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室内全体に甘い香りが漂っている。
階段を下り始めたあたりからうっすらと匂ってはいた。
毎日飲んでいる薬、そして、傷口から血の代わりに流れ出た液体と同じ香り。
エメルは無意識のうちに頬に手を伸ばしていた。リーゼッテに殴られ、切れたはずの場所。
今はもうなんの痕跡も残っていない。
手入れされた作業場だった上階とは違い、下階は遺跡としての趣を色濃く残していた。
部屋全体は褪せた石造りで、プラネタリウムのようなドーム状。
中央には二メートルに届かないくらいの長方形の石箱が二つ並んでいる。
そのうち右側の方だけ蓋が開いていた。
入口からでは中身は窺えない。
(なんか、昔の偉い人のお墓っぽいな。確か石室とか玄室だかっていったっけ。あの石箱もなんか棺みたいだし……)
エメルはアルドの背中に隠れ、コートをぎゅっと握りしめた。
「どうした?」
アルドは不思議そうにエメルを見下ろす。
「いや、お化け屋敷とかホラーっぽいのはあんまり得意じゃなくて……」
「何を言っているのかよくわからないが、見てもらわないことには話にならない」
「ぎゃあ!?」
いきなりアルドに小脇に抱えられ、エメルは品のない悲鳴を上げてしまう。
軽々とエメルを抱きかかえたりなど、アルドは意外に腕力がある。
「人を荷物みたいに運ばないでください!」
「いつものように抱きあげられたいのか」
「自分で歩けます!」
アルドの声音に若干の意地悪さを感じ、エメルは強めに言い返した。
「そうか。だがもう着いた」
アルドは特に気にした風もなくエメルを降ろす。
近くで見ると、思っていたよりも石箱は小さかった。
長さはアルドの身長と同じくらい。高さはエメルの膝よりもやや上くらいだった。
アルドは躊躇なく左側の石箱の蓋を押し開けた。
蓋がごとんと床に落ち、むせ返るほど甘い匂いが一気に流れ出てくる。
「ああ。やはりこちらは動いていないのか」
アルドは石箱の中を覗き込み、安堵したような落胆したような、どちらとも取れる声で呟いた。
エメルも石箱の端に手をかけて、怖々と中を覗く。
「……え?」
自分が目にしたものが信じられず、目を擦ってから再度中を確認した。
――やはり見間違いではない。
「えっ、なに……? 誰、なんです、これ?」
石箱の中にはエメルと同じエメラルドの髪の男性が横たわっていた。
透明の液体が満ち、身体の半分よりやや上くらいまで浸かっている。
髪だけでなく、顔立ちもどことなくエメルに似ているように見えた。
兄弟、という単語がしっくりとくる。
外見以外にも共通点があった。
男性が着ているのは、エメルが最初に着ていた貫頭衣とまったく同じものだ。
「いや、誰とかの前に、生きてるんですか? それとも」
――死んでるんですか。
言いかけ、エメルは先ほどアルドから聞いた言葉を思い出した。
『……数年前から、私はここで魔術人形の研究をしていた』
作業場には魔術人形らしきものはなかった。
アルドの言う「魔術人形」とは、屋敷でも使っている円盤型の掃除人形ではなく、おそらく人の形に似せたものだろう。
『階下に人型用の補給装置がある』とはっきり言っていた。
「……これが、魔術人形ですか」
エメルは唾を飲み込み、尋ねた。
「ああ。最終調整まで進んだ、二体のうちの一体だ」
「二体のうちの一体」
アルドの言葉を反芻し、エメルはもう一つの石箱――最初から蓋が開いていた方に近付く。
中には同じ透明の液体が浅く溜まっていた。
それだけだ。
人形は入っていない。
「もう一体って……」
言葉が喉につっかえて出ていかない。
答えはわかっている。
認めたくないのは「自分の正体が何者か」ではなく、それよりも一歩先のことだった。
(私が、自分の作った人形だから優しくしてくれてたの?)
石箱の縁をつかむ手に力が入る。
「自分が何に転生したのか」はそれほど重要なことではなかった。
転生自体がすでに非現実的で非常識だ。
転生先の身体が人間じゃなかったとしても大したことではない。
そもそも異世界人が自分と同じ「人間」であるかどうかも怪しい。
むしろ、この世界に住む特定の誰かでなくて良かったと思う。
転生したことによって、誰かの人生を乗っ取ってしまっていた可能性だってある。
「エメル……」
アルドの声は低くかすれていた。
どんな心境でいるのかまでは読み取れないが、何かしら思うところがあるのは伝わってくる。
「――私、アルドの作った人形、だったんですね」
エメルはアルドの方を向き、口角を持ちあげて笑顔を作った。
空気を読むのも取り繕うのも昔から慣れている。




