5-3 自覚
埃っぽさのせいで、エメルは目覚めると同時に大きく咳き込んだ。
頬に触れる床石は冷たく、乾いた土と埃にまみれている。
身じろぎするたびに何かが身体に食い込む。
縄のようなものによって後ろ手に拘束されていることはすぐにわかった。
室内は完全な暗闇ではなく、高い位置にある窓から明かりが差し込んでいた。
目測で二メートル以上あるため、今の状態では届きそうにない。
周囲には、糸車のついた作業台や何に使うかわからない機器が雑多に置いてあった。
どれも埃をかぶっており、長い間使用されていないようだった。
(どう考えても拉致監禁されてるよね、これ)
エメルは手の届かない光を見上げ、大きくため息をついた。
頭の中にトゲ付きのボールでも入れられたかのようにずきずきと痛む。
コーヒークリームの影響がまだ残っているのかもしれない。
(なんでミラさんが……)
エメルは固く目を閉じ、涙がこぼれそうになるのを堪えた。
ミラの様子がおかしいことには気付いていたのに、何もできなかったことが悔しい。
ミラには以前、コーヒーで体調不良になったことがあると話した。
リーゼッテに殴られた時も、近くで傷を見ていた。
魔素不耐症のことも疑っていたし、エメルの身体に違和感を覚えても不思議はない。
わからないのは動機だった。
「起きちゃったんですね、エメル様」
軋んだ音を立て、扉が開く。
舞い散る埃を透過してぼやけた光と共に、ミラが入ってきた。
エメルは扉の向こう側の様子を窺えないかと目を凝らすが、機織りに似た機器がちらりと見えただけだった。
「あのー、これ、外してもらえません?」
エメルはにこっと笑い、縛り付けられた両手を動かす。
その瞬間、電流が走ったような、熱感を伴う激痛に襲われた。
痛みはなかなか引かず、笑顔を作り直すことができない。
(薬を飲んで出てきたから多少はもつはずだけど、そんなに時間経ってる?)
窓から差し込む光は白色で、少なくとも夕方にはなっていないように見えた。
「人間のふりがお上手ですね」
ミラは静かにエメルを見下ろす。
「私は一応人間です。ちょっと体質がアレなだけで」
エメルとしては自分が魔術人形だという認識は薄かった。
お腹はすくし眠くもなる。汗や涙も出る。人間らしくないところを探す方が難しい。
「私としては、もうどっちでもいいんです。人間でも人形でも。罪状が誘拐か窃盗になるかの違いです。いまさら後戻りはできないので」
ミラはうつむき、自身の腕を強くつかんだ。
(なんとか説得できない、かな……)
不意に、エメルの視界に不規則なノイズが走る。
身体が警鐘を鳴らしているようだった。
『燃料が切れた時点で機能停止するというのに――』
以前、農耕人形を見せてもらった時にアルドが言っていた台詞だ。
あの時は他人事として聞いていたが、魔術人形である自分の身体にも当てはまるとしたら――
ぞくり、とエメルの全身が震えた。
追って、身体の芯が急速に冷えていく。
(……あんまり悠長なことはしてられない)
エメルは奥歯を噛みしめ、にらむ強さでミラに視線を向ける。
「ヒューさんは知ってるんですか、このこと」
揺さぶりをかける方法はこれくらいしか思いつかなかった。
ミラの顔色が瞬時に変わる。
「こんなの、知ってるわけないじゃないですか……!」
瞳を潤ませ、ミラは首元を強く掻きむしった。
「今のままじゃヒュー団長と釣り合わないから、何度も諦めようとしたけどダメで」
何度も繰り返し爪を立てているせいで、ミラの首に幾筋もの赤い線が浮かぶ。
「そんな時、あの女が……魔術人形に関する資料を横流しすれば、養子先を紹介してくれるって。それなのに、農耕人形も資料も渡したのに満足してくれなくて――」
ぴたりとミラの動きが止まった。
「――でも、完成した魔術人形なら、文句はないはずですよね?」
焦点を失ったミラの瞳がエメルの方を向く。
エメルは出かかった悲鳴を飲み込み、ミラを見つめ返した。
「……身分さえ釣り合っていれば、ヒューさんに好きになってもらえるんですか」
こんなことを突きつけても逆上されるだけ――頭ではそう思っていても、唇が止まらない。
「仮に好きになってもらえたとしても、胸を張って喜べる? 不法な手段に頼ったっていう負い目に押し潰されない?」
「エツ子」だった時は、もっと当たり障りのない言葉をかけて、受け流していた。
今は、それができない。
たとえ嫌われたとしても、耳障りが良いだけの言葉は言えなかった。
「エメル様にはわからないですよ!」
「当たり前でしょわかんないわよ!」
エメルは間髪入れずに言い返す。
「そんな風に誰かを想ったことなんて今までなかったんだから! 誰からも嫌われずにそれなりの人生を送れれば良かったの! 特別な誰かなんていらなかったし、誰かの特別になりたいわけでもなかった!」
眩暈がひどくなってきた。
魚眼レンズを覗き込んだ時のように視界が湾曲し、世界が歪んで見える。
「私は、好きな人に――アルドに、言えないようなことは、したくない。絶対に」
(――ああ、やっぱり私、そうなんだ。アルドのこと……)
ずっと目を背けてきた感情。
今ならそれを受け入れられる。
いまさら、かもしれないが。
時間がないと急かすように、呼吸もしづらくなってきた。
肩が上下に動いてしまう。
息を吐き出すのも吸い込むのも苦しい。
「そんなの、私だって――」
「まだお人形遊びをしているの、ミラ」
ミラの言葉を遮るように、冷ややかな声が投げかけられた。
「こんな穢れた場所を選ぶなんて……せっかくのドレスが汚れてしまうわ」
最初にエメルの目に焼き付いたのは、血よりも禍々しい赤。
視界が歪んでいても、それだけははっきりと知覚できた。
深紅のドレスを纏ったリーゼッテが、スカートを持ち上げて中へと入ってくる。
ミラはその場に平伏し、ぶるぶると全身を震わせた。
「ああ、やっぱりあなたがアルの大事なお人形だったのね」
リーゼッテはつまらなそうにエメルを一瞥した。
「このままでは大変だから、パーツに分けて運びやすくした方がいいかしらね」
名案を思い付いたとばかりに、リーゼッテは閉じた扇で手のひらを打ち鳴らす。
「は……? リーゼッテ、様?」
「人形なのだから、後でまた組み立て直せばいいわ」
リーゼッテはエメルを見下ろし、嫣然と微笑んだ。




