1-4 新しい呼び名
(なんか地雷踏んじゃったかな、私)
「気にしないでください。別に取引とかじゃなくても、言ってもらえれば手伝いましたよ。あなたには助けてもらった恩がありますし」
茶化してはいけないなと思い、エツ子は慎重に言葉を選ぶ。
「すごく遅くなっちゃったけど、助けてくれてありがとうございます。通りがかってくれたのがあなたで、本当に良かった」
自分の気持ちが言葉通りに伝わるように、エツ子はアルベルトの手を握り返した。
「……アルベルトだ」
「はい?」
「婚約者なら、呼び慣れてもらおう」
アルベルトは眼鏡を押さえ、露骨に顔を背けた。
エツ子が顔を覗き込むと、アルベルトは手を離して背中を向けてしまった。
(うーん、単にコミュ障なだけ?)
エツ子はにやけた口元をそっと手で隠す。
「はい。よろしくお願いします、アルベルロさん」
「…………アルベルトだ」
アルベルトは肩越しに振り向いてにらみつけてきた。
「アルベルオ?」
エツ子としては正しく発音しているつもりだが、どうしても最後の音がぼやけてしまう。
「アルベル『ト』、だ。何故それくらい言えない。よく喋るわりに舌を動かしていないのか」
「そ、そこまで言わなくても。名前長くて呼びにくいんですよ。――あ、親密さをアピールするためにも愛称で呼びましょうか」
「結構だ」
「『アル』はありきたりだし……『アルル』? 『ルベル』――」
「もっと有用なことに時間と頭を使いたまえ」
「んー……そうだ、『アルド』とかどうですか? 『アルド』!」
エツ子はぱちんと両手を打ち鳴らした。
これならちゃんと呼びやすく、元の名前の要素もほどほどに残っている。
「濁音はどこから出てきた」
「えー、気に入らないですか?」
「……私の好悪などどうでもいい。重要なのは君の発音のしやすさだろう」
アルベルトは目を伏せ、眼鏡のブリッジを押さえた。
「じゃあ、アルドで!」
エツ子はにこっと笑い、アルベルト――アルドの手を取った。ぶんぶんと上下に振る。
アルドは終始しかめっ面だったが、手を振り払うことはしなかった。
「そんなことより、君に名前はあるか」
「普通にありますよ。野生動物じゃないんだから」
(そういえば名前教えてなかったけど……そのままエツ子でいいのかな)
エツ子は頬に手を当て、首をかしげる。
親からもらった名前に不満はないが、日本人感にあふれすぎていてこの世界には馴染まない気がした。
「アルベルト」と並べるとどうしても異国感が強い。
「言いにくい事情でもあるのか?」
「言いにくいっていうか……あの、先に鏡を貸してもらってもいいですか」
「構わないが……」
アルドは机の引き出しから手鏡を取り出し、エツ子に手渡した。
エツ子は会釈をして鏡を受け取り、心の中で三秒数えてから自分の顔を映した。
「――えーやだーー! めっちゃくちゃ可愛いー!」
鏡の中には、人間だということ以外共通点の見つからない、掛け値なしの美少女の姿があった。
日本人ではありえない、透き通った緑色の大きな瞳。
毛穴の一つもない滑らかな陶器肌。
背中のあたりまで伸びた髪は明るいエメラルドグリーン。
こんな非現実な色彩を持っているのはアニメの登場人物か配信者のガワくらいだ。
左右対称の整った顔立ちは可愛らしさと美しさの配合が絶妙で、化粧や服装次第でどちらのタイプにもなれる。
(うん、この顔はエツ子じゃないわ)
元の純日本人顔に愛着はあるが、今の顔と比べてしまうとどうしても見劣りしてしまう。
「君には自分の顔を見て奇声を上げる習慣でもあるのか」
やや引き気味にアルドが尋ねる。
「ああごめんなさい。ちょっと複雑な理由がありまして、元の名前だと変に目立ったり違和感があったりするかなーと思って」
エツ子は言葉を濁した。
(多分)異世界転生しました、と言ったところで、頭のおかしい奴扱いされるのが関の山だ。
必要がなければ極力伏せておいた方が良い。
「ちなみに、元の名前というのは?」
「……エツ子です」
エツ子はアルドの様子を窺いながら名乗った。
音にするとより違和感がある。
現代でも古めかしい名前で、小学校の時はレトロネーム――はっきり言えばおばあちゃんっぽい名前とからかわれたりもした。
「エトゥコ……どこの地方の名だ……?」
発音良くエツ子の名前を復唱し、アルドは深く考え込む。
「ね、ね、このなんとか辺境領だと珍しいですよね」
「この地に来てから数年が経つが、聞いたことはないな」
「だから、できれば偽婚約者としての仮の名前でいいので、新しく名前が欲しいんですけど、ここの名付けルールとかわからなくて……」
エツ子は顔の前で両手を擦り合わせた。
「……私にいくつか候補を挙げろと言っているのか」
意図を汲んだアルドは、面倒そうにため息をつく。
エツ子は期待の眼差しを向け、大きく何度もうなずいた。




