知識で強く感じた」
ふむ、と光が頷くのも確認せず、魔女は言葉を続けた。
「君の世界では、この世界以上に知識が広がっていて、それを科学というもので証明している。それこそが、おれが精霊だと認識しているものだと思う」
「科学が精霊……現実が一気にファンタジーに……」
「時の流れを逆行するだの、この大地が空中に浮かんでいるだの、この世界の誰もが考えもしない理論だ」
「大地は神の手の上で、天災は神が身動ぎしただけで起きるだなんて、お互い迷惑なんてもんじゃないですよ。そっちのが考えられない理論です」
この世界の常識を知った光は、膝の上で寝た子猫が起きるから晩御飯作れない、インスタントでも食べてと母親に言い渡された不条理な小五の冬を思い出した。
わたしと父の夕飯は、子猫の睡眠以下ですか。隣に光のベッドよりふっかふかの寝床があるというのに、そこへ寝かせるという選択肢はないのですか。
ちなみに、その不条理で味気ない夕食は、子猫が母親の膝より窓辺の日溜まりを選びはじめた春まで続いた。
「母からも聞かされたことのない精霊を見かけたことは何度かあったんだ。そういう精霊はおれと視線も合わせずに姿を消してしまうし、声を掛けても無視されるというか……だから、おれも見間違いかな、で済ませてた」
「その精霊の中に時間や空間を司るものが居ると考えているのですね」
「そうだと言い切れないけど、可能性は高い」
そこまで口にしてディラは口を噤んだ。存在を証明できたとして、その精霊と交信する術をディラは持たない。さあ任せておけ、と軽く口には出来ない。
自分の持つ知識にも母が遺した資料にも、他の世界から来た者が帰っていったという記述などないのだから。
「大丈夫です」
一瞬、瞳を曇らせた魔女を光は見逃さなかった。美しい少女をしっかりと見詰めたまま頷いた。
「ディラ様が気負う必要はありません。帰る可能性が無いとは思っていませんが、何の情報もなかったんです。微かな可能性が見付かっただけでも凄いことです。楽観視なんてしませんから」
「……君は本当に十六の女の子なの?そっちの一年とこっちの一年て一緒?」
心底納得がいかない、という表情の魔女に、本当に心外だと顔を歪めた光であった。
「コン、ニチハ」
今日は、わたしは日本人です、と。
拙いイタリア語を口にした光に、老人はしわくちゃの顔を更にくしゃりと歪ませ笑い、光のイタリア語より更に拙い日本語を口にした。
「ああ、懐かしい。日本の兵隊さんと同じ顔立ちだ」
他人の口から聞く母国語は互いに久しいものだった。感慨深いと微笑む老人の寝台に、倒れ込むように膝を着いた光の頬を静かに涙が伝った。