5-9 婚約破棄
「……はい?」
エメルはわけがわからず頭を抱える。
あの流れからどうしてその結論に至るのか。一度アルドの思考回路を叩き壊したくなった。
(……ううん。結局、アルドにとって私は、そばに置いておく理由がなくなったんだ)
繋いでいた手が自然と離れる。
それがアルドの選んだことなら、受け入れないといけない。
泣きわめいても縋りついても、理に適っていなければこの人は覆さない。
(平気な振りを、しないと)
エメルは強張る口元を無理やり笑みの形にする。
きっと、笑っていた方がお互いに後腐れがない。
「もともと期間の定めがなかった契約ではあるが、契約を途中でこちら側から一方的に取り消すのだから『破棄』という文言が適切だろう。燃料補給については代替できるものがない以上、これからも無条件での供給を継続する。住居についてはこれまで通り屋敷を使ってもらって構わない。部屋なら余っている。他には――」
迷いや苦悩など一切なく、アルドは諸事の一つであるかのように淡々と説明していく。
しかしエメルにとってはただの音にしか聞こえず、何ももたらさずに消えていった。
「――以上が前提としての取り決めになるが、ここまでで何か質問はあるか」
一通り喋り終えると、アルドはようやくエメルの方に顔を向けた。
「……どうして、私が出ていく前提で全部決めちゃうんですか」
エメルは笑顔こそ維持できたが、声が震えてしまうのは抑えられなかった。
「リーゼッテの件が片付いたから、私は――贋物はもういらないんですか。私がどうしたいかは、聞いてくれないんですか……」
アルドが自分のことを必要としていない以上、何を言っても仕方がない。
仕方がないことだが、エメルは尋ねずにいられなかった。
「そんな取り決めじゃなくて、アルドがどう思ってるか、どうしたいかが聞きたいんです……!」
鼻の奥がつんと痛む。
涙をこぼさないようにしているせいで、不自然にまばたきが多くなってしまう。
アルドは目を見開き、顔を背けた。
「私は君の生き死にを握っている以上、真に対等な関係にはなり得ない。私の望みは、君にとって強制にしかならないだろう」
「強制されてるかどうかは私が決めることです! さっきからずっとそう。想像だけで決めつけないで……!」
エメルはアルドの腕をつかみ、強引に視界に入り込んだ。
「アルドがどうしたいかが先で、その障害にどう対応するかなんて後で考えればいいんです!」
「しかし――」
「ごちゃごちゃ言わないでください! あの時、勢いでキスしたくせに!」
「あれは……!」
あからさまにアルドが狼狽える。
言葉を探すように視線をさまよわせ、唇を引き結んだ。
「……いや、そうだな」
何かを払うように頭を振り、息をつく。
「最初は、イレギュラーな観察対象だったんだがな」
アルドの手が遠慮がちにエメルの顔に触れた。
「被造物に対する愛着や執着では説明がつかないことが多すぎる」
指の腹でエメルの頬をそっと撫でる。
「不自由や面倒があっても、悪い気がしない。騒がしいと思う時もあるが、君が居てくれないと落ち着かない。補給関係なしに、君に触れたい」
先ほどの説明の時よりも、アルドの表情は自信がなく気弱で、言葉はひどくたどたどしかった。
そんな姿が可愛らしく思え、エメルはにやついてしまうのを抑えきれない。
「塵芥収集機や、対の男性体に対してそんな感情を抱いたことはない」
「……男性体はともかく、そこで掃除人形も同列で語ります?」
エメルは思わず唇をとがらせて突っこんでしまった。
被造物という点では一緒だが、そことまとめられるのは微妙だ。
アルドは目を細め、なだめるようにエメルの髪を撫でた。
ゆっくりと滑り落ちるアルドの手の感触が気持ち良い。
「人とそれ以外を分かつものは、どこにあるのだろうな」
アルドはぽつりと呟いた。
「私は領民からは『人形伯』と呼ばれている。人形を駆使しているのが主な理由だが、それ以外にも感情が希薄で人と関わりを持ちたがらない私の性質から『人の形をした何か』として人形という形容を用いている。彼らからすれば、私こそが『人形』なのだろう」
アルド自身の口から『人形伯』の通り名の由来について語られるのは初めてだった。
「結構辛辣だし好き嫌い激しいし、かと思えばものすごく親切な時もあるし。最初はとっつきにくかったけど、感情が希薄だなんて思ったことないですよ」
「それは私の意思などお構いなしに、君が最初から過干渉だったからだ」
「……迷惑でした?」
エメルは少し不安になり、アルドの顔をそっと見上げる。
「迷惑だと感じる時もあったが、それも悪くないと思えるようになった」
アルドは身体を屈め、エメルと目線を合わせた。
「人形だから、人だから。そんなことはどうでもいい。君だから、私は失いたくなかった」
まっすぐな視線と言葉をぶつけられ、エメルはまばたきと呼吸を忘れた。
鼓動だけが身体の内側でうるさく響いている。
「それで、君の方はどうなんだ」
アルドは焦れたように尋ねた。
「……えー……恥ずかしい」
エメルは馬鹿みたいに熱い頬を両手で押さえ、目を逸らす。
「君は、君自身が恥ずかしいと思うことを私に強いたにもかかわらず、自分だけはそれを免れようというのか」
こんな時でもアルドは理で詰めてくる。
「うっ……」
アルドの意見がもっともすぎてエメルは呻くことしかできない。
「……じゃあ……ちょっと耳貸してください」
「わざわざそんなことをしなくとも、ここには私と君以外いないと思うが」
「気分の問題です!」
エメルは手をアルドの肩にかけ、背伸びをした。
緊張と恥ずかしさで心臓が痛い。
深呼吸をしてから、アルドにだけ聞こえる声で囁く。
ばっ、と音がするほどの勢いでアルドはエメルの方を向き、喜怒哀楽が全部入り混じった顔をした。
発する言葉が見つからないのか、唇がわなわなと震えている。
(どんな情緒?)
エメルは必死に笑いを堪える。
「正式に婚約もしていないのに、そんなことを言われるとおかしくなる」
珍しく顔を赤くしたアルドは、むっと眉根を寄せた。
「そこまでのこと言いました、私?」
「自覚がないのも性質が悪い」
アルドは赤く不機嫌な顔のまま、エメルの身体を抱きあげる。
「えっ、歩けますし、もう屋敷は目の前ですよ?」
「私が運んだ方が早い。君とは一度、早急にちゃんとした屋内で正式に話し合う必要がある」
「本当に私、そこまで変なこといいました!?」
「弁解は中で聞く」
いつにない強引さで、アルドはエメルを抱えたまま屋敷の門をくぐった。
エメルは諦めて身体を預け、アルドの首に腕をまわす。
「……ものすごく遅くなりましたけど、助けにきてくれて嬉しかったです。ありがとう、アルド」
アルドは顔を綻ばせ、エメルの額に唇を寄せた。
(私に対しては婚約もしていないのに~とか言ったのに、お姫様抱っことか今のは良いんだ)
エメルはくすぐったさに微笑み、うっとりと目蓋を閉じた。




