3-8 厄介令嬢の乱
「それにしても、アルの趣味もずいぶんと変わったのね。道理でわたくしの選んだ婚約相手をはねつけるはずだわ。わたくしとまったく違うタイプですもの」
リーゼッテはにこっと人好きのする笑みを浮かべた。
言葉を交わしていなければ、リーゼッテに好感を持っていたかもしれない。
先ほどからずっと、リーゼッテは微妙に引っかかる物言いばかりをしていた。
一つ一つは靴に砂利が入ったくらいの違和感だが、それが何度も続くとストレスとして積もっていく。
「アルってば、そんなにわたくしのことを忘れたいのね……」
リーゼッテはゆっくりと目蓋を伏せた。長いまつ毛が光を遮り、憂いを帯びた影が頬に差す。
「――どういう、ことでしょうか」
エメルの唇が緩慢に動く。
頭では、尋ねるべきではないとわかっていた。
自分に対する挑発なのは明白だ。
それでも、言葉があふれるのを止められなかった。
「アルは、罪の意識からこんな寂れた辺境へと逃げたのよ。兄の婚約者だと知りながら、わたくしに恋慕の情を抱いてしまった己を恥じて、ね」
リーゼッテは涙で赤い瞳をけぶらせ、自分の身体を両手でかき抱いた。
「恋慕……」
エメルは服の胸元を握りしめた。
胸の奥が熱く痛む。
頬がこわばって口角を上げられない。
眉間に勝手に力が入る。
少なくとも、エメルが知っているアルドは、リーゼッテが言うような感傷的な人間じゃない。
アルドがリーゼッテに対してどんな思いをいだいていたかよりも、アルド自身を冒涜されたようで耐えがたかった。
身体の内側から、ふつふつと血が沸きあがる音が聞こえた、気がした。
「――無礼を承知で申し上げます」
エメルは深く息を吐き、敵意をもってリーゼッテをにらみつけた。
「私にとって、あなたは今日初めて会っただけの他人。アルドは、私を見初めてくれた大切な方。どちらの言葉を信じるかは子供にだってわかりますよね。しかも、アルドの名誉を貶めるようなことをわざわざ婚約者の私に伝えるなんて、悪意があるか常識がないかのどちらかでしょう」
「黙って出てけ勘違い女!」と感情のままに叫びたい気持ちを抑えつけ、エメルは言葉を選んだ。
口論に強いアルドの言動を模倣する。
今の自分はありふれた社会人のエツ子ではなく、辺境伯の婚約者エメルだ。
自分の行動はアルドの評判にも響く。
焦らず冷静に、論理的に。
感情的にわめき散らしてつかみかかるのだけは絶対にNGだ。
「仮にあなたの言うことが本当であったとしても、今は私が彼の婚約者です。過去は関係ありません。昔の関係を引きずって、人前で親しげに『アル』などと呼ぶのはお控えください。あなたがそのように接すれば、あらぬ噂が立ちかねません」
エメルの口からは驚くほどすらすらと批判の言葉が出てくる。
普段なら絶対に言わないことばかりだ。
思っていたよりも腹が立っていたらしい。
リーゼッテの瞳からはいつまで経っても涙はこぼれず、代わりに憎悪の火が灯るのが見えた。
皮膚が色をなくすほど、扇を握る手に力が入っている。
「え、えええエメル様ぁ、さすがにそれ以上はもう……!」
がたがたと震えたミラがエメルの肩にすがりついた。
それでも、エメルはリーゼッテから目を逸らさない。
こんな真正面から誰かと喧嘩をしたことはないが、先に目を背けた方が負けな気がした。
「……田舎者風情が。分不相応にも、どうしてこのわたくしに意見できると思うのかしら」
リーゼッテの赤い目が見開き、口元が醜く歪む。
嫌な予感がした。
リーゼッテの白く美しい手が翻る。
ひゅっ! と風を切る音がし、エメルの頬に鋭い痛みが走った。
エメルは反射的に頬を手で押さえる。
ぬるりと嫌な感触がした。
追って、じくじくとした鈍い痛みが広がる。
おそらく当たりどころが悪く、扇の飾りが頬を切ったのだろう。
傷の痛みよりも突然暴力を振るわれたことがショックで、足に力が入らなくなった。
エメルはその場に膝から崩れ落ちる。
「エメル様! 今薬箱をお持ちするので、とりあえずこれで傷口を押さえててください!」
今にも泣きそうな顔をしたミラからハンカチを受け取り、エメルは半ば呆然としながら傷に当てた。
どうすればいいのか、頭の中が真っ白で何も浮かばない。
そんな中、場違いなほど穏やかに、ドアチャイムが涼やかな音を奏でた。
ぎ、ぎ、ぎ……と錆びついた音がしそうなほどぎこちなく、エメルは店の入口の方に顔を向ける。
そこには、
「これは……」
顎に手を当て、状況を把握しようと視線を巡らせるアルドの姿があった。
眼鏡の奥のブルーグレーの瞳が、すべてを冷ややかに精査していく。
エメルは縋ることも訴えかけることもせず、ただ静かにアルドを待った。




