5-1 落ち着かない静寂(アルド視点)
今日はいつになく屋敷内が静かだった。
ひと月前はそれが当たり前だった。
ヒューが来ると多少うるさくなるが、食事の時の短時間だけ。二人きりだと案外喋らない。
エメル――いや、彼女に限らず女性がいると、持ち前のサービス精神からあることないことをペラペラ喋る。沈黙が苦手らしかった。
エメルにも似た傾向がある。
作り笑顔で皆に良い顔をする。
本当に笑っている時の方がおそらく少ない。
(……またこれだ)
アルドは眼鏡を外し、強めに眉間を揉んだ。
おとといから部屋にこもって作業を続けているが進捗が芳しくない。
手を動かしていると、思考まで余計な方向に走る。
研究や領内のこと、周囲の様子など、始まりは多岐に渡るが、最終的に、いつもエメルのことに帰結した。
(早く完成させなければならないのだが)
今作っているのは、工房にある補給装置の簡易版だ。
三日に一度の補給で済むとはいえ、その頻度で屋敷を留守にするのは問題がある。
だがエメル一人では工房に入れない。
かといって隠匿の魔術を解除しておくと、第三者に工房に侵入される可能性がある。
実際、先日エメルと共に工房に行った時に、何者かに侵入された痕跡があった。
階段を転げ落ちてきた塵芥収集機を調べた時に、吸い込み口にオレンジ色の毛髪が絡まっていた。
その後、濡れた服を着替えるついでに確認したところ、魔術人形に関する資料が数枚なくなっていた。
補給装置がある地下にいたのはごく短時間。
その間に工房に侵入されたということは、後をつけられていたか、元々工房の場所を知っていたか。
どちらにせよ警戒しなければならない。
人形技術を狙うリーゼッテに魔術の素養はないため直接乗り込まれることはないが、人員の確保など彼女にとって容易いことだ。
確か騎士団にも何人か魔術を扱えるものがいる。
(……ひとまず、食事にするか)
アルドが時計を確認すると、もう昼過ぎだった。
食事の時間になるとエメルが部屋の外に料理を用意する音が聞こえていたが、今日はそれがない。
ドアを開けて確認すると、やはり料理は置かれていなかった。
屋敷全体が静まり返っている。
先ほど静かだと感じたのは心象的な意味ではなく、実際に物音が立っていなかったからだ。
「エメル!」
アルドは呼びかけながらキッチンへと向かう。
屋敷の中で過ごす時は、エメルはキッチンにいることがほとんどだ。
料理――特に菓子を作るのが好きらしかった。きっちりと計量し、決められた手順に沿って一つ一つ工程をこなしていくと落ち着く、と言っていた。
キッチンには食事が用意されていた。
作ってから時間が経っているのか、パンが乾燥して固くなっている。
シンクには二人分の紅茶のカップが置かれていた。
エメルが洗い物をそのままにしておくのは珍しい。
(来客があったのか。ここに来るのはヒューくらいのものだが……あいつなら必ず私の部屋に怒鳴り込んでくるだろう)
アルドは固くなったパンをかじり、周囲を見回す。
これといって、いつもと変わった様子はない。
エメルの姿がないことを除けば。
(あれほど念を押したのに、私に何も言わずに出かけたのか)
口から勝手にため息が出た。胸のあたりが重く淀んでいる。
(いや、対話を拒んだのは私だ。現に気を遣わせてしまっている)
作られた食事はトレイに載せられ、あとは運ぶだけの状態になっている。
(喫緊で外出しなければならない理由があったと考える方が妥当か)
すべての部屋を覗いてみたが、やはりエメルの姿はどこにも見当たらない。
しかし、収穫もあった。
寝室には空の薬瓶が放置されていた。
以前に渡した物の残りだろう。
それを飲まなければならないほど体調が悪化していたという証左だ。
(そんな状態で一体どこに……)
やり場のない焦燥と徒労感から、アルドは倒れ込むようにダイニングの椅子に座った。
テーブルに両肘をつき、口の前で両手を組む。
(何故こんなにも落ち着かない? 今日で三日目だからか? 人と同じで、燃料が完全に切れて活動が停止すれば二度と動かない。その点だけは、どうしても克服できなかった)
ぎりっと歯が擦れる音がし、アルドは自分が強く奥歯を噛みしめていたことに気付く。
ふと、テーブルに見慣れない紙片が置かれているのが目に入った。
手に取ると、そこには理解しがたい何かが書かれていた。
直線と曲線で構成された記号と、丸と四角を組み合わせた絵のようなもの。
(なんだこれは……!)
アルドは髪が乱れるのも構わず、頭を掻きむしった。
微塵も理解できない。
書いたのはおそらくエメルだ。
彼女は会話はできるが読み書きができない。
日常の意思疎通になんの問題もなかったため、文字を教えることを怠った。
(何かを伝える意思はあるのだろうが……どの国の文字とも違う。それとも符牒の類か? 見る角度によって違うとか、鏡に映すと――いや、食事や食器を放置しているくらいだ。そんな時間も頭もないな)
アルドはメモを懐にしまい、立ち上がった。
当ては何一つないが、探しに行くしかない。
幸い、エメルの容姿は目立つ。
外出したなら誰かしら目撃しているかもしれない。
あまり大事にはしたくないが、騎士団を頼って人海戦術を取ることも視野に入れなければ。
(ただの思い過ごしであればいいが……)
虫の知らせや嫌な予感などといった、根拠のないことは信じない。
だが、今は状況が悪すぎる。
最悪の事態を想像しない方が難しい。
(どうしてこんなに入れ込んでいるのだろうな。我がことながら理解できない)
いくつか理由が頭の中に浮かんだが、どれも正解ではないような気がした。
(……感傷など、らしくない)
アルドは乱れた髪を整え、屋敷を後にした。
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