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エメルはケーキを切り分け、話の続きを催促するようにアルドに渡した。
「極力接触を避けたつもりだったのだが、気付いた時には、私が『強引に兄の婚約者を得ようとリーゼッテに無体を働いた』ということになっていた。彼女一人の戯言だったものが、いつの間にか周知の事実へと変貌している。情報操作の手際の良さはいっそ尊敬に値するな」
「ハメられてるんだから尊敬しちゃダメでしょ……」
「侯爵夫人にはあれくらいの面の皮の厚さが必要なのかもしれん。ウィルフレド――兄はどう思っているのかわからないが」
アルドは空になった皿をエメルの方に押して寄こした。
ミルクレープはお気に召したらしい。
もう一切れいります? と尋ねるとアルドは食い気味に頷いた。
「お兄さん……ええと、シュタインベルク侯爵は何か言ってきたりしないんですか?」
エメルはアルドにケーキを渡し、作り過ぎた料理を冷蔵庫にしまいながら尋ねる。
たびたび名前が挙がっているのは耳にしていたが、シュタインベルク侯爵がどんな人物なのか見えてこなかった。
兄弟仲は悪くなさそうだが婚約者のリーゼッテを野放しにしている理由がわからない。
自身の評判にも影響するだろうに。
「早くリーゼッテを引き取ってくれと何通も手紙を飛ばしているのだがな。『彼女に少し羽を伸ばさせてやってくれ』の一点張りだ。なかなか結婚が進まず神経質になっているらしい。ウィルフレドもリーゼッテを持て余しているようだ」
「結婚が進まない?」
「二人が婚約してから、確か五年ほどになる」
「五年!? ――って長くないですか?」
「ああ、長い。成人後の婚約は一、二年程度が一般的だ」
(高校から大学くらいの年齢まで待たされてるって考えると結構キツイなぁ)
見た感じリーゼッテは二十代前半くらいだった。
多く見積もっても二十五歳は超えていないだろう。
多少メンタルを病んでしまうのは仕方ないと思える期間と長さだ。
だからといってありもしないことを流布したり、横暴な振る舞いをしていい理由にはならない。
「前にアルドが言ってた、『偽装婚約から偽装結婚に名称変更して関係を継続する』って言ってたのは、今も有効ですか」
婚約の話をしていたせいか、エメルの頭の中に以前アルドに言われたことがよぎった。
いつまで偽装婚約を続けるのか尋ねた時のことだ。
偽装婚約はエメルを留め置くための方便だったのだから、エメルが事実を知った今では意味をなさない。
「対外的にはその方が収まりがいいだろう。だが君が望まないのであれば、今すぐにでも破棄してもらっていい。その結果、君が不利益を被るようなことは絶対にしない」
「ちょっと待ってくださいって! 何も婚約破棄したくて言ってるわけじゃなくて、なんて言えばいいのかな――」
「『私と本当に結婚して、アルド♡』」
どこからか気持ちの悪い裏声が聞こえ、エメルとアルドはげんなりと顔を見合わせた。
辺境伯の屋敷に勝手に出入りできる人物は一人しかいない。
「ったく、人がリーゼッテ嬢のご機嫌取りに苦心してるってのに、朝からいちゃいちゃ見せつけてくれるねえ」
ガラの悪い顔をしたヒューが、エメルとアルドの肩を抱え込んだ。
本当に苦労しているのか、目の下にうっすらと隈がある。
「愚痴とつまらない冗談を聞かせたいだけなら他を当たってくれ」
早くもヒューに興味を失ったアルドは、パンに適当に具をはさんで食べ始めた。
「えぇ……悪いニュースと悪いニュースがあるんだけど聞いてくれよぉ」
ヒューはカウンターに力なく突っ伏す。
「そう言われて聞きたいと思う者がいるとでも」
「リーゼッテ嬢の金遣いが荒くて破産しそう。泊まるだけなのに家具一式替えさせられたし、使用人の顔だが態度だかが気に入らないとかで、新しく人を雇い入れることになったし……」
ヒューは一方的に喋り始めた。目には涙が溜まっている。
(さすがにちょっと可哀そう)
エメルは静かにお茶を淹れて、ヒューのそばにそっと置いた。
「まだ幾日も経っていないだろう」
少しは話を聞く気になったのか、アルドはパンを皿に置いてヒューと向き合った。
「もう無理やだ。久しぶりに会ったけど、やっぱりほんっと苦手。もしリーゼッテ嬢が男だったら多分殴りかかってる」
女性に対して平等に優しいイメージのあるヒューに、ここまで言わせるなんてよっぽどだ。
「こちらの屋敷に滞在させるわけにはいかないが、対応を考えよう。苦労をかけてすまない」
アルドは労わるようにヒューの肩を軽く叩いた。
「いや、俺のことはまぁ別にいいんだよ。それよりも、もう一つの悪いニュースの方が本当に悪い」
ヒューは身体を起こし、両手でお茶の入ったカップを持った。
一口含み、ゆっくりと飲み下す。
「今日の午後、エメル嬢への見舞いと謝罪っていう名目で、リーゼッテ嬢がここに来る」




