3-9 違和感の正体
「まぁアル! エメル様ったらひどいのよ。いきなりわたくしのことを悪意があるとかって。だから、ついかっとなってしまって──」
リーゼッテはおぼつかない足取りでアルドにしなだれかかった。身体をしっかりと押し付ける。
ミラが言っていた「男の人と距離が近い」は本当にそのままの意味だった。
「当事者の発言は信憑性に欠けます。居合わせた二人に聞けばわかることです」
アルドは配慮もなくリーゼッテを押しのけ、エメルの元に歩み寄った。
「帰ろう、エメル。歩けるか」
膝を着き、エメルに手を差し伸べる。
「あの、アルド……」
エメルの言葉が終わるのを待たず、アルドはエメルの身体を抱きあげた。
「待って、歩けますって!」
焦ったエメルは足をばたつかせる。
人前でやられると普段の比ではないくらい恥ずかしい。
赤い頬に両手を添えたミラが、こちらを凝視しているのが見える。
アルドもまったく意に介さないので、エメルは仕方なくアルドに抱えられることにした。
これで出血が激しくなったら笑い話にもならない。
「お騒がせして申し訳ない。この賠償は後日させていただきます」
アルドはヴェーバー夫人に向かって頭を下げた。
「いいえ、どうぞお気になさらず」
ヴェーバー夫人は柔らかく微笑み、エメルに向かってウインクをした。
エメルの恥ずかしさに拍車がかかる。
いっそ気を失ってしまいたかった。
「アル、彼女が大げさに痛がっているだけで、たいした怪我ではないわ」
腕組みをし、全身から不機嫌さを滲ませたリーゼッテが立ち塞がる。
「そんなことより、あなたのお屋敷に泊めてくださらない? この町の宿はどこもわたくしには合わなくて──」
「後でヒューを寄越します。彼の案内に従ってください。それと、今後はお一人で出歩くような軽率な行動は控えてください。領内治安には一定以上の自負がありますが、勝手なことをされては身の安全を保障いたしかねます」
アルドはひと息に喋ってリーゼッテの要望を封殺した。
リーゼッテがアルドの身体に触れようと手を伸ばすと、冷ややかな視線で牽制する。
「――最後にもう一つ」
店から出る直前、アルドは思い出したかのように立ち止まった。
リーゼッテの方に顔を向ける。
「理由や傷の軽重にかかわらず、私が優先するのはエメルです。どうかくれぐれもお忘れなきよう」
それを最後に、アルドはリーゼッテを振り返ることはなかった。
◇
「まったく、誰が喧嘩をしろと言った」
店から充分離れたところで、アルドは大きくため息をついた。
「だって本気でイラッとしちゃって。アルドが逃げたとか、自分に惚れてるとか、わけわかんないこと言うし……」
リーゼッテの言動を思い出し、エメルは歯がみをせずにはいられなかった。
こんな短時間ではっきりと「嫌い」だと思える人間に出会ったのは初めてだ。
「言わせておけばいい」
「事実じゃなくても、アルドがそういう風に言われるのが耐えられなかったんです。ああいう人のせいでアルドが勘違いされるのは嫌です」
「何故、事実ではないと断言できる?」
「実際のところはわからないですよ。でも、ずっと見てきたアルドはそんな人じゃないって、私が勝手にそう信じてるだけです」
エメルはアルドの瞳をじっと見上げた。
アルドはエメルの瞳を見つめ返し、ゆっくりと目を伏せる。
「曲がりなりにも彼女は兄の婚約者だ。侯爵の名に傷が付くより、『人形伯』の悪名が増えるほうが安い」
「私はそんなの嫌です! 侯爵なんて知りません。私が優先するのは、いつだってアルドです」
エメルはアルドの服の胸元を握りしめた。
アルドは足を止めたが、数瞬もせずにまた歩き始める。
「そこまでのことを強いるような契約はしていない」
「全部が全部、契約に基づいて動いてるわけじゃないです!」
アルドに八つ当たりをしても仕方がないのに、エメルはどうしても語気が荒くなってしまう。
殴られた傷の痛みよりも、胸の奥のざわめきの方が今は大きい。
「エメル……」
「ごめんなさい、下ろしてください。少し頭を冷やしてから帰ります」
アルドは何か言いたげに眉をひそめたが、すぐに下ろしてくれた。
エメルはずっと頬に当てていたハンカチをはずし、恐る恐る傷口に触れる。
血はもう止まっていた。
指で探ってみても、皮膚が裂けたような痕跡がない。
皮一枚を切っただけだったのだろうか。
(ミラさんに洗って返さないと)
白いハンカチを見て、小さく息を吐く。
(……白い?)
ミラから借りたハンカチは白かった。
湿ってはいるが、血らしきものは少しも見当たらない。
殴られた直後に傷を押さえた手にも、血はついていなかった。
血液特有の、鉄錆に似た匂いもしない。
その代わり、ハンカチからも手のひらからも、嗅ぎ覚えのある甘い香りがした。
――毎日飲んでいる、アルドから渡された薬。
「……アルド」
エメルは呟くように名前を呼ぶ。アルドの顔は見られなかった。
「血って、何色ですか」
違和感はずっとあった。
トリートメントがなくても艶と輝きを失わないエメラルド色の髪。
毛穴が一つも見当たらない綺麗すぎる陶器肌。
まるで作り物のように完璧に左右対称に整った顔。
一向に良くなる気配のない、ぎしぎしと軋む身体。
「異世界だから」、「病気だから」でなんとなく見過ごしていた。
体温もあるし鼓動も聞こえる。食事だって普通にできる。
当たり前のこととそうじゃないことが混在していたせいで、判断がつかなかった。
「私、本当はなんなんですか」
何も答えてくれないアルドの瞳を見るのが、声を聞くのが怖かった。
3章最終話までお読みいただきありがとうございます。
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