5-6 キスか補給か
(――いや、さすがに長いって!)
呼吸が苦しくなってきたエメルは、タップするようにアルドの背中を数回連続で叩いた。
が、アルドはまったく意に介さない。
もう一度、より強めに叩いてみるが効果はなかった。
(ほっんと、何考えてんだか全然わかんない!)
エメルはヤケクソ気味に、アルドの髪を鷲掴みにした。
ここでようやく、唇が離れる。
しかし依然として、顔の距離は互いの息がかかるほどに近い。
「なんだ」
アルドは不満げに眉根を寄せた。
「なんだ、って……息できないじゃないですか!」
「鼻があるだろう」
「キスの最中に鼻息荒いとか絶対嫌なんですけど!」
わめいた直後、エメルは手で口元を覆い隠した。
顔が赤くなっていくのがわかる。
(最初に助けられた時と同じ、アルドにとってはただの治療行為かもしれないのに……)
八つ当たりだと思いつつ、エメルはじとっとした目をアルドに向けた。
「キス……?」
アルドは神妙な顔をして、わずかに首をかしげた。
頭を押さえるように髪を掻き上げ、その動作の途中で何故かぴたりと止まった。ブルーグレーの瞳だけが落ち着きなくちらついている。
「アルド?」
「いや、これは…………補給だ」
アルドにしては歯切れの悪い言い方だった。
「はい?」
エメルが聞き返した瞬間、
「燃料の原材料は魔素の木の樹液と私自身の魔力だ。だがあくまで樹液は魔力を定着させるために必要なもの。必須ではない。重要なのは魔力の方で、他人の魔力で代替はできない。また、魔力は直接接触や体液で受け渡しができる――つまり、これはまぎれもなく補給だ」
相槌すら拒絶する勢いでアルドは一気に喋りきった。
「は、はぁ……」
甘さや余韻をすべて吹き飛ばされ、エメルはなんとも言えない疲労感に襲われる。
「……そう、ただの補給のはずだ」
アルドは額を押さえ、目を伏せた。
「呼吸困難になるほど長く唇を重ねる必要もなければ、名残惜しいと感じるのもおかしなことだ」
エメルに向かってというより、アルドは自分自身に問いかけているようだった。
「……君と出会ってからというもの、悩みが尽きない」
アルドは困ったように笑い、躊躇いがちにエメルの頬に触れた。
エメルは、アルドの手に自分の手を重ねる。
「……いいんですよ、別に。補給じゃなくても、その……しても」
こういう言い方しちゃうの可愛げがないな、と思いながら、エメルはたどたどしく告げた。
自然とまばたきが多くなってしまう。
ストレートに「好きだ」と言えない、変なプライドがもどかしい。
「ただ、ちゃんと……責任は、取ってください」
エメルはアルドの首に腕をまわし、自分の方に引き寄せた。
額と額がこつんとぶつかり、どちらともなく唇が重なる。
事務的でも補給でもない、うっとりと、言葉にできない感情を交わすようなキスだった。
互いの密やかな呼吸と忙しない鼓動の音だけが聞こえる。
そんな二人だけの空間に、
「――少しは周りを見ろよ大馬鹿野郎!!」
全力の横槍が入った。
雷鳴のようなすさまじい怒声と共に、突然アルドの襟首がつかまれた。
そのまま思いっきり引き倒される。
エメルがはっと我に返ると、怒りで頭から湯気の立ったヒューが肩で息をしているのが見えた。
慌てて周りを見回すと、ミラやリーゼッテ、気絶している青年騎士の他に、数名の騎士団員が室内を覗き込んでいた。にやついていたり、気まずそうな顔をしていたり、表情はそれぞれだ。
「見た」
エメルと同じく、ぐるりと周囲を見回したアルドは、ヒューを見上げて報告した。
「『見た』じゃねえよ! お前らがそんな雰囲気だから、俺が来るまで団員が誰も突入できなかったんだよ!」
ヒューは床がへこむほど地団駄を踏み、アルドの眼前に指を突きつける。
(耳が痛い耳が痛い耳が痛い――)
エメルはその場に正座をし、両手で耳を塞いだ。
立場的にミラは口出しできなかったのだろう。部屋の隅で小さくなっている。
リーゼッテは腰が抜けたようにその場に座り込み、ぽかんと口を開けていた。
「そういう君こそ、今まで何をしていたんだ。リーゼッテに振り回されていたと聞いたが」
アルドは一切動じることなく言い返す。
「リーゼッテ嬢と別れた後、彼女が買ったもの全部キャンセルしてまわってたんだよ」
ヒューは気まずそうに後頭部を掻いた。
「そんなせせこましいことを……」
「お前と違って湯水のように金を使えるわけじゃねえんだよ!」
恥ずかしい自覚があるのか、ヒューは顔を赤くして怒鳴り散らす。
「まぁ、俺のことはいいから。それより、状況がまだ完全には把握できてないんだけど、何があったんだ。お前はなんで騎士団の軽鎧なんか着てんの?」
「エメルの行方がわからなくなり騎士団に捜索の依頼をしに行った時、あからさまに挙動がおかしい奴がいてな。詰所を出た振りをした後、尾行させてもらった」
(髪おろしてるのも眼鏡してないのも変装だったんだ)
いつもとアルドの格好が違うことに、エメルはようやく納得がいった。
「――そうだ。大事なことを忘れるところだった」
アルドは立ち上がり、いまだ気絶している青年騎士に近付いた。
「危害を加えられる前に止めはしたが、エメルの髪を切ったのはこいつだろう。もう一発ほど、追加で蹴りを入れてもいいか」
青年騎士を雑に指さし、左足を踏み出すように構える。
鎧姿のせいか、アルドの構えが堂に入っているように見えた。
「ちょっと待てちょっと待て! 今日のお前なんか変じゃないか?」
ヒューがアルドの正面にまわり込んで肩をつかむ。
「魔術を使わないだけ温情だと思ってもらいたい。骨が多少砕けるかもしれないが、死にはしないだろう」
「あそこまで蹴り飛ばしたのお前だろ? そんな馬鹿力、当たり所が悪かったら普通に死ぬわ! お前の怒りもわかるがせっかくの証人を再起不能にすんな!」
ヒューは手振りで団員に指示を出し、青年騎士を外に運ばせた。
アルドは不満げに腕組みをする。
(なんであの人が吹っ飛んだのかわかんなかったんだけど、魔法とかじゃなくて、アルドが蹴りで飛ばしたんだ……本当にインテリゴリラじゃん)
エメルのいる所から青年が吹き飛ばされた場所まで、おおよそ数メートルはある。
もはや漫画やアニメの世界の威力だ。
「――ヒュー団長」
アルドとヒューのやり取りが途切れたところで、部屋の隅にいたミラが意を決したように立ち上がった。
ゆっくりとヒューに歩み寄る。
「今回の件について、私からもお伝えしたいことがあります」
「ミラ……」
赤黒く血が固まっているミラの額を見て、ヒューは眉根を寄せ、顔を背けた。
ミラの傷の痛々しさに心を痛めているというより、向き合いたくない何かから逃げている――エメルにはそんな風に見えた。
ヒューは「ミラ以外、詰所に戻っていてくれ」と短く命じ、団員の気配が完全に遠ざかるまで、一言も発しなかった。




