5-2 人形伯の懇願(アルド視点)
「あら、辺境伯でもそんなお顔をなさるのね」
アルドが市場でエメルの行方について聞き込みをしていると、ヴェーバー夫人に声をかけられた。
ヴァイス辺境領で古くから仕立て屋を営む女傑で、領民から一目置かれている存在だ。
「そんな、とは?」
「迷子の子供のように気弱で、『感情のない人形伯』なんて噂されている方だとは到底思えないわ」
ヴェーバー夫人は口元に手を当てて悪戯っぽく笑う。
「そこまで酷いですか」
アルドは顎を撫で、眉間に皺を寄せた。
「ええ。何があったか、話してくださる?」
「……数時間前からエメルの姿が見えなくて。体調の関係で、今日中に薬を摂取させなければならないのですが」
「茶化してしまってごめんなさい。思ったよりも深刻なのね」
ヴェーバー夫人は姿勢を正した。
「エメルさんを見かけ次第、騎士団に通達が行くように話を通しておくわ。顔が広いのだけが取り柄ですからね。それと、今日は休みだけれど、戻ったらミラにも手伝わせるわね」
アルドがお礼を言う間もなく、ヴェーバー夫人はどこかへと駆けて行ってしまった。
(情報が騎士団に集まるのなら、一度顔を出しておいた方が良いな。ヒューがいてくれると話が早いのだが)
そんなささやかな希望も、天は叶えてくれなかった。
騎士団の詰所にアルドが入ると、あきらかに空気がざわついた。
アルドは気にせず奥へと進んでいく。
団長室にヒューの姿はなく、代わりに副団長が留守を預かっていた。
顔と名前は一応把握しているが、ヒュー以外の団員とはほとんど交流がない。
「団長なら、今日も例のご令嬢に振りまわされてますよ」
副団長の口ぶりから、悪影響が出ていることが窺えた。
ヒューにリーゼッテの世話を押し付けてしまった手前、アルドは面目が立たない。
(ということは、エメルを直接連れ出したのはヒューやリーゼッテではないということか)
図らずも、屋敷を訪れる可能性のある人物が一気に消えた。これで候補を絞りやすくなる。
「今日の用向きはヒュー団長ではなく、騎士団に要請したいことがあって来た」
アルドの言葉を受け、副団長はいぶかしげな視線をアルドに向けた。
領内の治安維持やその他の活動は、すべて団長であるヒューに一任している。
アルドが直接指示や依頼をすることはない。
「私の婚約者、エメルを探してほしい。おそらく午前中から、消息を絶っている」
副団長の隣にいる年若い騎士が小さく吹き出した。
重大事案かと思って聞いてみればなんのことはない。女性が出かけて帰ってこないだけの話か――そういう風に考えたのだろう。
「彼女は身体が弱く、今日までに専用の薬を摂取しなければ命に関わる。こんな状況を作ってしまったのは私の落ち度だ。極めて個人的な要請だというのは重々承知している。それでも、どうか助力願えないだろうか」
アルドは深く頭を下げた。
先ほどの年若い騎士や、様子を窺いに廊下に集まってきた者たちがざわめく。
唯一、副団長だけは口を固く引き結んでアルドの話を聞いていた。
「女性が何かの用事でほんの数時間家を空けただけ、としか思えませんが……本当に騎士団に捜索を要請しますか?」
「仮に、捜索し始めて数分も経たずに彼女が自身の意志で戻ってきたとしても構わない。私が『焦りのあまり状況を見誤ったうつけ者』だと領内に広まるだけだ」
アルドは副団長の目をしっかりと見つめた。
今日中に工房に連れていかなければエメルの命に関わる。
冗談や痴話喧嘩で済まされてはならない。
「……貴族っていうのは、もっと体面ばかりを気にするもんだと思ってましたよ」
副団長は力が抜けたかのように、ふっと息を吐いた。
「あの人形伯が婚約者にどっぷり溺れてる、っていうのは本当だったんですね」
アルドの顔を見て、人の悪い笑みを浮かべる。
「詰所にいる全団員に告ぐ。ただちにエメル様の捜索に当たれ! 警ら中の団員にも情報を共有しろ! 非番の奴も叩き起こして捜索に当たらせろ!」
副団長が大声で指示を飛ばすと、それをかき消すほどの大きく野太い応答と凄まじい足音が詰所中に響き渡った。
アルドは一瞬何が起こったのか理解できず、走りゆく団員たちの背中を呆然と見送る。
「試すようなことをしてすみませんね。辺境伯が侯爵の婚約者に横恋慕して飛ばされた、なんていう噂が耳に入っていたもので」
副団長は苦笑し、肩をすくめた。
「若い奴らの中にはリーゼッテ伯爵令嬢の色気に当てられてるのもいますが、あの性格じゃあねえ。しょせん噂は噂、ですね」
リーゼッテの名前が出た瞬間、年若い騎士が顔を赤らめ、ばつが悪そうに目を逸らした。
アルドは呆れと感心のため息をつく。
「まったく、騎士団にも広まっているのか。どこの誰がどう思おうと、私は構わ――」
『私はそんなの嫌です!』
頭の中で、エメルの声が響いた気がした。
(……どう思われても構わない、はずだったのだがな)
アルドは目を伏せ、眼鏡のブリッジを押さえた。
「ちなみに、騎士団で魔術の素養がある者はいるか? 念のため魔素の森も捜索範囲に入れたいのだが、あそこは魔術の素養がないと魔素不耐症に罹患する」
「ああ、少ないですがいますよ。呼び戻しましょうか。あとは――今日は非番だけどミラもそうですね」
「ミラ……」
「いつも団長にくっついてるオレンジ髪のポニーテールの子です」
「いや、知っている」
(魔術の素養があり、オレンジの髪――)
不意にアルドの頭の中で、何かがかちりとはまる音がした。
(あの時、工房の塵芥収集機が吸い込んでいたのもオレンジ色の髪だった。髪色自体はありふれているが、魔術の素養も持ち合わせてるとなれば限定される)
魔素の森には警備の騎士を立たせている。
素養のある騎士なら、誰にも怪しまれず森に入れてしまう。
(思えば、侯爵の使者に耕耘散水機が持っていかれた時もミラは現場に居合わせていた。使者の蛮行を止められなかったことを悔いていると聞いていたが、果たしてどこまでが真実だろうか)
糸を手繰り寄せていくうちに、過去の何気ない事柄も見え方が変わってくる。
(仮にミラが侵入者だった場合、エメルの正体に勘付いている可能性が高い。そして彼女なら、エメルを警戒させずに連れ出せる)
アルドはいつの間にか拳をきつく握りしめていた。爪が深く手のひらに食い込んでいる。
(すべては推測の域を出ない。が、偶然で片付けるには違和感が多すぎる)
「――あら、こちらにいらしたのね、辺境伯」
誰かに声をかけられ、アルドは思考を中断せざるを得なくなった。
団長室に入って来たのはヴェーバー夫人だった。
「どうかしましたか?」
「いえね、うちのミラとエメルさんが一緒に歩いているところを見たって言う人がいたから伝えに来たの」
「どこで! ……ですか」
アルドは危うく夫人につかみかかりそうになってしまった。
「桑畑のある、東の町外れに向かっていたそうよ。あの近くにはね、私も懇意にしているクランツの美味しいお店があるのよ。特にコーヒークリームを使ったものが美味しくて。どうやら、ただのお出かけだったみたいね」
ヴェーバー夫人は朗らかに微笑んだが、アルドは逆に頬が強張るのを感じた。
ただでさえ燃料が尽きかけているのに、コーヒーを摂取するのはまずい。
一時的な機能不全――エメルにとっては強烈な頭痛や意識の混濁に相当する。
「捜索要請、撤回します?」
副団長が困ったようにアルドの顔を覗き込む。
「いや、引き続き捜索を頼む。合わせてミラの足取りも追ってくれ。私は、目撃情報のあった場所に向かう」
アルドの返答に対し、ヴェーバー夫人は首をかしげ、副団長は表情を引き締めた。
「あいつ、何かやらかしたんですか……?」
「まだわからない。単純に二人が出かけただけなら、うつけでも色惚けでも、私は喜んで誹りを受けよう。そうであってほしいと、願っている」
アルドは髪をつかむように掻き上げ、言葉を置き去りにして走り出した。




