1-3 異世界で頻出の取引といえばコレ
(すっごい非現実的で嫌な予感しかしないんだけど……!)
エツ子は頭を抱え、髪を掻きむしった。
エメラルドグリーンの長い髪が指に絡みつく。
元々の髪はセミロングで暗めのミルクティーベージュ。
人生の中で髪を緑色に染めようなどと思ったこともない。
いま着ている服も、オフィスカジュアルではなく、歴史の資料集に載っていそうな貫頭衣だ。
「……えっと、一時間くらい寝かせてもらっていいですか。すぐには現実を受け入れられそうにないので」
エツ子は布団を頭から被った。
これで、次に目が覚めた時に日本に戻っていれば夢。
そうでなければフィクションでよくある異世界転生だ。
「仮眠の最適な時間は十五分から二十分だ。一時間は長すぎる」
アルベルトは容赦なく布団を剥ぎ取る。
「いやそういう話をしてるんじゃなくて」
「冗談だ。他者との円滑なコミュニケーションのためには会話の中に適度にユーモアを入れ込むのが効果的だと聞いた」
「真顔で言わないでくださいよわかりづらい……」
エツ子は軽い頭痛を覚えた。
アルベルトのキャラがよくわからなくなってくる。四角四面なだけではなさそうだが。
「次回以降改善しよう。それはそれとして、仮眠による一時間のロスは認められない。君が受け入れようと目を背けようと時間は不可逆だ」
「そういう堅苦しい言い方するの疲れません?」
「わかった。場所を移そう。留置所の方が話もよく進むだろう。憲兵――」
「まってまって! こんな中世もどきの世界じゃ、まともな裁判なしに刑に処されるじゃないですか!」
エツ子は恥も外聞もなくアルベルトに縋りついた。
「ヴァイス辺境領における法務も私が担当している。恣意的な心証に左右されない公正公平な裁判となるよう善処しよう」
「そもそも前提が間違ってるんですって! 冤罪を晴らすチャンスをくださいチャンス! なんでも――はしないけど、できる範囲のことならするので!」
「……ふむ」
ヤケクソな懇願のおかげか、アルベルトの表情が変わった。
何かを見定めるように、ブルーグレーの瞳が据わる。
エツ子は反射的にアルベルトの身体を離し、居住まいを正した。
「――であれば、取引をしよう」
アルベルトはゆっくりとまばたきをし、エツ子の耳元に顔を寄せた。
「と、取引……?」
不穏な単語のはずなのに、耳をかすめる吐息にどきっとしてしまう。
「罪の赦免と君の身体の不調の治療、辺境領に滞在している間の生活の保障をする代わりに、あることを引き受けてもらいたい」
誰かに聞かれるとまずいのか、アルベルトの声は低く密やかだった。
「今のところ、私に有利すぎる条件に聞こえますけど……肝心の要求はなんなんですか?」
「私の婚約者になってほしい」
・
・・
・・・
「……頭おかしいんですか」
「留置所に移動するか」
「間違えましたごめんなさい! 私みたいな得体の知れない奴でいいんですか?」
「問題ない。もちろんただの偽装だ。本当に婚約するわけがない」
「そこまで断言しなくても……」
「正直、時間がないので誰でもいい。あわよくば本当に辺境伯の妻になりたい、といった面倒なことを考えていなければ充分だ」
「……薄情とか思いやりがないとか言われたことありません?」
「不法侵入罪の刑罰はなんだったか……」
「ごめんなさいもうしません!!」
アルベルトの声をかき消すくらいの声量で、エツ子は平謝りする。
「それで、どうする。強要はしない。自分で選んでくれ」
アルベルトは小さく息を吐き、腕組みをした。
視線はエツ子ではなく、どこか宙に向けられている。
「そんなの、ノータイムで婚約者ですよ」
エツ子はにっこりと笑い、手を差し出した。
罪人として拘束されるか、偽物とはいえ辺境伯の婚約者として生活するか。
天秤にかけるまでもない。
アルベルトは不思議そうに差し出された手を見つめる。
(もしかして握手の習慣がないのかな? 文化の違いとか埋めてかないといけないなぁ)
エツ子は手を引っ込めるタイミングに迷い、なんとなく手のひらを見下ろした。
自分の元々の手よりも華奢な感じがする。肌の色も日本人離れした白さだ。
髪や肌の色、身体の作りが違うなら、当然顔も変わっているだろう。早く鏡を見たかった。
どこかに鏡がないかとエツ子が部屋の中を見回していると、不意に手をつかまれる。
驚いて見上げると、アルベルトが何か言いたげな顔をしていた。
「どうか、しました?」
「……強要しないなどと言いつつ、君に対して、選択の余地のない提案だった」
アルベルトの声はほとんど呻きに近かった。
視線が自信なさげにさまよっている。別人かと思うほど様子がおかしい。




