5-7 侯爵の密命
「ヒュー、ミラなんかじゃなくて、先にわたくしの話を聞いてちょうだい!」
ずっとタイミングを見計らっていたのか、リーゼッテは急に立ち上がると、ふらついた振りをしてミラを突き飛ばした。そのままよろよろとヒューの胸に縋りつく。
「この期に及んであなたは、また……!」
突き飛ばされたミラは多少よろめいたものの、すぐに体勢を立て直してリーゼッテに詰め寄った。
しかし、ヒューがミラを手で制し、片目をつむって合図を出す。
「あー、申し訳ないんですけど、俺ね、ウィルフレド侯爵から二つの密命を受けてるんですよ」
ヒューはリーゼッテの両手を取り、素早く手縄をかけた。
状況が飲み込めていないリーゼッテは、自分の手に掛けられた縄とヒューの顔を交互に見る。
「一つは、アルベルト辺境伯の安寧を守ること。もう一つは、リーゼッテ伯爵令嬢がヴァイス領に立ち入った場合、その動向を監視し、逐一ウィルフレド侯爵に報告すること」
指を立てながら説明するヒューの顔は、場違いに爽やかな笑みが浮かんでいた。
(笑顔でなんかすごいこと言ってるけど、どういうこと?)
エメルは説明を求めてアルドの服の袖を引っ張る。
心当たりがない話なのか、アルドは首を横に振り、視線をヒューの方に戻した。
元々動じない性格にしても、反応が淡泊すぎる。
「よくも、俺の騎士団を食い荒らしてくれましたね」
手縄を持つ手に力がこもり、ヒューの顔から笑みが消えた。
リーゼッテは気圧されたように何歩か後ずさる。
「色仕掛けに引っかかったのは馬鹿な若い騎士数名。実際にあんたに加担したのは一人だけみたいですけどね。手あたり次第にこういう物を送るのはいただけない」
ヒューは懐から複数枚のメモ書きを取りだした。
誘い出す時間こそ違ったが、秘密の逢瀬を促すような内容だった。
リーゼッテはさっと青ざめ、メモを奪おうとしたが、手縄のせいでどうにもできない。
「こんな雑なやり方で今までよくバレませんでしたね。ご実家にもみ消してもらっていたんですか?」
「っ、何を仰っているのかわかりませんわね。わたくしがそれを送った証拠がありますの?」
リーゼッテは慌てて表情を取りつくろい、見下すように顎を上げた。
「送った証拠はありませんけどね。あんたがうちの団員と接触してたのは目撃報告が上がってます。俺の家までそういうことに使う神経は、呆れを通り越して尊敬の念をいだきましたが」
(うげっ……)
明かされる事実に、エメルは吐き気を覚えずにいられなかった。
侯爵との婚約が決まっていながら、何がリーゼッテにそういう行動を取らせたのか。
エメルにはまったく見当がつかない。
「不義密通以外については、ミラが全部喋ってくれるでしょう」
ヒューはどこか悲しそうな視線をミラに向けた。
「すまない、ミラ。お前がリーゼッテに使われているのを知ってて泳がせていた。農耕人形や研究資料の横流しについても、証拠を掴むまではと様子を見ていたんだ。だが、こんなことになる前に止めるか、団長権限で無理にでもお前を辞めさせておくべきだったのにな。謝っても謝りきれない」
ヒューは目を伏せ、深く頭を下げる。
「ヒュー団長……」
ミラは唇を噛みしめ、反対の手で自分の腕を握った。
「今回の件、俺にも責任がある。お前だけに背負わせるつもりはないから」
ヒューは顔を上げ、まっすぐにミラを見つめた。
ミラは耐え切れないとでも言うように身体ごと逸らし、静かに目元を押さえた。
(私が口出しできるようなことじゃないよね。ヒューさんにしてもミラさんにしても複雑だろうな)
ヒューに見てもらうためにリーゼッテに加担したミラと、侯爵の密命をまっとうするためにミラの行為を黙認していたヒュー。
どちらにも事情があり、どちらにも責任がある。
簡単に善悪を切り分けられない話だ。
「うふふ、あなたたち、どちらもロクでもない男ね。人形遊びに耽る狂人に、自分を慕う者を利用した薄情者」
唐突に、リーゼッテが笑い始めた。嘲りの視線をアルドとヒューに向ける。
「それに関しては間違っちゃいないな」
ヒューは首元をさすり、口の端をゆがめた。
「私はどう思われようと構わないが、私の代わりに怒る婚約者がいるからな。それ以上は口を慎んでもらおうか」
アルドはエメルの方に一瞬目を向けてから、冷ややかな視線をリーゼッテに向けた。
「他人を弄び、虚偽を振りまき、罪を重ねたにもかかわらず何も得られず終わるあなたよりは、真っ当に生きているつもりだ」
(いや、狂人って言われたのめちゃくちゃ効いてるじゃん)
容赦のないアルドの口ぶりに、エメルは苦笑を隠せない。
リーゼッテは目を見開き、唾を飛ばしながら甲高い声で喚き散らした。
時折、罵倒語が聞こえたが、声の高さと早口のせいで何を言っているのかほとんど聞き取れない。
そんなリーゼッテを尻目に、ヒューはアルドとエメルの方に近付いた。
「まだ色々と話したいことはあるけど、とりあえずミラとリーゼッテは連れていくよ。肝心な時に力になれなくて悪かったな」
「構わない。副団長が話の通じる相手だったからな」
アルドはいつもの淡々とした様子で応対する。
「ああ。あいつがいれば騎士団は大丈夫だ」
ヒューはにやりと笑ってみせた。
「それから、エメル嬢」
「は、はい」
急に名前を呼ばれ、エメルは姿勢を正した。
「まさかリーゼッテがこんな凶行に及ぶとは思わなかった。これは完全に俺の落ち度だ。危険な目に遭わせて申し訳ない」
「だ、大丈夫ですよ! 結果的にミラさんが逃がそうとしてくれましたし。今ここにいられるのはそのおかげです。ヒューさんは、私のことよりも気にかけるべき相手がいるでしょ」
エメルはミラの方をちらっと見遣り、微笑んだ。
「……気遣ってくれて、ありがとう」
ヒューは安堵したように息を吐き、微笑み返した。
「あと、最後にもう一つあるんだけど、いいかな」
「はい?」
「次からああいうことは、できれば二人きりの時にやってくれ。色々とけしかけたりしたけど、実際にやられると目のやり場に困る」
ヒューは芝居がかった仕草で頭を抱え、肩をすくめてみせる。
「あれはっ……今回が特殊だっただけです! ひとのこと常識ないみたいに言わないでください!」
恥ずかしいことをした自覚があるせいか、エメルは声が上擦ってしまう。
「アルは常識がないからな。もしかするとアレが普通だと思ったかもしれないよ」
ヒューはわかりやすく意地悪に笑った。
「……なんの話だ」
アルドだけが要領を得ない顔をしている。
「ま、ゆっくり二人で話し合ってくれ」
訳知り顔をしたヒューは、アルドの肩をぽんと叩くと、リーゼッテを引きずって出て行った。
自分は罰せられないという根拠のない自信があるからなのか、狂った振りをして減刑を狙っているからなのか、リーゼッテは薄気味悪い笑い声をあげている。
最後に、ヒューに付き従うようにミラが後に続く。
ミラが拘束されていないのは、ヒューがその必要はないと判断したからだろう。
途端に静かになり、ほとんど同じタイミングでエメルとアルドは顔を見合わせた。




